見出し画像

サンディアゴ・デ・コンポステーラ巡礼

 これは僕が令和元年6月下旬にサンディアゴ・デ・コンポステラの巡礼証明書を獲得するために爆速(2日と2時間)で113kmの徒歩巡礼をした話の備忘録であり、オチのある話ではない。

サンディアゴ・デ・コンポステーラ

 サンティアゴ・デ・コンポステーラとは、スペイン北西端部に位置するガリシア州の州都である。
 時は遡り紀元1世紀半、もともと漁師であった聖ヤコブがキリストに従う。その後十二使徒の中で初めての殉教者となりその遺体を弟子二人が石の船で運びこの地に埋葬された。そして時は過ぎ九世紀、星に導かれた羊飼いがこの地で聖ヤコブの墓を発見し聖堂が立てられ教会ができたといわれている。

 聖人の遺骸や遺品の総称である聖遺物は奇跡を起こすことから、中世には巡礼が盛んになり多くの人が向かった。

 イスラム教の伝統では、その信者は皆、ムハンマドがメッカからメディナへ行った(聖遷)のと同じ巡礼の旅をしなければいけないと定められているのと同様に、十世紀までのキリスト教徒もまた、三つの聖なる道があると信じていた。

 一つ目がローマはバチカンの聖ペトロの墓への道。ワンダラーと呼ばれる巡礼者は十字架を巡礼の印としていた。
 二つ目がエルサレムのキリストの墓へ詣でる道。パルミストと呼ばれる巡礼者はヤシの枝を巡礼の印としていた。
 三つ目が使徒の一人聖ヤコブ(ラテン語)の遺骸へ詣でるサンティアゴ・デ・コンポステーラの道。ラテン語のヤコブは、スペイン語のサンティアゴ、英語のジェームス、フランス語のジャックと同義である。コンポステーラは星の野原という意味だが諸説ある。ピルグリムと呼ばれる巡礼者は巡礼の証として、漁師であった聖ヤコブの象徴としてのホタテ貝(ホタテ貝のいわれは諸説あり)の貝殻をカバンにつけて、いくつかのルートで、具体的には北から南から東からサンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す。

画像1

この道(Camino)は、現在においても年間に20万人以上の巡礼者が訪れる。

巡礼証明書獲得要件

カミーノ(スペイン語で道の意味)と呼ばれる、サンティアゴ・デ・コンポステーラに向けた任意の巡礼路を100km以上歩く(徒歩以外の方法は、200km以上のサイクリングあるいは乗馬)、かつクルデンシャル(スタンプ台帳)に1日2スタンプ以上を押す事で自らの巡礼を証明すると、ゴールのサンティアゴ・デ・コンポステーラにおいてコンポステラーノがもらえる。

ルート選択と出発まで

 巡礼自体、最長で900kmかけて行う道もある。しかし僕の場合は翌週に用事があることから最短で巡礼を完了させたく選択肢を洗い出してみた。
・フランス人の道、サリア(115km地点)
・イギリス人の道、フェロール(117km地点)
・ポルトガルの道、オ・ポリーニョ(100.1km地点)

 いくつかの候補があったが、友人がGWにサリアの道を巡礼し、アクセスが良いとの情報を得たため、出発地点をサリアに決めた。

1日目(46/113km)

朝6時50分。マドリードから8時間半かけて直線距離で約300キロ離れたサリアに深夜特急が到着。この特急は5両の指定席座席車両、1台の料理・バー車両、2両の指定席寝台車両からなる。僕の電車は出発時は満員で僕は直前に予約をしたため寝台ではなく座席車両で移動。サリアでは僕含めて7名だけが降りた。

画像2

事前情報によると5日かけて113kmを回っている人が多い(何件かブログでヒットする)。したがって1日20kmをノルマに頑張ろう、と思いシミュレーションをする。多分歩くのが早い僕は4日でいけたら上出来。3日は毎日フルマラソン程度の距離となるのでハードだろう、など考える。

7時。気温13度。クレデンシャルをもらいにカフェやホテルを歩き回り、無事7時半にはホテルでゲット。7時半、駅前のカフェでパンコントマテを食べる。シンプルな料理である。

8時。巡礼開始。まずは21km先のポルトマリンへ。起伏のある道を登っては降りる。
道はほぼ未舗装、8割弱が巡礼専用の林道、2割が幹線道路の側道、残りが点在する街中という塩梅だ。林道や幹線道路の側道では、のどかな風景と牛や馬の放牧がみれ、またその分彼らのフンの匂いがずっと鼻につきまとう。

画像3

巡礼者は7割が40-50Lのバックパックと寝袋を背負い、木の枝やストックを持つ重装備をしている。3割、特に高齢の方や子供は街から街への荷物運送サービスを利用して、ほぼ手ぶらに近い状態で歩いている。荷物を預ける人はレジャー感覚で楽しめる設計になっている。
僕は目的地とする街がないからバックパックを背負って歩く。すれ違う人とは「Buen Camino!(良い道を!)」と言い励まし合う。道はそこそこの起伏があるが、早歩きをしたおかげで(早歩きと言うよりは無意識でかなり早く歩いてしまうのだ)、100人くらい抜いて11時半にポルトマリン到着。水分補給のためにビールを飲む。まだ昼で、足も元気。なんか物足りない気がしたため次の街へ向かう事を決意(この物足りなさはきっと、春にサハラ砂漠のウルトラマラソンに参加してしまったため)。

画像4

画像5

12時、気温20度。25km先のパラス・デ・レイへ出発。途中でスパニッシュオムレツを食べ栄養補給。あとは歩き続け17時到着(この日の歩行時間8.5時間、歩行距離46km、残67km)。インソールの薄い靴で歩いたためか、足裏にはマメ3つ。

19時、アノサテラでタコのガリシア風、ピミエントス・パドロン(獅子唐のオリーブオイル煮)を赤ワインと一緒に頼む。21時、疲れていたからか泥のように眠りに落ちる。

画像6


2日目(累計101/113km)

9時出発。気温15度。出発前に近所のカフェでベーコンエッグとパン、オレンジジュース、カフェオレを食ベてエネルギー補給を終える。昨晩からマメ回復。

画像7

また200人くらい追い越し、ほぼ休憩なく進む。途中似たようなペースで歩くスペイン人と10kmほど一緒に歩く。

画像8

14時、気温30度。予定よりも2時間ほど早くアルスーア到着。28kmの道を5時間で走破した計算。累計74km、残39km。アルスーアは少し大きめの街で、銀行も広告もある。昼はCasa Teodraでガリシア風スープ、ピリエントス・パドロン、ガリシア産白ワイン2杯。

15時。日は長いし、昨日に引き続き物足りなく感じる(きっとサハラマラソンのせい)。たしかにここまで十分過ぎるまで進んできたが、次の街、20km先、本日48km、累計94km、残19kmのオーペドローソまで向かう事を決める。このあたりか身体が自然と化し、トランス状態に入り、過去の甘美な思い出の中に浸り切っていたら気づけば3時間が過ぎていた。

18時、いつのまにかオーペドローソ到着。ここまで来たら100ハイしよう(早稲田用語。2日で100km走るイベント)と決意し次の街へ。結果20時半まで走行続行し、100kmを過ぎたところの村でO fogar de Maruという宿確保。あたりは暗くなり、またマメも出来てしまったのでそこで休止。本日56km、2日累計102km、残11km。

Restaurante Sabugueiraでpicaña de ternera(仔牛のイチボ)のRosso(レア)を赤ワインで流し込む。

3日目

朝8時出発。気温14度。残11kmの道を2時間目標で進む。1時間進んで手前の街へ到着しサンディエゴ・デ・コンポステーラが一望できる丘へ寄り道。さらに進み残4km地点で街へ入る。もはや一本道ではなく交差点も入り組んでる普通の町歩き。11kmのコースはもはや余裕。

画像9

画像10

10時過ぎ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂に到着。5日の予定が2日と2時間で終了。1211年に完成し800年の時を経てこの地に存在する大聖堂には重厚感があった。30分並んでクルデンシャルを見せコンポステーラを獲得。

画像11

巡礼者名簿の目的欄に目を通す。ざっと30名見たが、宗教上の理由で訪れる人が10%、スピリチュアルな理由が80%、観光が10%程度。巡礼路という名前こそあれ、ここに来る人の多くは、神に近づくために来ているのではなく、中世からある道を中世とほとんど変わらない環境で歩き、寝て、起きて、また歩くという極めて人間的な行為を実感するために来るようになったのだ。

巡礼を終えて

100kmの巡礼はあっけなく、もう少し遠くから巡礼をすればよかったなと思った。また、聖遺物を見に行こうと思ったが大変混雑していた事とバスの待ち時間が思いのほか短かったため、聖ヤコブの聖遺物を見ることは叶わなかった。

結果として宗教的な要素はなかった巡礼だったが、日常の喧騒を離れて、電波からも解放されて自分のペースでひたすら歩く、食べる、寝るだけの生活をしていると、普段考えないような緊急ではないが重要な事に集中でき、結果として3時間ほどトランス状態になり、とても気持ち良かった。

 日々の喧騒にうんざりしている人や、時間やSNSに追われている人こそ、サンティアゴ・デ・コンポステーラをはじめとした巡礼という場を通じて心を洗ってみる価値は大いにあると思った。

サポート頂けたら、単純に嬉しいです!!!旅先でのビールと食事に変えさせて頂きます。