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百日

我が家に新しい人が来てから、だいたい百日が経った。

百日というのは短いようでなかなかに長く険しく、そのあいだこの小さな家では種々さまざまな出来事が発生し、それらをなんとか這々の体で二人ぼろぼろになりながらもひとつひとつ乗り越えてきたのだった。時には一触即発、まったく穏やかではない日々だって交えながら。
そんなこんなで磨耗した精神には感傷に浸る隙間なんてないわけで、気づけば百日という時だけが経過していたといったところであり、大人でもそれだけの月日なのだから目の前で寝そべる小さな人からすればどれだけの時間に感じるのだろうか、と思う。

「でもきっと、そちら側の世界では時間なんて存在してないんでしょうね」と訊くと、口角に泡をいっぱい溜め込んだ小さな人は「アグー」と元気に答えたのだった。
「そうですか、アグーですか」と訊くと、「アグーアグー」と重ねて返して来る。
そして破顔一笑ケラケラと、ほんとうにケラケラと音を立てて笑った。



自分たちのお食い初めをやろうと思い立ち、前日から粛々と準備を整えたのだった。
定期的に泣きわめくアグーの人を交代でなんとか手なずけながら、それぞれ料理を分担する。
忙しない中でも、出来うる限りの丁寧さでもって手を動かしながら。

そうして出来たのは、尾頭付きの鯛に、筍や蓮根の煮物、蛸の香の物、蛤の吸い物、それから赤飯と梅干しである。
梅干しの横には、まん丸の「歯固め石」を添える。
これは富山の海で持ち帰ったものでその時には目の前の人はまだおなかにすらいなかったのだけれど、拾った時から自分たちの中ではなんだか「いつか来る人の魂が宿った石」という感じがしていて、日頃からことさらに愛でて祭壇に飾っていた。
乳白色の肌にほんのりとさす桃色が、いのち、という予感を呼んだのだと思う。
そのとき富山の海で石拾いに興じた僕らはその旅で、輪島、七尾、能登町、そして珠洲まで、能登半島を小さな軽自動車でぐるりと一周したのだった。鈍く輝く黒瓦をかぶった美しい海沿いの家々と、そこで過ごした時間をいま鮮明に思い出す。

蛤のお吸い物には、特別な思い入れのある昆布ではじめて出汁をとった。
これは『台形日誌』でデザインを担当してくれた佐々木暁さんが、子と本という「ふたつの誕生」を祝した際に、送ってくださった郷土の幸である。
函館近郊でしか採れないという「天然の真昆布」--。
現在流通しているのは「一等品」という養殖もののみで、天然の真昆布はもう店頭には並んでいないという。
地元の昆布屋さんが「もう店頭には出してないの…」と言いながら、お店の奥からこっそりと出してくれた最後のものである。
そんな大切なものをいただいたとき、今度生まれてくる子が無事成長した暁に、封を開けようとかねてから心に決めていたのだった。

筍や蓮根、飾り切りをした人参に里芋に椎茸、絹さやをひとつひとつ丁寧に拵え、それらを添えた変わった形状の皿の中央には、海に面した小高い山が描かれている。そしてその中腹には、小さな茅葺き屋根の民家が建っている。
江戸時代に描かれた穏やかな筆致の絵柄を目にしたとき、「今度移り住む土地の風景にそっくりじゃないか」と驚き、秘密裏に買い求め、昨年の瑶子さんの誕生日にサプライズで贈ったものである。
それを今日はじめて、桐箱から出して使ってみたのだった。


二人で旅した土地の石に、絶滅寸前の食べものでつくったお吸い物と、これからの未来を予兆する皿—。
こうして晴れて「自分たちのお食い初め」が整い、お手製の晴れ着を着せてからひととおりの儀を終えると、ようやくひとつの感慨のようなものが小さく胸に吹いてくるのがわかった。

この人は長いあいだあちら側とこちら側の境界に存在していたけれど、いまをもって、ようやく、こちら側への敷居を完全にまたいでくれたのだと思った。
消え入りそうに儚げで、だけれども原初的な美しさが宿るような危うい姿を見ることは、きっともうないのだろう。
あちらからこちらへの深い海を必死に渡ってきたであろう手足をぎゅっと握ると、その握り返す力がずいぶんと成長したように感じられた。

そんな思いを知ってか知らぬか、当人はなれない晴れ着に身を包みながら「アグーアグー」と上機嫌によだれを垂らし続けている。
「いまからゆっくり二人で食べたいから、悪いのだけれどちょっとだけ静かにしてもらっててもいいですか」と丁重に伝えてから傍らのバウンサーに乗せ、不服そうな表情を横目に、久しぶりに味わうごちそうをつついてしみじみと舌鼓を打ったのだった。

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