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作品がなかなか完成しない、あるいは仕事がなかなか終わらないときに必要な「覚悟」の話

割引あり

長い文章を書くなら、起きて5時間以内が勝負だ。どんなふうに過ごそうとも、起きて5時間を過ぎたあたりから集中力がぐんと落ちはじめる。歳のせいでもあるだろう。このひとときは、これからの人生でどんどん希少性を増していく。

この5時間を使い切るには、やはり環境づくりが欠かせない。自宅ではどうしてもエンジンを温めるのに時間がかかりすぎる。ようやく文章を書き始めるころには3時間が経過している。観念して外に出ることにした。朝の散歩も習慣にしたかったから、起きたらすぐに着替え、妻のカフェに向かうことを起床直後の至上命題とした。

出先で文章を書くための端末が必要になった。『PUBG Mobile』のために買ったiPadが、久々に新しい役割を得た。iPad専用のMagicキーボードは、キーストロークが浅く、小さな力で文字を打つことができた。打鍵音も小気味いい。思いがけずこの気持ちよさに気づいてからは、妻のカフェで毎朝3時間ほど、iPadで文章を書くのが一日の楽しみになってきた。

毎朝、文章を書くことが習慣になってきた。けれど最近、また別の悩みが頭をもたげてきている。文章が書き上がらないのだ。下書きばかりが増え続けている。それは僕が変わった書き方をしているせいでもあるのだが。そろそろ真剣に、この問題に向き合わなければなるまい。


僕にとって文章を書くことは、睡眠や食事と同じくらい、生きるのに欠かせない。書かない日が続くと、心がざわつきはじめる。雑念が増える。頭がうまく回らなくなる。表情筋に力が入らなくなってくる。

かといって、誰にも見せない日記のような文章をたくさん書いても何かが足りない。プロテインとビタミン剤だけで生きることはできないように、僕は文章を「料理」して、それを誰かに食べてもらわなければならない。自分が書いたものを人様に読んでもらうことでしか得られない必須栄養素がある。

毎日noteを投稿していた時期もある。作品の数は増えたが、「毎日」という縛りのなかではどうしても「書き切れていない」何かが残った。いつも時間に追われていた。十分に深いところまで掘り進められない。表面をなぞっただけの文章でやり過ごしているような日々だった。だから毎日投稿はやめてしまった。


その後、しばらく続けていた書き方はこうだ。僕のnotionには「書きかけ」という箱があり、更新日時でソートしてある。リストのいちばん上の、つまりはいちばん古い下書きを開く。読みながら内容を思い出しつつ、新たに思いついたことを書き加えたり、雑な表現を言い換えたり、冗長な話題を削ったりしていく。手が止まったらリストに戻る。そしてまた、いちばん上の下書きを開く。

これをずっと続けていれば、あるとき下書きがついに完成するといった寸法だ。その時点でnoteなりXなりに投稿すればいい。

そんな流れがルーティーンになってくれることを期待していたのだ。しかし残念ながら、この方法で日の目をみたのは今のところ2、3記事だけだ。

このやり方のいいところは、いつでも新鮮な気持ちで文章に手を加えられることだった。飽きたり行き詰まったりしたらさっさと別の文章に移ればいい。

しかし、一向にどの下書きも完成する気配がない。

締切がないことで、こだわりすぎて編集が終わらせられないのかもしれない。テーマもないから、話題をいくらでも脱線できる。下書きが膨張し、分裂し、新たな下書きを生み続けている。

やはり締切は必要なのだろうか? でも「毎日」という締切はうまくいかなかった。
それなら、「毎日」ではなく「毎週」に間隔を伸ばしてみたらどうだろうか?
それも試したことがある。しかし「毎週」のリズムをつくるのは、「毎日」のリズムをつくるよりもはるかに難しかった。

毎日おなじことを、同じ手順、同じペースで繰り返していると、身体がだんだんと流れ
を覚えていく。すると身体のほうから「そろそろ書き始めないと24時までに終わらんよ」「ほら、そろそろ結論に向かわないと」などと率先してタイムキープの役割をかってでてくれるようになる。

しかし週刊となると、作業の中身が毎日変わる。たとえば月曜日はアイデア出し、火曜日はとにかく量を書く、水曜日はそれを推敲してテーマを絞る、といった感じだ。もちろん、予定通りには進まない。その日のうちに終わらなかったタスクは翌日にずれ込む。「巻きで進める」だとか「昨日よりも多めに書く」なんてことが僕にできるわけもない。毎日やることが違うし、かかる時間もまちまちだから、身体もリズムを覚えてくれない。「週刊連載の漫画家」という職業がこの世にはあるらしいが、きっと都市伝説だろう。

日刊もだめ。週刊もだめ。もっと精密に締切の幅を調整して、ベストな位置を探ればいいのだろうか?

いや、そもそもだ。開き直るようだが、僕は締切が好きではない。時間に追われるのがとても苦手だ。

毎日投稿を自分に課していたときは、そのルールを守るために夕飯を早めに切り上げたり、仕事の量を半分にしたりと、色々なことを犠牲にした。書き終えると、プレッシャーからの解放感とモラルライセンシングで、他のことができなくなった。たしかにアウトプットの量は増えたかもしれないが、それ以上に準備したり休んだりするための時間も増えた。

僕は締切というものを、自分の人生にできるだけ持ち込みたくない。締切に頼らずとも、コンスタントに作品を完成させられるようになりたかった。


もっと根本的に考えてみよう。僕らはなぜ、締切によってわざわざ自分で自分を縛るような真似をするのだろうか? 僕らは締切にどんな効果を期待しているのか?

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