見出し画像

鑑賞としての創作

13歳からのアート思考』という本を以前読んで、絵から100文字のストーリーをつくるという鑑賞方法を知った。
400字以内の小説ならやったことがあったので、形態の違ういくつかの作品をもとに、400字以内で書いてみた。思った以上に面白い。

こんな時におすすめ

・アートを別の角度で味わいたい
・情報の触れすぎによるインプット疲れを解消したい
・家で手軽に濃い体験をしたい
・自由に空想してリフレッシュしたい

うまく説明できなかった感動やイメージを、別の具体的なモチーフやシチュエーションに置き換えて、設定した字数に収めようとする。
すると小説を書く過程や完成した後に、それまで気づかなかった作品の魅力を見つけられる。

具体的に気づいたことを、4つの作品でメモする。

【動画】チームラボ

チームラボ『Crows are Chased and the Chasing Crows are Destined to be Chased as Well -- Black in White』

デジタルなのに、有機的。どこか生態系を思わせる空間作品が有名なチームラボ。
Youtubeで見つけたこの動画に、一時期はまった。

動画を眺めているうちに思いついたシーンを、文字でスケッチする。瞬間的なシーンの断片を、つじつまが合うように並び替えて、まとめていく。
400字へと削りながら、特に惹かれていると分かった動画の魅力は以下の点。

・色の対比の美しさ
・伝統的で静かな印象のモチーフ×現代的で躍動感ある見せ方
・立体的に再現される、アナログの墨の質感

好きな要素はたくさんある。花がいっぱいあって好きなんだとか、カラスの飛び回る軌跡がかっこいいとか。
見ている時は、描かれているモチーフそのものの印象が強かったけど、限られた字数で収めようとすると、もっと抽象的な要素が浮かんできた。

動画を見るほど、VRで三次元の墨絵を実際に見たいと思う。
滲みや擦れをそのまま実際の空間に再現された墨絵を、いろんな角度から眺めてみたい。

『墨絵アスリート』
掠れ、滲み、勢いよく筆を振り下ろした瞬間に飛ぶ飛沫。
特殊な墨を使った筆の軌跡は、空中にそのまま留まる。
作品を生み出す過程が、パフォーマンス化される昨今。墨絵に舞をかけ合わせた競技が、確立されていた――。

今回の舞台は、雪野原。お題は樹木。
墨の色が際立って、一番ごまかしが効かない。しかも寒さで身体がこわばり、動きが鈍くなる。体力、技術力がともに高く求められる舞台だ。

対戦相手は柳を描いた。
風の流れが見える優美な曲線。そして繊細な筆づかいを支える、軽やかな舞。
作品そのものの完成度、パフォーマンスの精度、雪景色との調和は、ほぼ満点。

私はかじかむ手に力をこめて、大きな筆の柄を握る。
腕を鋭く振るった。空気を切るように一息に筆を走らせる。
岩に似たごつごつとした幹、天を突きさす直線的な枝。
全て描ききり、息を切らせて舞を終える。

墨の雫が落ちる枝から、紅い梅が芽吹いた。

【俳句】松尾芭蕉

手を打てば木魂に明くる夏の月

(早朝、冴えた大気のなかで手水を使い、柏手を打った。柏手のこだまが、周囲に響く。すると、その音に応じたかのように夏の短い夜が明けて、月が淡くなっていく。)

松尾芭蕉で知っているのは「古池や蛙飛びこむ水の音」と、「閑さや岩にしみいる蝉の声」。これらの句と似ていて、静寂と生き物が立てる音に焦点を当てている。他の二つより、情報量が多く、変化が大きい印象の今回の句。

柏手のこだまが、夜明けを引き起こす。
一読した時は、この捉え方に気分が上がった。手という小さなものから空へと、音の波紋にのって広がる景色も綺麗だ。
誰かが毎日夜明けを導いて、街を起こしていたら面白いな、という軽さで書いた。

書くうちに、自分の発想とは違って、この俳句がとても真摯なものだと思うようになった。
例えば、こだまに「木魂」という字が当てられているところ。きっと山に近いか、木に囲まれている場所なんだろう。
こだまは、ただの音の反響として捉えられていない。木の精霊のような意味が重ねられている。木や空も、ただの物や空間ではなくて特別な意味を含んだものとして、描かれている気がする。

それから、夜が明ける前に一人で起きて、手を打つという行為。
柏手を打つ時に、作者が考えていることは分からない。今日が良い日になりますようにかもしれないし、もっと別の内容かもしれない。
ただその柏手は日常的で、心のこもった祈りなんだと思う。

もし作者が周囲の自然に魂があると思っていて、心を込めて祈る人なら。
柏手を打った直後に、夜が明ける。この現象が起きた時、祈りが、木々や空に通じたように見えるのかもしれない。作者と自然がつながった瞬間を、俳句に切り取っているのかもしれない。

『夜明け』
覚めきらない身体をひきずってベッドからでた。部屋の電気をつけないまま水を飲み、ベランダのガラス戸を引く。足でさぐりながら靴を履いて、庭に出た。冷たく潤んだ夜気で呼吸を整えながら、両腕を宙に差しだす。
手を叩いた。両手を一息に合わせて音を鳴らす。
手を叩いた。よく響くように両手を少しずらして打ち合わせる。
3回叩いたところで、夜が揺らいだ。距離感のない均一な闇に濃淡ができる。
4回目。地上高10メートルで電線が震えた。青闇が透き通っていく。手を打つ音の波紋が消える前に、辺りの木々で鳥の羽ばたきとさえずりが始まった。
5回目。生け垣のつつじから花粉がはじけた。流れる冷気に花の香がとけだす。住宅街に広がる細道の上を、手を打つ音が隅々まで走っていった。
6回目。東の空から光が漏れた。電線に日光が閃き、何本もの地平線が空中で交差した。
7回目。完全に日が昇ったのを確認して、部屋に戻り二度寝した。

【音楽】BlackY

BlackY『Kaguya』

ピアノのBGMをランダムに流していた時に、入ってきた曲。それまで続いた穏やかな癒し系の曲と違い、ぜんぜん聞き流せなかった。

タイトルやアルバムのイラストからして、すごく物語がありそうなんだけど、それとは関係なく、音の動きや質感に惹かれた。

この曲は、ジェットコースターみたい。
テンポと曲調の変化が激しい。Aメロ、Bメロ、サビという構成だけど、2番以降も予測しづらい。来るぞ来るぞという感覚と、不意を打たれる感覚が繰り返される。

飛び込んでくる効果音のせいもあるけど、流星群を連想する壮大な印象。
音量の変化は大きくなる小さくなるというより、近よる遠ざかるという感じ。音の流れが実体化しているみたいに距離感があって好きだ。手前と奥というふうに、音の間に大きな空間がありそう。

曲中にある主な音の流れ。
ひとつは破壊的な感じの、激しい低音のメロディ。もうひとつは清らかで繊細な、高音のメロディ。
この音の流れが、メインとサブで入れ替わったり、衝突して合体したりするイメージ。
特に1番のサビの前。叩きつけるような不協和音が駆け上がっていく瞬間。
火花でも散りそうな音のぶつかり方だ。

他にも、端っこに転がり込む高くて細かいリズム。
果てしない軌道を描いて、接近し遠ざかる効果音。
銃撃みたいに、たまに連続するビート。

縦横無尽に音が飛び交う。めまぐるしくて、歌詞のない曲のわりに飽きない。

次々と転調していく後半。
ばらばらになるんじゃないかというほど加速していき、すべてを吸い込むように、シュッと無音になる瞬間が、何回かやってくる。

この無音は、聴き落としたくない部分。

『ピアノの宇宙』
ステージの上で、鋭く息を吸う音がした。

直後、弾が胸に食い込んだ。
ピアノから撃たれた、音の弾だ。
響きが消えても、胸に感触が鈍く残る。

ピアノは黒い戦車だった。
息を緩める間もない。連打し、連射される音はホールの壁や天井に跳ね返り、四方からも飛んでくる。

透き通った音の粒が、なめらかな流れをつくり始めた。空間を貫く銃撃に交り、それは観客の頭上で渦を巻く。
重いビートが衝突した。弾ける不協和音。
見えない流星群は、衝撃で飛び散った。かと思えば、凝縮し、また新たなうねりが生まれる。

ピアノから放たれる音の宇宙。
吸い込まれないよう、観客は座席につかまっている。
旋律は加速しながら巻き上がる。
ホールの震えが最高潮に達する時、一際重いビートの隕石が。

隕石が砕けた。渦が散った。と同時に、観客席に重力が戻る。

音の破片が降り注ぐ中、
ステージには、ピアノだけが残されていた。

【絵】東京幻想

東京幻想『東京幻想作品集』

東京が緑に覆われ廃墟と化した街並みの画集。有名な場所がリアルに再現され、非日常な姿を見せている。

絵を見た瞬間の印象は、ざっくりこんな感じ
・綺麗、癒される
・いったい東京に何が起きたのか

絵は、目からたくさんの情報が同時に飛び込んでくる。いろんな印象も、瞬間的にわき上がる。
同時に起こった驚きや感動に、時間差をつけるイメージでシーンを並べていった。

書きながら思い出したのは、新海誠監督の「天気の子」という映画。
その映画でも東京が緻密に描かれていた。風景を、細部まで鮮やかに印象づけらる。その分、街が変わり果てた時のギャップは強かった。
この画集では、「天気の子」でいう東京のビフォアとアフターの、アフターだけを提示された気分。
ものすごいことが起きているのに、何が起きたのか語られない魅力。

非日常というのは、2種類ある気がする。
ひとつ目は、まったく新しいものに触れた時。
ふたつ目は、馴染み深いものの、知らない姿に触れた時。

この画集のインパクトは、ふたつ目の方の非日常。
よく知っている食べ物、身近な人、街。何でもそうだけど、よく知っているものほど、イメージが覆される衝撃は、大きいと思う。
衝撃にはポジティブなものとネガティブなものがあるけど、自分が画集で受けたのはポジティブな方が強い。
街を呑みこむ自然は、都会のありがちな息苦しさを吹き飛ばす。現実とまったく違う時間が流れる東京には、爽快感すらわいた。

あと題材となった場所は、街の名所が多くて、自分の中でレジャーの印象が強い。
テーマパークに期待する感覚と似ていて、街に極端な非日常を求めているのかもしれない。
こんな東京の風景は、ありえない。だから見てみたい、という気持ちがある。

『廃駅写真家』
無人駅を降りると、駅に不釣り合いな広場と十字に分かれた広い道。かつて大量の人の流れを迎え入れ、送り出していた名残りを感じる。
交差点だったらしい場所には、見上げるほどの大樹。波打つ太い根が、網のように地表を広く覆っていた。根の間にも小さな木があちこち密集し、緑の島を作っている。
早速パシャリ。

でこぼこと隆起して崩れたアスファルトの角に、足を取られないように乗り越える。
窪みに、細く水が流れている所があった。目を凝らすと、さっとメダカの群れが泳いでいった。苔に滑りそうになりながら小川をまたぐ。
木の後ろに骨組みの見える建物。蔓と草に覆われ、割れた窓からは突き出た枝が葉を茂らせている。
歩きながら次々と写真を撮る。

広場に戻ると紫色の蝶を見つけた。苔の水を吸っている。苔に覆われているのは石像のようだ。風化しているが、犬の形をしている。最後の一枚にパシャリ。
僕は満足し、渋谷駅を後にした。

作品と作品を行き来できるアンソロジー

小説単体で面白く、さらに題材とのつながりを味わえるアンソロジー2作。

太田忠司、田丸雅智『ショートショート美術館 名作絵画の光と闇』

上記は同じ絵を題材に二人の作家が、ショートショートを書くアンソロジー。
ゴッホの「夜のカフェテラス」、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」など、名画10作を題材に競作。それぞれの作風や解釈の違いを楽しめる。

堀本裕樹、田丸雅智『俳句でつくる小説工房』

こちらは募集した中から選句され、さらにその俳句をもとに書かれたショートショート。
俳句とショートショート。それぞれの作品として純粋に楽しめ、一つ一つの句には俳人による選評も添えられている。

おわりに

自分のイメージの中に入って透けてくる、作品の新しい魅力。作品に密着し、その魅力を深掘りすることで浮き上がる、自分のモノの見方や嗜好。
作品との対話は、鏡を見ることと似ていると感じたので、鏡のアイキャッチにした。

カーブミラーは、死角になってるものを映しているから好きだ。
写真のフレームの外側の景色がのぞいていて、意外なものが写っているとわくわくする。そうでなくても、丸くゆがんだ景色はいつもと違って新鮮。探してみると、光を集めた眩しいカーブミラーや、首を傾けて佇む姿に味があるカーブミラーの写真があった。
今回は背景の空と、少し違った色を映すカーブミラー。斜めの角度って、鏡面の曲がり具合が際立つ。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?