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「この職業向いてなさすぎる…?」新卒一年目で挫折した話③[初めての配属先編]

こんばんは。Fruitです。
皆さん、今日もお疲れ様でした!4月の2週目まもなく終了しますが、新しい環境や体制に慣れてきましたでしょうか?
私は昨晩なかなか眠りにつくことができず、ほとんど仮眠を繰り返したような状態になってしまったので、本日は心身ともに元気がない状態です。
新しい案件のお話も見送りになってしまい、不安が募ります…。

さて、本日もお仕事についてお話していきます。
今回はタイトルにある通り、新卒一年目で挫折した話の本題に入ります。
本題に入るまで長くなり、申し訳ございません💦
今回はかなり長くなってしまいましたが、ご容赦くださいませ。
前回の記事はこちらになります。もし良ければお読みください♪

初めての現場配属はとても孤独

前回お話しした通り、5月中旬頃から現場配属されることが決定しました。
配属先はネットワークエンジニアらしくとある通信事業者様で、24時間365日シフト制の保守・監視業務。
私は面談するまでその通信事業者の名前を知りませんでしたが、業界内ではかなり有名で、昔からある企業様なんだとか。

初日はリーダーと挨拶を済ませ、PCセットアップなどの入場手続きを行いました。
ここでまず初めに感じたことが一つ。
新人が来たらメンバーみんなの前で紹介され、挨拶する場をいただけると思っていたのですが、ただ席を案内されただけでした。
その日は研修担当になる同じ会社の先輩が近くにいたので、その先輩にお話を聞いたところ、基本的に新人が配属されても紹介や挨拶をしないとのことでした。
エンジニアらしく人に無関心な方が多く、業務で関わる中で顔合わせをお行い、徐々にチームに馴染んでいくものだそうで。
「ただ、新人が入ることは事前に情報が出ているし雰囲気で気づくので、あまり気にしないで!」と言われました。
私は今まで新しい組織に入る際は、紹介なり挨拶を行うものだという認識があったので、かなり衝撃を受けたことを覚えています。
世の中の職場ってこんなもんなのかな、と軽くカルチャーショックを受けました。
(実際はその職場が特殊なだけでした笑)
最初の一か月は座学研修だったので、与えられた課題や作業マニュアルの読み込みとテストを主に行いました。
この期間、研修担当の先輩やリーダー以外とたまに話すだけで基本放置状態で、チームから孤立しているような気分になりました。

座学研修が終わり、実務研修が始まる

一か月の座学が終わり、ついに実務研修が始まりました。
実務研修は、先輩の横のデスクに座って対応を見学したり、簡単な業務を先輩からレクチャーを受けながら進めていきました。
ここでようやく研修担当以外のメンバーや、同じく研修生(私より数か月先輩)の方と話す機会が増えてきました。
業務を始めてまず感じたことですが、マニュアルや決まりごと絶対遵守の風潮で、やたらと確認業務が多い、ということです。
特にメールに関して決まりごとが多く、社内メールであってもWチェックを行わなければなりませんでした。
お客様へのメールに関してはかなり厳重で、一度試験用のアドレスに送付後、システムからGoサインが出たら再度Wチェックを仲間内で行って送付するという、トリプルチェックが必要な状態でした。
機器の調査に関しても、設定内容に影響を与えないshow系コマンドですら、①コマンドをマニュアルからコピペ→②メモ帳に貼り付け→③2回以上はページ内検索(Ctr+F)で確認→④Tera Termに貼り付け→⑤Tera Termに張り付けたコマンドをコピー→⑥最後もう一度マニュアルでページ内検索(Ctr+F)→⑦Enter!という長すぎる流れ。
なぜこんなに煩雑な手順なのか聞いたところ、歴史が長い企業なので今まで数多くのインシデントやヒヤリハットがあり、その度に防止策を取り入れたところ、一つ一つの作業が複雑なものになってしまったそう。

作業自体は単純なのに、それに伴う確認作業や手順が複雑で、少しでもマニュアル外の行動をしたら注意を受けてしまいました。
私はせっかちで大雑把な性分で、一連の作業のうち最低限の確認を済ませたらすぐ実行してしまいました。
ケアレスミスも多かったので、先輩から頻繁に注意を受けました。
また、会社自体がチャット文化であること、業種柄エンジニア気質の方が多いので見て学ぶスタンスが強かったこともあり、人間関係が希薄で、コミュニケーションを大切にする自分にとってはやりづらさを感じていました。

もう配属2か月の時点でストレスがかなり溜まり、業務内容も人間関係も不安が募る一方でした。
チームの人は普通に適応しているのに、なぜ自分はできないのか。
新人だから出来ないのは当たり前かもしれませんが、当時は不満が溜まってしまい、仕事に関する全てが大嫌いになってしまいました。

地獄の3か月連続夜勤

3か月目からは、夜勤での研修が始まりました。
夜勤で研修する理由としては、1つ目に若手は夜勤勤務が基本的に多くなること、2つ目に人手が足りないので比較的暇な夜勤帯で面倒を見たいとのことでした。
夜勤は夕方18時から翌日の10時までの勤務で、とりあえず約1か月半程度はシフトがフル夜勤で研修するとのこと。
しかし、結果的には7〜9月の3か月間、全てフル夜勤になりました。(笑)
当時人手が本当に足りておらず、それを補うために新人を何人か入れたものの、教育する余裕がなくて忙しい日中帯になかなか戻すことができなかったのです。
夜勤は暇な時間が多かったですが、相変わらず仕事内容や職場の環境に適応できませんでした。
夜勤は基本二人組となり、毎回先輩が自分についてくれましたが、長時間二人きりで作業をしてコミュニケーションするのは気疲れがひどかったです。
話しやすい先輩なら良かったですが、話しかけにくい先輩の場合お互いが気を遣ってしまい、気まずい雰囲気を過ごすことになります。
3か月のフル夜勤を行い、体に大きな異変はなかったものの、精神的に不安定な状態になりました。また、夜間帯作業で意識が朦朧としてしまい、ミスを繰り返してしまったこともありました。

その後の決断

徐々に、自分がひどく社会不適応な人間に思えてきました。
面倒くさい手順であっても職場の先輩はできているし、自分だけストレスを感じてしまってできない。受け入れられない。それは自分が不出来だから、と。
この気持ちをインターネットの検索欄に打ち込んだ時、一番最初にヒットしのは「ADHD」という結果でした。
現代では、この言葉を聞いたら多くの方が何を指すか思い浮かぶと思います。
注意欠如、衝動性が自分には備わっていると強く思い込んでしまい、次第に「自分はADHDで、正確性を求められる作業には向かないんだ」と思い込んでしまいました
その後、心身ともにどんどん不調になっていきます。
やがて出勤することが本当にしんどくなり、精神科に行ったところ「適応障害」と診断されました。
自社の営業に相談し、直ちに配属先を離任する運びとなりました。

今思うと、精神状況がかなり追い込まれていて、どんな手段を行使してでも配属先を離れたかったのです。
「私は社会不適合者だ」と勝手に思い込み、精神疾患に自分自身で追い込むことで、安全を確保しようとしていました。

結果、配属先を離れて自社に戻ることになります。
その後救われることがありましたが、今回はここで終わらせていただきます。
長くなってしまいましが、ここで一気に振り返らせていただきました。
次回は明るくなると思うので、最後まで振り返りできればと思います!!

それでは、まだ次回。


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