伏木庸平/fusegi yohei

✒️ 『台形日誌』(晶文社)

伏木庸平/fusegi yohei

✒️ 『台形日誌』(晶文社)

最近の記事

浮島

百年ぶりに昼寝をした。 今日は昼寝をしよう--、朝5時に子のうめき声で目覚め、哺乳瓶片手にまだ薄暗い日曜日の空をぼんやり眺めながらなんだか唐突にそう決意したのだった。 ねぇ悪いのだけれど今日昼寝をしてもいいかな、と訊くと、いいよいいよその間わたしが見るから、と言ってくれた。 お礼とばかり昼食に空豆とアスパラガスのスパゲティをちゃちゃっと二人分つくってから、一人で寝室に向かって布団をかぶり、大いなる午睡をキメた。 百年ぶりの昼寝だった。三千年ぶりに夢まで見た。 目覚めると

    • 百日

      我が家に新しい人が来てから、だいたい百日が経った。 百日というのは短いようでなかなかに長く険しく、そのあいだこの小さな家では種々さまざまな出来事が発生し、それらをなんとか這々の体で二人ぼろぼろになりながらもひとつひとつ乗り越えてきたのだった。時には一触即発、まったく穏やかではない日々だって交えながら。 そんなこんなで磨耗した精神には感傷に浸る隙間なんてないわけで、気づけば百日という時だけが経過していたといったところであり、大人でもそれだけの月日なのだから目の前で寝そべる小さ

      • 西瓜

         瑶子さんのおなかが西瓜のようになっていてどう考えてもおかしい。知ってはいたけれど実際目の当たりにするとどう考えてもおかしい。当たり前なのだけれどよくよく考えると当たり前じゃないことが当たり前のように起こっていてこれを経由して全人類いまここにいることを思うと目眩がするほどどう考えてもおかしい。そんなことを思いながらこの長い夏のあいだ、瑶子さんと僕は冷蔵庫でキンキンに冷やした西瓜をむしゃりむしゃりと毎日頬張って、膨らみ続けるおなかを眺めていた。  おなかの西瓜はすでに尾花沢産4

        •  腹の虫の居どころがどうにも悪くて勢いで家を飛び出たものの、はてどうしようと考えてしまった。生活も仕事も四六時中いっしょ、というのは、つまらぬ気持ちのすれ違いが時としてあるものなのだ。こんな時、車というのは実に都合がよい。  厚揚げのような小さな軽自動車に乗り込むと、まだ朝だというのにシートもハンドルも火傷しそうなほど熱くて、いつまで経っても和らがないこの憂鬱な季節に向かって短く呪詛を吐いた。  急いでエンジンをかけ、吹き出し口からゴォーと吐き出される生ぬるい風で頭をクール