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 腹の虫の居どころがどうにも悪くて勢いで家を飛び出たものの、はてどうしようと考えてしまった。生活も仕事も四六時中いっしょ、というのは、つまらぬ気持ちのすれ違いが時としてあるものなのだ。こんな時、車というのは実に都合がよい。

 厚揚げのような小さな軽自動車に乗り込むと、まだ朝だというのにシートもハンドルも火傷しそうなほど熱くて、いつまで経っても和らがないこの憂鬱な季節に向かって短く呪詛を吐いた。
 急いでエンジンをかけ、吹き出し口からゴォーと吐き出される生ぬるい風で頭をクールダウンさせながら行き先を考える。と言っても答えははじめからきっと決まっていた。そう、海だ。当たり前に海しかない。
 物憂い音楽を流しながら、出勤時間で忙しなさが行き交う下道をひたすら南下した。

 藤沢の混雑を抜けて小動岬から国道134号に出ると、青絵の具を溶いたような濃ゆい空と海が突然に広がった。鎌高前と七里ガ浜付近の踏切で得意げなポーズを決めて写真を撮り合う集団を冷ややかに眺めながら通り過ぎ、やっかいな漫画が流行ったものだよね、だなんて自分には全く関係ないことに憂いながら、その先の稲村ガ崎のパーキングに車を停めた。

 稲村ガ崎の海は、いつだって寂しいから好きだ。
 隣接する由比ヶ浜や七里ガ浜が纏っているキラキラ・ウェーイ!な空気と違って、俗世に疲れた現代人がひとり膝を抱えて缶ビール片手に遠い水平線を眺めている、そんな哀愁が静かにそっと寄り添う場所なのである。正午前の海は潮が引いていつもより岩が露出しており、黒炭みたく日焼けした上裸の男性が岩礁で何かを捕まえようとしているのと、夏休みなのか岩場でぴょんぴょん飛び跳ねてる小学生二人組しかいなかった。波が岩に当たっては砕け散り、頭上ではお腹を空かしたトンビが悠々と旋回していた。
 岩を注意深く這いながら、潮が満ちていつもは行けない岬の先端へと周り、誰も見えなくなったところで腰を下ろす。右手には江ノ島と富士山、そしてうっすらと連なる伊豆半島の山々が見え、正面には伊豆大島が望めた。

 けたたましく響く波の音に混じって、突然後ろから声がした気がしたので反射的に振り向いた。

「せいっしゅん、やってますね~~~!!!」
 先ほどの小学生二人がこちらに向かって大声で叫んでいる。

「こっこは波の音が響いてるし、最っ高ですよね~~~!!!」

 青春やってる、は、まごうことなき小学生語である。そっかそっか、小学生にとって青春は動詞なのだった。そんな言葉の存在をすっかり忘れていた自分は久々に耳にしたフレーズになんだか少し嬉しくなった。それにしても、なんともませた子供たちだなあ。

「うん、そうなの青春やってるよ」
 そう答えて立ち上がり、小学生の横に腰掛ける。近くに住んでるの?と訊くと、「はい、自転車で毎日来てます!」と答えたので、稲村ヶ崎小?と訊くと、「いえ、第一小です!」と答えた。第一小がどこにあるのかは知らないけれど、きっと第一というのだから鎌倉の中心部なのだろう。極楽寺駅近くにある稲村ヶ崎小学校のことは、一度横を通ったことがあるので知っていたのだ。

「ぼくたち、由比ヶ浜に住んでるんです」
 なるほど、生粋の鎌倉っ子というわけだ。あどけなさに、どこか洗練された古都の空気を感じる。

「あの穴に入りたいんですけど、道が途中で途切れちゃって……」
 そう言いながら向けた視線の先には、大きな黒い穴があった。岬の岸壁に海に向かって横穴が掘られてあり、鳥が一羽、その穴に吸い込まれていった。入らない方がいいよ、そう彼らに言った。

「あれはね、むかし戦争で使われるものだったんだよ」
 そう言うと、小学生たちは目を丸くしてこちらの顔を見た。

「フクリュウって知ってる? ニンベンに犬の”伏せる”にドラゴンの”龍”」
「知らないです」
「いまから80年ぐらい前の戦争末期に、恐ろしい軍事作戦があったんだよ。酸素ボンベを担いで水中に潜って、頭上の敵艦目がけて爆弾つけた棒を突いて自爆する、そんな人間爆弾のことを『伏龍』って呼んだらしいんだよね。正確には酸素ボンベじゃなくて、カセイソーダって劇薬を入れた缶なんだけど」
 唐突に始まった話に、二人の表情が強張るのがわかる。
「その伏龍が潜伏する用の穴として掘られたのが、どうやらあれだったらしいんだよ。記録は破棄されちゃったから、定かではないらしいけどね。ほらあそこには四角い穴があるでしょ、あれは大砲の穴だったんだ。ここは迫る本土決戦に備えた、決死の要所だったんだよね」

 そうなのだ、稲村ガ崎はサーフィンのメッカや桑田佳祐的なきらびやかなイメージとは裏腹に、実は暗くて深い影を落とす土地なのである。中世は新田義貞の伝説で有名な古戦場だったわけだし、第二次大戦においては敵軍来襲に備える防波堤だった。そういえば、シン・ゴジラも稲村ガ崎から上陸したんじゃなかったっけか。幕府と外界との境、海と陸の境、生と死の境、あちらの国とこちらの国……歴史的にも地勢学的にも実に多層的な「境界」なのである。

 また会いましょう!と小学生たちに言われて、「そうだね、おじさんのことまた見かけたら声かけてください。また会おうね〜〜」と返し、それぞれと握手した。彼らも数年後には由比ヶ浜でウェーイってやってるのかな、なんて思ったけれど、多分彼らはそうならないような気がした。

 岩を這い上ってから振り向くと、小学生たちの姿はもう見えなくて、あの洞穴を見るとまた一羽鳥が吸い込まれていった。穴からは今もなお、現代に続く風が吹いているような気がした。厚揚げのような車に乗って、そろそろ家に帰ることにした。

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