見出し画像

【Q8】倉橋島・鹿島の最先端を目指す


1.呉駅前から倉橋島まで(広島電鉄バス)

 呉市内のビジネスホテルで目が覚める。
 広島県に来たついでに、どこかを観光しようと思い、昨日は呉市内の博物館施設等を見て回った。今日は早朝の呉駅前からバスを乗り継ぎ、倉橋島とその先の鹿島に行ってみるつもりだ。
 この二島は瀬戸内海の島だが、橋梁で本州と繋がっており、平成の市町村合併を経て、現在は呉市の一部となっている。全く未知のどこか珍しい場所はないかと、昨晩地図を探して、ほぼ無作為に決めた目的地だ。
 身支度を調える。異変に気付く。スマホの電池が20パーセントを切っている。就寝時にコンセントに差しておいたのだが、むしろ昨晩より減ってしまっている! 原因は不明だが、仕方が無いので今日一日はバッテリーに接続したまま持ち歩くこととした。

 まだ暗い一月の朝を、呉駅まで歩く。そこまで寒くない。乗る予定のバスの発車時刻まで少し時間があるのでコンビニを何軒か覗き、酒とツマミを調達する。持ち運びしやすい、小ボトル入りのバーボンを選ぶ。

 呉駅前バスターミナル、広島電鉄バス桂浜方面行きの乗り場には、まだ暗い内から既に行列が出来ている。日曜の早朝だというのに、意外だ。それほど人の往来が活発な地域なのだろうか? この路線の終点、倉橋島南岸の桂浜まで乗り通し、その先はコミュニティバスに乗り継ぐ予定だ。


 三日月が浮かんでいる。撮影し、「呉のクレセント」とSNSに書き込んだが、誰からも何の反応も帰ってこない。日曜の早朝なので当然だ。サムイ。
 バスが来た。乗車する。バス旅において、自分が最も好んでいる最後部左側の窓際席は、既に取られている。仕方が無いので右側に座る。進行方向右側は、海側になるはずなので、まあこれでも良いかと思う。
 
 定刻通り、6時50分発車。桂浜行きのバスとしては、朝から二番目の便であり、始発ではない。一便目は6時丁度発だ。
 三日月に見送られ、駅前ロータリーを曲がる。払暁の呉の街をバスは進んで行く。メインの大通りをしばらく真っ直ぐ進んだ後、海上自衛隊基地や、関連施設が並ぶエリアを走る。旧海軍時代からの基地の街なので、車内放送で知らされるバス停の名称も「教育隊前」「総監部前」等、それっぽい。

 次いで「IHI前」。造船企業だ。海側の車窓には、巨大なクレーンの群れが、その姿を夜明けとともに高々と誇示する。かつて戦艦大和を建造したドックには、壁面にその旨が大書されている。

 やがて海が見える。「潜水隊前」というバス停を通過する。他の街では、まず聞くことが無い停留所名だろう。本当にその名の通り、港湾施設に停泊している潜水艦群が、車窓から見える。この街ならではのレアな風景であり、そのことが自分を満足させる。
 造船の街に相応しく、製鉄所がある。休日の早朝ということもあって、ここまでどのバス停でも乗り降りする者はおらず、バスは淡々と通過してきたが、停留所「日本製鉄前」でバスは停車し、少し時間を調整した。
 
 しばらく走ると、海自施設と関連企業のエリアを抜け、住宅エリアに入る。「鍋桟橋」という、バス営業所に隣接したバスターミナルに停車。路線バス達はここから、各方面へ向かう。

 トンネルを抜けると、車道はやがて螺旋を描いて高度を上げていく。本土と倉橋島を結ぶ、音戸大橋を渡るためだ。高速道路のインターチェンジのようであり、陸側からレインボーブリッジを渡る際の、ゆりかもめのループ線のようでもある。
 この橋は非常に高く造られており、眺望が素晴らしい。海岸線の至近距離まで山地が迫っている地形が、この高さを可能にしていると思われる。

 北側には新しい橋梁、第二音戸大橋が見える。撮影していると、直下の海峡をタイミングよく小舟が通って行く。ちょうど夜明けの時間帯で、朝陽を浴びた海面に白い航跡が美しく映える。早起きした甲斐があった。また、始発のバスではなく、この二番目のバスに乗ったことも、結果的に好判断であった。日の出の時間やバスが橋を渡るタイミングを、計算したわけではないが、最高の景色を見られたと思う。

 橋を渡り終えると、再びグルグルと螺旋を描いて降下していく。何周もする。その間、バスが発する自動音声は、ひたすら「右に曲がります」を連呼する。乗っていて面白いが、車酔いしやすい人にとっては、大変だろう。

 倉橋島に入ってしばらくの間は、島の東側の海岸線に沿って走る。進行方向左手が海側だ。瀬戸内の海と島々が朝陽に照らされている。

 やがて道路は海岸を離れ、内陸部を走り始める。道路沿いには、ポツポツと商業施設の姿を見かける。金融機関としては、地元の信用金庫がある。三大コンビニは、全て存在している。自動車販売店の数が存外に多いが、いずれも小規模だ。
 島側のバス停では、少しずつ客が下車していく。
 車内には南アジア系と思われる若い男性が居たが、途中で下車した。旅行者では無い様子だったが、この島に職場があるのだろうか?
 長いトンネルを抜けてバスは倉橋島を東西に横断し、島の反対側、西側の海岸線に出る。ここから先は、私が座っている右側が海岸線だ。海のすぐ近くにまで山地が迫っているため、本当に海際の僅かな平地を辿って道路が走っている。これを待っていたのだ。新春の瀬戸内の、穏やかな多島海が車窓を流れていく。山陽の「陽」の字が本当に相応しい明るさだ。良い気分だ。

 7時59分、終点桂浜・温泉館着。日帰り温泉施設「桂浜温泉館」の、すぐ脇にあるバス停だ。

 人が多い。この地域は、近隣の山に挑む登山者の拠点となっているらしく、それらしい服装をした高齢者のグループが、既にスタンバイしている。また、今日は、マラソンか駅伝か、何かの長距離走の大会が開催されるらしい。ジャージ姿の学生の小集団が、そこら中に居る。賑やかだ。

2.倉橋島から鹿島の南端まで(呉市コミュニティバス)

 温泉施設の隣には、図書館や公民館が入った呉市の生涯学習施設がある。コンクリート造りの立派な建物だ。既に開館しているので、館内のトイレを借りる。清掃の行き届いた、綺麗なトイレであった。係員の女性から挨拶をされたので、こちらからも爽やかに挨拶を返す。

 ここから先は、呉市のコミュニティバスに乗って進む予定だ。発車時刻は8時40分。時間に大分余裕がある。

 景勝地として案内されている桂浜に出る。松林を抜け、鳥居をくぐると砂浜が広がる。穏やかな波の音。大きさも形もそれぞれに異なる多数の島と陸影が、幾重にも折り重なって海を囲むように浮かんでいる。その姿は薄く白く霞がかっている。

 砂浜自体は、それほど広くもないが、島々を遠景に悠揚と進んで行く大小の船を眺めていると、良い気分になる。雄大さや豪快さは無いが、樹々に囲まれた庭園のような安らぎと安心感がある。(現実は順序が逆で、このような多島海の穏やかな景観から、中世の庭師や建築家はインスピレーションを得て、日本庭園を造ったのだろう)。

 波打ち際まで進み、波に指先を触れる。冷たいが、思ったほど冷たくない。出発前に買ったバーボンのミニペットボトルを尻ポケットから取り出し、グビリと口に入れる。ジムビームだ。
 
 黄緑を基調としたカラーリングのマイクロバスが、桂浜のバス停に入って来る。鹿島方面へ向かう、呉市のコミュニティバスだ。車体には「呉市生活バス」と書かれている。今からこのバスに乗り、終点の宮ノ口という停留所まで乗り通す。
 呉市の本州側と橋梁で繋がった江田島、能島、倉橋島地域を総称して「江能倉半島」と呼称し、地域振興において「半島振興法」という法律の適用を受けているという。鹿島は、その江能倉半島の最南端の島であり、公共交通機関を用いて到達できる、広島県の最南端だ。
 定刻通り8時40分に発車。男声の自動アナウンスが「今日も倉橋交通をご利用頂き、ありがとうございます」と挨拶をする。次のバス停は「倉橋給食センター前」だ。

 カーブと起伏が多い倉橋島の南の縁に沿って走り、鹿島に渡る橋を目指す。乗客は少なく、途中のバス停には、ほとんど停まらない。起床時から充電を続けてきたので、スマホは大分充電できた。車窓に向ける。
 「鹿老渡」というバス停がある。「かろうと」と読む。

 鹿島に渡る鹿島大橋も、やはり高所に架かっている。車道は大きくカーブを描いて走行距離を稼ぎつつ、高度を上げていく。

 9時01分頃、鹿島大橋を渡る。橋上から眺める午前の瀬戸内は爽快だ。橋の塗装は白。鹿島大橋は短く、すぐに渡り終えてしまうのが残念でならない。

 鹿島を走る。やはり進行方向右側が、海岸線だ。年代を感じさせる木造建築が多い。歩行者の姿は殆ど見当たらない。途中、野菜の無人販売所らしき建物がチラリと見えたが、確認する前に通り過ぎてしまう。
 沿道には時折ガソリンスタンドの姿がある。生活に必須のインフラだ。

 進行方向右側に海と岸壁とテトラポットを眺めながら進む。9時06分、「はえのもと」というバス停に停まり、客が下車する。「砠之元」と書いて「はえのもと」と読む。難読地名だ。歴史的、民俗的な由来が何かあるのだろう。

 9時11分、このバスの終点、宮ノ口に着く。漁港と段々畑に挟まれた集落の、最奥のバス停だ。

 小さな待合室で、男性が一人待っている。私が乗ってきたバスは、さらに少し先に進み、漁港の隅に設けられた折り返しスペースで方向転換を行う。戻ってきたバスは、待合室の男性を乗せて走り去る。後には私だけが残される。 
 車はこれ以上先には進めないが、とりあえず、歩けるところまで歩いてみよう。細い道を集落の中へ進み、段々畑の方を目指す。

 鹿島の段々畑は、観光地として全く宣伝されていないわけではないが、情報量は極めて少ない。グーグルマップをチェックしたが、星四つをつけたバイク乗りのコメントが一件あるだけだった。その段々畑を見に来るとしても、今は全くのオフシーズンだろう。

 鹿島はごく小さい島だ。坂道を登り、また降りると、島の反対側の海岸に出る。コンクリートの護岸壁の階段を降りると、ごく狭い砂浜がある。

 ジムビームを再び取り出す。ジムビームは、特に好きな銘柄と言うわけでもないが、とにかくこの容器が素晴らしい。尻ポケットに入る形状で、なおかつペットボトルなので軽くて痛くない。カップ酒ではこの条件を満たさない。
 絶景だ。周囲に人間は、自分しか存在しない。本当に孤独で、本当に誇り高い瞬間だ。寒いが、寒さを感じない。海鳥を相手にバーボンが進む。

 穏やかな海を、静かに船が進んで行く。
 海の向こう側の陸地は、瀬戸内海に浮かぶ別の島だろうか? それとも四国の陸塊だろうか?

 海岸沿いの歩道が尽きる所まで進んでやろうと思い、歩き始める。海側に向かって緩やかな弧を描く道の、その曲線美の中を進む。
 カラスが居る。海鳥とカラスとで、縄張りが重なったりしないのだろうか? カラスの側は雑食で、農作物から魚の死骸まで何でも食べそうだが、海鳥の側は果物を食べたりするのだろうか?
 爆竹を鳴らすような音が聴こえた。鳥除け、もしくは獣除けだろう。

 野生動物捕獲用の、檻型の罠が設置されている。かなり大きい。中には柑橘類が置かれている。鹿か、猪か、猿が出るのであろうか? まさか、熊ではないと思いたいが……。
 進むに連れ、山側から生える藪の勢いが盛んになり、歩道を圧迫するようになる。そして、遂に道が尽きる。正確に言えば、道そのものはもう少し続いているのかもしれないが、完全に藪に埋まってしまい、これ以上は物理的に進めない。

 ここが、今日の終着点だ。僕だけのパワースポットだ。広島県呉市、鹿島南岸。正確な住所は分からない。おそらくは、陸地から、普通人が公共交通機関と公道とを用いて到達可能な範囲における、広島県の最南端の地面であろう。(この地点よりも更に南に無人島は存在しているが、到達するためには漁船をチャーターするか、自ら航行手段を用意するか、さもなくば泳ぐ必要があるだろう。)

 スマホのアプリを使って、緯度・経度を表示し、スクリーンショットを保存する。北緯34.0478000。東経132.528823。このスクショを撮影した10時04分を以って、今回のクエスト「倉橋島・鹿島の最先端を目指す」の達成時刻としたい。

 この旅には、物語性も象徴性も無い。ただ新春の多島海の、光と風と美があるだけだ。最終地点において獲得したのは、GPSによって送信される無機質な座標情報だけだ。そんな抽象的で、純粋な旅路があっても良いだろう。

3.桂浜温泉に浸かる

 来た道を引き返し、宮ノ口バス停の付近に戻る。バスが来るまで、まだ時間がある。船着き場の最先端まで歩き、集落を撮影する。消防車が一台やってきて、消防団の小さな車庫に入庫した。

 定刻通りにバスがやって来る。今度のバスは、白いボックスワゴンを改造した車だ。車内は三列シートに改造されている。乗客は私以外には老婆が一人。ゆっくりと撮影する間もなく乗車を促され、即座に発車する。
 11時12分、宮ノ口発。帰路も真剣に車窓の撮影を試みるが、早朝から動き回った疲れが、ここに来て出てくる。ついつい居眠りをしてしまい、断片的な画像しか残せなかった。

 11時45分、桂浜着。温泉施設「桂浜温泉館」が営業している。入る。ロッカーが充分にデカく、私の荷物も冬物のコート類も全て余裕で入る。良く出来ている。私のように荷物の多い旅行者に配慮し、また隣接するスポーツ施設の利用者のことも考えているのであろう。

 泡風呂、打たせ湯、露天風呂等に一通り浸かる。賑わっている。老人も勿論居るのだが、学生の姿が多い。おそらく、午前中にこの近辺で行われていた、駅伝大会か何かの参加者達だ。今回の反省会を、湯船の中で車座になって熱心に行っている。文科系サークルでも、体育会系の部活でも、変わらない風景だ。青春だ。

 温泉施設内には、飲食店がある。安い。メニューも、ごく普通の食堂のようだ。おそらく、観光客からボッタくるのではなく、近隣の図書館や体育館の利用者が、日常的に使える価格に設定しているのだろう。ツマミとしてすぐに出てきそうな冷奴を頼み、ビールと共にたしなんだ。〆にはうどんを食べた。西日本なので、やはりうどん文化圏だ。

 一階の土産物屋には、遣唐使船の模型が飾られている。水上交通の街であることを感じさせる。

 隣の生涯学習センターには、各種市民講座、文化イベントのお知らせが貼られている。東京都区部の同種の施設と、全く同じ風景だ。海自基地や、付随する巨大企業からの税収で、呉市は財政的に余裕があるのかもしれないなと邪推した。 
 近隣の観光案内所を覗いたが、無人であった。OPENの札がぶら下がっていたが、誰も居ない。 

 時間があったので、桂浜神社に参拝する。重要文化財だという。

4.追加クエスト「第二音戸大橋を歩いて渡る」


 13時59分、桂浜温泉館バス停を発車。朝来た道を戻る。西海岸をしばらく走った後にトンネルを抜け、東海岸に出る。東海岸の海は、往路では充分に撮影できなかったので、ここは頑張って撮影したい所だ。

 良く晴れている。船着き場には多数の漁船。洋上には養殖用の筏が整然と並ぶ。おそらくは、牡蛎と思われる。
 この、上り方面のバスは、出発時から多数の高齢者を乗せている。世間話を延々と続け、車内は常に微妙に騒がしい。

 海岸線に沿ってしばらく走ると、東側の車窓には音戸大橋の朱い橋梁が見えてくる。
 来た道を、全く同じように帰るのはつまらない。車内放送で「次は清盛塚」という音声が流れる。「清盛塚」と言うからには、それに相当する史跡が何かあるのだろう。何も考えずに、反射的に停車ボタンを押す。

 14時31分「清盛塚」下車。付近に観光案内施設があるので、係員に話を聞く。倉橋島と本州を結ぶ渡し舟「音戸の渡し」は数年前に廃止になったとのことだった。バス停名になっている清盛塚は、護岸壁の海側にあるため直接近づくことは出来ないが、この建物の二階のテラスから眺めることが出来るという。そうする。石壁で四角く区切られた海上の敷地に、松の木が植えられている。ほとんど島のようであり、確かにこれでは、陸側から入ることは出来ないだろう。

 この倉橋島と、本州との間の海路は、平清盛が切り拓いたという伝承が残されている。元々は浅くて狭く、船舶が通航出来なかった海峡を、土木工事を行って開削し、航行可能としたのだろう。話が膨らんで伝説化され、神通力や超能力のような力で海が拓かれたことになっている。いずれにしても、瀬戸内地方の海洋民にとって、清盛は尊崇の対象であることが感じられる。

 現在、本州と倉橋島の間には、二本の橋が架けられている。新しい巨大な北側の橋、第二音戸大橋は、歩いて渡れると係員に教えられる。ただ、橋に辿り着くまでにかなりの距離があり、登るのが大変だとのことだ。
 
 上等だ。この旅の最終クエストに相応しい。そこまでの道順を尋ねる。道なりにしばらく歩くと、進行方向左手に登り口があるとのことだ。
 土産にカップ酒を買い、14時56分、観光案内施設を出発。教えられた道なりに歩き、古い方の音戸大橋の下をくぐっていくと、四国方面へ向かうフェリーとすれ違う。この船がこの海峡を通れるのも、清盛のおかげなのかもしれない。

 「清盛スポーツクラブ」と書かれた横断幕を目撃する。清盛は本当に地域の人に愛されているようだ。
 上り方面のバスに追い越される。

 第二音戸大橋の真下に至り、その橋脚、構造物を見上げる。至近距離で見ると、予想以上に巨大で迫力がある。豪快だ。赤色の塗装が、その豪快さを更に強調している。山陰本線の、旧餘部鉄橋を思い出すが、当然ながらこちらの赤の方が、より新しくより鮮やかだ。
 山道を適当に登り、橋まで辿り着く。登れば良いだけなので、特に迷わない。橋のすぐそばに、ドライバー用の小さなレストランと、展望スペースがある。展望スペースから本州の方向を眺めると、呉の街と造船所が見える。造船所やドックのクレーンは遠目に見てもやはり巨大かつ勇壮だ。

 持参した双眼鏡は安物だが、護衛艦の姿も確認できる。広くて平らな甲板の形状から、おそらくは空母型の護衛艦だろう。自分は軍事知識に乏しいので、船名までは分からない。スマホで拡大して、撮影する。
 高性能の双眼鏡や撮影機材があれば、海自基地や、停泊している艦船の様子も、より詳しく観察できるだろう。或いは、現在呉で建造中の巨大コンテナ船も、見ることが出来ただろう。この船はデンマークの海運会社、マースクが発注したもので、ニュースにもなっている。同社は海運業世界最大手であると聞いている。
 右奥には、広島の市街地もうっすらと見える。

 橋を渡る。鉄骨を仰ぎ見ながら歩く。朱い鉄骨と、一月の青空と、白い雲。トリコロールの三色がバランス良く配された絵画的な構図。グビりとジムビームをキメる。橋上は風が強いが、酒の恩恵か、余り寒さを感じない。バフ効果だ。

 半ばを過ぎたところで、橋の下をくぐる船を見つけたので、戻りながら慌てて撮影する。航跡が洋上に描くカーブが白く美しい。往路のバス車窓からも、同様の風景を見たが、何度見ても良いものは良い。爽やかな気分になる。
 清盛塚が、極端に海に近い、ほとんど海上の場所に築かれた理由が、何となく分かったような気がしてくる。清盛が切り開いたというこの海峡を、清盛自身に見守って欲しい、往来する船と船乗りを守護して欲しいという祈念を込めて、清盛塚はあの位置にあるのではないか。泉下の清盛は、陸ではなく常に海を見ている。
 清盛がこの海峡を拓いたとされるのは、平安時代。早朝に渡った音戸大橋が竣工したのは戦後。今私が立っているこの第二音戸大橋は、二〇一三年の竣工で、平成時代の後半、つい最近のことだ。実に八〇〇年の歳月を経て、この海峡にこの立体交差は実現し、その上を、自分は今歩いている。そう考えると、浪漫がある。かなり酔いが回って来たなと思う。それにしても、瀬戸内を走る船は思ったより速い。酒が減るのも速い。

今回のクエスト「倉橋島・鹿島の最先端を目指す」の行程

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

詩的散文・物語性の無い散文を創作・公開しています。何か心に残るものがありましたら、サポート頂けると嬉しいです。