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この画像のインターホンを押すのに11年かかった話

別に特別、ボタンが硬くてマジ押せないとか、インターホンの前にゾーマが居て倒せないとかそういう話ではない。

小学生の頃、歩いて2分の場所に住む同い年のKとはとても仲良しだった。それはもう習い事がなければ毎日遊ぶくらいには仲が良かったし、僕にとってはセリヌンティウスくらい大切な友人に違いなかった。彼の家でやるスーファミ版のボンバーマンやストリートファイター、グラディウスは本当に楽しかった事を鮮明に覚えている。一応平成の話である。

ある日、転機が訪れた。Kは僕との約束を破り、別の子と遊ぶ予定を立ててしまったのだ。しかも僕の目の前で。「あいつはいいよ別に」と。

それを聞いて、僕は激怒した。

別に邪智暴虐なKを除かなければならぬと決意したわけではなかったけど、とにかく頭が沸騰するくらい怒り狂ったのを覚えている。柔和な性格の僕だったが、その時ばかりは彼に「ふざけんな」的な事を声の限り叫んで、号泣しながら走って家に帰った。運動が苦手なその頃の僕にしては強く強く地面を蹴って、残った家路を最高速度で走り抜けたし、信号が僕を止める事もなかった。その時、僕は確か9歳。

それからの小学校生活と中学校生活合わせて6年間、Kと同じ学校に通ったが、幸か不幸か同じクラスになる事はなかったし、彼と会話する事も一切なかった。

そして高校進学を機に、彼との接点は一切なくなった。

3年後、高校を卒業して都内の大学に通い始めた。そこで僕は校内でKらしき人を見かける事になる。まさかと思った。こんな偶然あるものかと疑う気持ちですれ違うと、間違いなくKだった。しかし、なんとも情けないが僕は彼に話しかける勇気がなかった。見かけるたびに脳をフルスロットルで回して話しかける算段を立てるのだが、どうにも行動に移す事ができなかった。

大学生になって数ヶ月が過ぎた頃、最寄駅でKを見かけた。家が近いこともあり、彼と帰り道はほぼ一緒だ。何故か鴨川等間隔の法則ばりに一定の距離感を保ちながらの帰り道。あいみょん的に言えば、心臓のBPMは190になっていた。突然話しかけなければならない気がしてきた。この機を逃したらもうないぞと、心の中の自分が言っている。僕は意を決してKの肩を叩き、

僕「俺のこと覚えてる??」

と、どう考えても同窓会で久々に会った女の子が可愛くなってた時に話しかけるための常套句ランキング第1位のセリフを吐いてしまった。

K「僕くんでしょ。覚えてるよ。」

とKは僕に返す。ここだけの話泣きそうだった。9歳の頃の僕が意地を張ったばかりに失ったKとの関係。それが10年ぶりに動き出した瞬間だった。Kは「あの時はごめんな」とかそんな事を言ってくれたのだった。あの日の事をKも後悔していたらしい。

それからKとは、学校で会えば挨拶をしたり、最寄りで会えば一緒に帰ったり。そんな関係が続いている。

人は生きていく中で沢山の人との出会い、別れを繰り返す。そのサイクルの中で、仮に遠い存在になったとしても自分にとって本当に必要な存在なら、きっとまた出会う事ができるんだろうなと確信めいたものを感じさせる出来事だった。見えない何か強い力で引き合わせてもらえる。たぶんそういう風にできている。

余談だが、今年僕は成人式を迎え、前日にKと会場まで一緒に行く約束をした。

当日の朝、僕は11年ぶりに、仲が良かったあの頃のように、Kの家のインターホンを押す事になる。

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