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偉大な祖父とまだ何者でもない孫の物語にやられた - 『マルセル・マルソー 沈黙のアート』


マルセル・マルソー 沈黙のアート

L'art du Silence
2022年 / スイス・フランス合作 / 88分
監督:マウリツィウス・シュテルクレ・ドルクス

文責=1世
おすすめ度 ★★★★☆


マルセル・マルソー、という名前をどのくらいの人が知っているのだろう。
ついでに筆者は20代だが不勉強ながら全く存じ上げなかった。

マルセル・マルソーはフランス出身のパントマイマーで「パントマイムの神様」と呼ばれるほどの人物だ。
白塗りの顔、泣いているようにも見える黒縁の目、よれたトップハットの上から背の高い一輪の花が顔をのぞかせる。そんな風体の道化師ビップ(BIP)の姿はどこかしらで見たことある人も多いかもしれない。

きっと多くの人にとってパントマイムと聞いてイメージするのはこのビップの姿なんじゃないかと思う。そういう意味では、マルソーを知らずとも共通認識として「パントマイム=マルセル・マルソー」ということが実は刷り込まれているのかもしれない。

この『マルセル・マルソー 沈黙のアート』はそんな彼にまつわるドキュメンタリーだ。
この手の有名なアーティストを題材としたドキュメンタリーには2種類ある。その人のことをある程度知っていないと楽しめないものと、その人を全く知らなくても大丈夫なものだ。この作品は後者なのでご安心を。むしろ初見の人ほど見に行ってほしい作品だ。

なにはともあれ、マルセル・マルソーのパフォーマンスをまずは見てほしい。彼の生い立ちや芸術家としての哲学も重要だが、なによりまず稀代のパントマイマー、マルセル・マルソーのパフォーマンスを堪能することができる。それだけでチケット料金を補って余りある!

そうも言いたくなるほどにマルソーのパフォーマンスに圧倒される。人は指先の動き一つでこうも豊かに語ることができるのか、視線の移動だけで虚空の中に確かにそれは在ると錯覚させられるのか、そして肉体一つでこれほど雄弁に生命や物質や、ついには死までも表現しうるのか。指の先まで完璧に制御された肉体、そこに表現力が溢れんばかりにほとばしる。音一つない静の空間の中、この上ないほど動的に身体が躍動する。
まさに「沈黙のアート」と呼ぶべきパフォーマンスだ。

この作品ではそんなマルソーのパフォーマンス映像を盛りだくさんに収録しつつ、彼の人生を色々な切り口から紐解いていく。レジスタンスとして活動し、父親と共にユダヤ人の子供たちが国外へ逃亡する手助けをしていた青年期、夫・父親としての姿、師としての姿、そして聾者たちにとってマルソーとはどういう存在だったかなど話題は多岐にわたる。その分、ややとっ散らかった印象は受けるが、マルソーという人物を知る入門書としては最適だろう。

彼のパフォーマンスのルーツがチャップリンにあり、その後継が誰もが知るポップスターである話など面白いエピソードが沢山あるわけだが、筆者は中でもマルソーの孫であるルイのパートに胸打たれた

祖父であるマルソーは幼い頃に亡くなってしまいあまり知らないが、人は自分のことを“マルソーの孫”として見る。母親や叔母はある種の家業としてパフォーマーの道を進んだが、自分はそこから離脱したい、だが反面で祖父の遺したものを引き継ぎたいという想いもあるわけで、ダンサーとしての道を歩み出しめたところ。

この映画はマルセル・マルソーの伝記ドキュメンタリーであることに違いはないのだが、ドラマとしての主人公はルイと言っていい。
監督であるマウリツィウス・シュテルクレ・ドルクスも間違いなくそこに思い入れ、自身を投影してもいる。

というのも、監督であるマウリツィウスはこの作品を父への想いから制作したと明言している。
彼の父はクリストフ・シュテルクレというパントマイマーで、生まれつき耳が聞こえない聾者でもある。マウリツィウスは父の世界を知るためにこのマルソーのドキュメンタリーを作ったそうだ。
つまり、この映画はとても個人的な作品でもあるのだ。

そんなマウリツィウスの個人的な想いは、偉大な祖父の影の中で葛藤するルイに重ね合わされる。そしてまだ若きアーティストが偉大な祖父を引き継ぎつつも、そこから離脱していく様は感動的だ。

マルソーの影の中で葛藤する孫のルイ

自分の道に迷うルイの姿と、今は亡き祖父の姿をカットバックしてあたかも二人が邂逅したかのように見せる演出は美しい。
そして白塗りメイクをしていく祖父と、白いシェービングクリームを剃り落としていく孫。祖父の影から独り立ちする、とても象徴的なシークエンスだ。

偉大なマルセル・マルソーの伝記映画でありながら、若きアーティストが自分の道を見つける小さな物語でもある。
伝記映画としては要らぬ寄り道かもしれないが、その部分こそがこの作品の不思議な魅力になっている。


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