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言葉を伝える
いつも秋活(終活)をメインに書いてきました。
たまには少し別のところから・・・
日常のささやかなことから幸せを感じる、という気付きになったら嬉しいです。
あなたは、人と会話するのはお好きですか?
とは言ってもここ1年ほどは、コロナ禍ということで、人とリアルに会って、対面で話をするという機会がめっきり減ってしまいましたよね?
おしゃべり好きな私も、最近は家族くらいとしか、会話をしていません。
(その家族とも、子供が成長するとともにかわす言葉も幼いころよりは少なくなったように感じます)
たまに仕事関係の人とZOOMでお話をするくらいで、何とも寂しい限りです。
私はもともとおしゃべりな人間です。
もう成人した我が子たちも、成長過程でもお口が早くて、母に「あんたの子供なんだから当たり前。口から生まれたようなものだものね」
と言われる始末(^_^;)
確かに反論できない・・・(;^_^A アセアセ・・・
とにかく私はおしゃべりが大好き♪・・・裏を返せば( 一一)
・・・黙ってるのが苦手!会話と会話の間の止まった時間(間)がダメ~~~~(ToT)/~~~
なんです(-_-;)
それで得したこともたくさんあるけど、それ以上に損したこと、失敗したことも山のようにあります。
例えば・・
●自分がしゃべりたくてウズウズして、人の話を聞いてない!(相手には伝わるものです(-_-;))
●相手がまだ話してる途中なのに、被せて喋りだしてしまってヒンシュクを買う
●一方的に喋り捲って、相手を疲弊させる
●自己中心的と批判されて、自身の評価を下げる・・etc
会話をする、おしゃべりをするという行為は、誰かと価値観を共有したり、逆に自分にはない考えを新たに知り得るという点でも、とても有意義なものですよね?
でも、口から一度出てしまった言葉は、時間と一緒で、なかったことにはできないものです。
だから「怖い」とも思うのです。
自分が発した言葉が、たとえ自分自身にそんなつもりがなかったとしても、受ける人によっては、相手を傷つけてしまうこともあります。
そのことで、大切な友人をなくしてしまうことだって・・・
気兼ねなくおしゃべりできるというのはものすごく贅沢な、貴重なことなんだなと、様々な経験を経て感じました。
そんな中でも言葉は、時には温かく包んでくれるお布団にも、時には鋭い刃にもなり得るもの。
それでも私はやっぱり、言葉を持っていること、喋ることができる人間であることを、有り難い幸せなことだと思っています。
だからどうせなら、誤解を与えることなく、自分の思いを相手にちゃんと伝えられる言葉を扱える人間でありたいです。
コロナ禍において、気兼ねのないおしゃべりが難しくなっってしまった今こそ、思いをちゃんと伝える、受け取るためにも、文字で伝えることというのを考えてみたいと思います。
次回は、ちょっとした「物言い」についてお伝えしたいと思います。
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