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僕の定義は駄菓子屋さんに

生まれてから20年と少し。気がつけば酒を飲むようになって、たまに付き合いで煙草をふかす。気がつけば知らないうちに相手が傷つくような言葉を平気で吐いて、大切な友人を失っていたし、いつの間にかピュアな部分は擦れてしまった。

3月半ば。外出自粛が謳われる直前の平日に散歩に出かけた。都内に通学するようになってから近所を散策するような時間はめっきり減って、身近だった地域の変化に触れる機会なく過ごしていた。1、2時間かけてたくさんの場所を通ってみたけど、硬くてえぐみのあるタケノコを掘り出した森も、やんちゃな小学生が通りたがる林道も整地されて家が建っていた。この事実は、僕の心に強めのパンチを食らわせた。

そのまま歩き続け辿り着いたのは、小学生の頃の通学路沿いにある駄菓子屋だった。ブリキ駒や生卵キャッチボールといった流行の発信地であり、地域の子供はお金の使い方をその駄菓子屋で覚える。学年×100円のお小遣いを握りしめる小学生は、大学生になり、今では1回の飲み会で5000円消費するようになっていた。そんなことを思いながら数年ぶりに入店したのだった。

店内には100円以下の駄菓子が並び、変わらず店に立ち続けるおばちゃんが居た。おばちゃんに会釈して店内を一周する。店内のレイアウトさえ変わらず15年近くそこにあり続けるその駄菓子屋は、僕の知るままの姿でそこに居続けてくれた。僕は1枚70円くらいのするめを3枚レジに持って行った。

「○○くんだよね?」とおばちゃんが言う。マスクをしていたのに、数年ぶりに来たのに。僕を変わらずに覚えていてくれる人が、見ていてくれる人が親類以外にいるって事実が、どれだけの心の安らぎに繋がるか。なんとなく最近の近況報告をした。大学生になった事、成人した事。嬉しそうに聞いてくれた。

環境も、人も変わりゆく中で、変わらないモノが僕を定義していてくれる。生きてきた20余年で積み上げた過去が今を支えていてくれるのだと強く感じながら、涙目でするめを齧りながら家に帰った。

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