社会会計によるマクロ経済学 第2回「社会会計フレームワークとマネーの位置付け」
3.ミクロ的基礎から会計的基礎へ
ミクロ的基礎による現代マクロ経済学は、1990年代の日本のバブル崩壊・金融危機から続く長期停滞、1997-1998年のアジア通貨危機、そして2008-2009年の世界金融危機に際して、その予測も、原因分析も、政策的対応もできなかった。
我々が直面する長期停滞や金融危機といった現実に対応し、現代マクロ経済学に残された課題を解決するため、マクロ経済学における「ミクロ的基礎から会計的基礎へ」の転換を主張したい。
社会会計フレームワーク
社会全体の経済循環を対象とする会計的基礎、すなわち社会会計フレームワークの特徴は、以下の3点に要約される。
①ストックとフローを網羅する勘定体系と勘定連絡
マクロ変数(社会全体の集計量)として、フロー変数(例えば、国民所得、消費、投資、貯蓄等)だけでなく、ストック変数(例えば、資本ストック、マネーストック等)を勘定科目として網羅している上、勘定科目相互間での勘定連絡(会計恒等式)が多数存在する(図表2参照)。
②各制度部門間での四式簿記
各制度部門間での「四式簿記」により、SNAの勘定体系上、全ての勘定科目について「モレなく、ダブりなく」集計することができる。唯一人の「代表的個人」の「ミクロの相似拡大」ではなく、社会全体から見た取引の相手方を含む「四式簿記」によって、正確なマクロ変数の「会計的集計」を認識・測定することが可能となる。
四式簿記とは何か。
まず、SNAにおいては、ある制度部門で記録する企業会計と同等の「垂直的複式簿記(vertical double-entry)」が存在する。各制度部門、そしてSNAの勘定体系全体でも「資産=負債+資本(国富)」といった基礎的な恒等式(fundamental identity)が成立する(SNA2008, p.50)。
次に、同一の取引・事象について相手方となる他の制度部門において、SNA上、上記「垂直的複式簿記」と貸借を逆転させた「水平的複式簿記(horizontal double-entry)」が同時に成立する。
従って、上記垂直的複式簿記と水平的複式簿記を合わせて、SNAにおける簿記は「四式簿記(Quadruple-entry bookkeeping)」と名付けられている(SNA2008, pp.49-50)。
③不動のモデル構造としての会計恒等式
会計学上、「貸借一致」という意味で、「会計恒等式」が常に必ず成立する。そして、会計恒等式上の残高調整項目(BI: Balancing Item)の存在により、全ての勘定科目間の数学的相互作用を維持しつつ、多数の会計恒等式が同時的(simultaneously)に成立する。
典型例とされるのは、ストックを表示する貸借対照表上の以下の会計恒等式である。なお、図表3において、SNAの勘定連絡を通じた主な会計恒等式を示している。
SNA上の会計恒等式においては、常に左辺(借方)残高と右辺(貸方)残高を均衡させる残高調整項目として、GDP、営業余剰、国民所得、貯蓄、純貸付/純借入、そして資本(国富)といった勘定科目が存在する。
他方、消費、投資(在庫変動を含む)、経常収支(=貿易収支+経常移転収支)、その他分配に関するマクロ変数(固定資本減耗、雇用者報酬等)等、残高調整項目以外で直接観測可能かつ金額化可能なマクロ変数を観測可能変数(OV: Observable Variables)と呼ぶ。
一つひとつの取引または会計事象が発生する都度、フロー(消費や投資等)の取引額や一国経済全体のストック(資産・負債)の残高である観測可能変数が変動し、それと同時に残高調整項目(GDP、国民所得、貯蓄、純貸付/純借入、資本等)も借方(左側)と貸方(右側)の金額を一致させつつ変動し、全ての会計恒等式が常に必ず成立する複式仕訳が発生する。
言い換えれば、会計恒等式上、残高調整項目は貸借差額の計算によって解が得られる内生変数であり、他方、観測可能変数は外生変数(制御変数)として位置付けられる。従って、観測可能変数については、ミクロ的基礎による予測金額(ミクロの相似拡大)を代入しても問題は生じない。しかし、本来、会計恒等式上の内生変数である残高調整項目については、ミクロ的基礎の構造方程式による予測はまぐれ当たりの場合を除き、会計恒等式上の貸借差額の計算によって解が得られる会計的集計と一致することはない。
4.社会会計フレームワークにおけるマネーの位置付け
ゼロ金利政策と異次元緩和政策の失敗
1999年以降、日本経済はデフレに突入した。これに呼応して「物価の安定」(日銀法第2条)を目的とする日銀は1999年2月以降ゼロ金利政策を開始した。
ここでいう物価とは、フロー変数である財・サービスの「一般物価」を意味し、ストック変数である土地や株式等の「資産価格」は含まれないものと解釈されている。実際、日銀は、総務省統計局が作成・公表する消費者物価指数(生鮮食品及びエネルギーを除く総合)等の一般物価をターゲットとして金融政策を実施している。
2000年代初頭のデフレは対前年比▲1%未満というマイルドなものだったが、ゼロ金利政策の物価に対する効果はほとんど見られなかった。
そこで日銀は、ゼロ金利政策に加え、2013年4月から量的・質的金融緩和、別名「異次元緩和」政策を導入し、日銀の貸借対照表上の負債(日銀券と日銀当座預金)残高であるマネタリーベースを倍増させることにより、2年間で前年比2%の物価上昇率を目指すこととした。
その結果、マネタリーベースは2013年3月の134兆7,413億円から2022年8月の659兆7,138億円と4.9倍にまで急速に膨張した。しかし、その間、2度の消費税増税による影響を除けば、僅かにプラス1%未満の物価上昇が認められたに過ぎず、2021年にはコロナ禍の影響もあり再び▲0.5%のデフレに逆戻りした。結局、日銀のゼロ金利と異次元緩和による2%のインフレ・ターゲット政策は未達に終わった。
なぜ20年以上にわたるゼロ金利政策、10年近くになる異次元緩和政策は、デフレからの脱却に失敗したのか。
実は、銀行システム(中央銀行及び預金取扱機関)内部での債権債務関係に過ぎない日銀当座預金(マネタリーベース)は、一国経済全体の経済循環の中で流通している訳ではない。単に銀行システム内部での資金決済に使われるだけである。
現実に経済循環の中で流通しているマネーとは、銀行システム(中央銀行及び預金取扱機関)の外部に対する負債としてのマネーストック(かつてのマネーサプライ)である。そして、異次元緩和政策が実施された10年弱の間、肝心のマネーストックの増加は僅か1.35倍にとどまる。年率に換算すると3.26%の伸び率にすぎない。
異次元緩和の名の下、どれだけ日銀が銀行から国債を購入し、日銀当座預金(マネタリーベース)を膨張させようとも、現実には、銀行システム(中央銀行及び預金取扱機関)の外部に対する負債であるマネーストックにはほとんど影響を与えなかった。「デフレは貨幣現象」と考えていながらリフレ派は、信用創造の恒等式[借方]銀行の金融資産(投融資)の変動≡[貸方]マネーストック変動(ΔM)を知らなかったが故に、現実に経済循環の中で流通するマネーの総量(流通残高)であるマネーストックを増やすことに失敗したのである。
商品貨幣説と信用貨幣説
ゼロ金利政策、そして異次元緩和政策の失敗の原因は、つまるところマネーというものをどう認識し、コントロールするのか、という貨幣観の誤りに帰着せざるを得ない。
需要・供給モデルを基本的枠組みとする経済学と、複式簿記の原則を基本的枠組みとする会計学とでは、それぞれの貨幣観の違いから、財政・金融政策のあり方に大きな違いが生ずる。
商品貨幣説
アダム・スミス以来、需要・供給モデルを基本的枠組みとする経済学においては、交換を媒介する商品の一つとしての金属貨幣、つまり『資産』としてのマネーという貨幣観が支配的だった。これは商品貨幣(commodity money)説と呼ばれる。19世紀に黄金時代を迎えた金本位制も、金貨または金地金という資産を銀行券発行の上限とするという意味で、『資産』としてのマネーという貨幣観に基づくものであった。ケインズの流動性選好説も商品貨幣説の範疇にある。
商品貨幣説では、①家計や事業会社による資金需要、②マネーストックの発行主体である銀行システム(中央銀行及び預金取扱機関)による裁量的な資金供給、そして③資金需給の均衡「価格」としての金利と均衡「数量」としてのマネーストックが決定されると想定されている。
しかし、1971年8月のニクソン・ショックにより金・ドル本位制が崩壊し、完全に管理通貨制度に移行した現在、資金需給の均衡点で金利とマネーストックが決定されるという需要・均衡モデルはもはや成立しない。なぜなら、市場(需要・均衡モデル)で決定される金(ゴールド)という希少な商品の価値と、それを裏付けとしたマネーの価値との関係が切断されたからである。
信用貨幣説
これに対して、社会会計フレームワークにおいて、マネーとは銀行システム(中央銀行及び預金取扱機関)の外部に対する『負債』(債務の記録)として定義される。これは日銀の定めるマネーストックの定義とも一致する。
そして、『負債』としてのマネーストックの増減メカニズムは、信用創造に関する下記の会計恒等式によってそれこそ1円単位で厳密に表現される。
これを信用貨幣説(credit theory of money)と呼ぶ。我々がマネーと思っているものは、実は、紙幣(日銀券)や預金通帳(預金通貨)のように、単に紙に数字が書いてあるだけである。これを「万年筆マネー」(1963, Tobin)とも呼ぶ。最近のインターネット・バンキングであれば万年筆マネーですらない。単なるコンピュータ上の電子データ、すなわち「情報」である。
上記会計恒等式に従い、数学(複式仕訳)的には理論上、銀行システム(中央銀行及び預金取扱機関)は無制限にマネーストックを発行することが可能である。しかも、単なる「情報」であるから、発行コストは限りなくゼロに近いようにも見える。
マネーストックの増加に上限はあるか?
しかし、現実には無制限に信用供給がなされる訳ではない。理由は貸し手側である銀行が負担するコストの存在にある。
極端な例だが、仮に銀行(債権者)が貸出先(債務者)に対して100兆円を融資したとする。その場合、銀行の複式仕訳は「[借方]貸付金100兆円≡[貸方]預金100兆円」となるので、社会全体として見れば、[借方]銀行の金融資産(投融資)と[貸方]マネーストックが貸借同額で100兆円増加することとなる。
次に、100兆円を銀行から借入れた債務者がその預金100兆円全額を引出して(あるいは口座振替で)取引先への支払に充てたとする。支払を受ける取引先の預金口座がその銀行にはない場合、銀行は債務者の取引先への支払を決済するため、日銀から決済資金として100兆円を借入れて同額の日銀券または日銀当座預金を用意しなければならない。従って、銀行の複式仕訳は「[借方] 預金100兆円≡[貸方](日銀からの)借入金100兆円」となる。これを銀行の立場から見れば、債務者からの預金100兆円が引出されてゼロになり、その代わりに日銀から政策金利付きで100兆円の借入を行うことを意味する。このとき銀行が[貸方](日銀からの)借入金100兆円を償還するには、[借方]貸付金100兆円を早期に現金回収する他に道はない。
その結果、銀行は[借方]貸付金100兆円全額を現金回収し、[貸方](日銀からの)借入金100兆円全額を償還するまでの間、借入金残高に応じて政策金利分のコストを負担しなければならない。それだけではない。もし仮に[借方]貸付金100兆円の一部でも不良債権化した場合、銀行には膨大な不良債権処理のコスト(貸倒引当金繰入額または貸倒損失)が発生する。
従って、かかるコストを貸し手側である銀行が負担する以上、恒等式「[借方]銀行の金融資産(投融資)の変動≡[貸方]マネーストック変動(ΔM)」の両辺が無限に拡大することはあり得ないのである。
社会会計から見た日銀の金融政策失敗の原因
金利とは何か?
商品貨幣説においては、金利は、資金需給の均衡「価格」として捉えられてきた。例えば、低金利にすれば設備投資や住宅投資の資金需要と共に総需要を増加させる一方、高金利で金融を引き締めると資金需要が減少し、インフレを抑制するものと考えられてきたのである。
しかし、会計学上、金利とは、所得を生み出す損益取引ではなく、誰かの所得(または資本)を他の誰かに対して移転する資本移転取引である。これを社会全体として見れば、金利を受け取った経済主体がいるとすれば、必ずその金利を支払った別の経済主体がいるはずであって、一国経済全体のGDPや国民所得は不変である。
SNA上、金利は「所得支出勘定」の財産所得(受取/支払)という勘定科目で記録・表示される。その財産所得と「国内総生産勘定」における総需要やGDPとの間には直接的な勘定連絡(会計恒等式)は存在しない。従って、政策金利を操作する金融政策によって、「国内総生産勘定」の総需要やGDPに対して直接的な影響を与えることは(心理学的な影響は別として)不可能である。
だからこそ20年以上にわたって日銀がゼロ金利政策を継続したとしても、投資、総需要、そして物価に対して何ら影響を与えることはできなかったのである。
マネタリーベースとマネーストック
デフレの原因は複合的なものであり、経済学的にも唯一の答えがある訳ではない。伝統的には商品貨幣説に基づき「デフレは貨幣現象(monetary phenomena)」として、貨幣に対する需要が供給を上回る場合に他の商品と比べた貨幣価値が高まり、デフレになるという考え方がある。逆に貨幣の供給を中央銀行が増加させれば貨幣価値が低下し、人為的にインフレを起こせると主張したのがリフレ派である。
2013年4月に日銀が異次元緩和を開始した当初、リフレ派の経済学者はバラ色の未来を語っていた。その代表的論者である原田泰・早稲田大学教授の著書「日本を救ったリフレ派経済学」によれば、「リフレ政策とは、これまでのデフレによる弊害を解消するために、金融政策によって物価を上昇させる政策のことで、リフレーションを短縮した名称である」(2014、p.3)。「日本銀行がインフレターゲット政策を採用し、消費者物価上昇率が2%になるまで断固として国債の買い切りオペを続ければ、物価が上昇し、実質金利が下がり、景気が回復するが、景気回復につれて、物価も名目金利も上昇する」(原田、2014、p.72)と記している。
リフレ派の何が間違っていたのだろうか。実は、銀行システム(中央銀行及び預金取扱機関)内部での債権債務関係に過ぎない日銀当座預金(マネタリーベース)は、一国経済全体の経済循環の中で流通している訳ではない。単に銀行システム内部での資金決済に使われるだけである。
現実に経済循環の中で流通しているマネーとは、銀行システム(中央銀行及び預金取扱機関)の外部に対する負債としてのマネーストック(かつてのマネーサプライ)である。そして、借入(debt finance)による投資が行われる場合にのみ、社会全体のマネーストック、GDP、資本(国富)が増加し、金融面(financial)と実物面(real)の両面で一般物価に影響を与えることができる。なお、借入(debt finance)による消費の場合も一般物価に影響を与え得るが、社会全体の負債と信用リスクの増大を招くので、政策的には避けるべきである。
異次元緩和の名の下、どれだけ日銀が銀行から国債を購入し、日銀当座預金(マネタリーベース)を膨張させようとも、現実には、銀行システム(中央銀行及び預金取扱機関)の外部に対する負債であるマネーストックにはほとんど影響を与えなかった。「デフレは貨幣現象」と考えていながらリフレ派は、信用創造の恒等式[借方]銀行の金融資産(投融資)の変動≡[貸方]マネーストック変動(ΔM)を知らなかったが故に、現実に経済循環の中で流通するマネーの総量(流通残高)であるマネーストックを増やすことに失敗したのである。
四式簿記で相殺消去される国内金融資産と負債
ミクロ的基礎の代表的個人が消費財や資本財の購入のために現金預金(マネーストック)を支出したとしても、取引の相手方である消費財や資本財を売った側にその現金預金(マネーストック)が移転するだけであるから、当然、社会全体で見れば、現金預金(マネーストック)の流通残高が減少する訳ではない。
社会会計の四式簿記では、SNAの金融勘定で円建の金融資産を保有する債権者がいるとすれば、必ず同じ金融勘定で同額の円建の負債を負った債務者がいるはずである。金融資産と負債は表裏の債権債務関係にあるからである。
マネーストックは銀行システム(中央銀行及び預金取扱機関)の連結貸借対照表上の負債であるが、社会全体で見れば、これと同額のマネーストックを家計や事業会社が金融資産として保有している。その場合、一国経済全体を対象とするSNAの金融勘定(統合勘定)においては、制度部門相互間での連結消去仕訳によりマネーストックを含む国内金融資産と負債とは同額で相殺消去される。一国経済全体の資本(国富)を示す会計恒等式「非金融資産+対外純資産≡[BI]資本(国富)」において、国内金融資産と負債が貸借両建で相殺消去されているのはその証左である。