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カスピ海のごちそう

 イラン北部、カスピ海にほど近い都会の街ラシュトを旅していた時の話。

 この地へ来た目的は三つだ。一つ目、アシュバルという魚卵の珍味を見つけ、食べること。二つ目、チョウザメの身を見つけること。そして三つ目、酒を見つけること。

 ノンフィクション作家で翻訳家の高野秀行氏の本「イスラム飲酒紀行」によると、イラン北部の街ラシュトでは、マーヒーセフィード(白魚)という魚の卵を塩漬けにして発酵させたアシュバルというものが売っているらしい。カスピ海はチョウザメの卵つまりキャビアの産地で有名であるがキャビアはもっぱら輸出用であり、アシュバルが食べられている事。そこでアシュバルとはどんな味か?興味が湧く。また、その地ではチョウザメの身が手に入るとのこと(販売は違法であるらしいが食べるのはオッケーという謎ルール)。さらにはお酒も手に入るとのこと(こちらも違法。飲酒がバレたらむち打ちの刑)。

 もっぱらの酒好き、いや、フィールドワーカーの僕は、イランに入って三日目くらいから、高野氏が訪れたラシュトの地のアシュバル、チョウザメ、酒のことが頭から離れなくなってきて、どんな歴史のある聖地を訪れている時も、一刻も早くフィールドワークをしたい気持ちに駆られていた。そして二週間経ちイラン国内の見どころを回り終えてある程度満足し、満を持してラシュトに向かった。

 結論から言えば、その三点セットはラシュトで半日もたたないうちに見つかった。

ラシュトのバザール

 ラシュトに到着するや否や、土砂降りとはいかないものの傘が欲しいと思う程度には雨が降ってきた。バザールは歩行者天国になっており(そもそも道幅は2-3mほどと狭く、道の真ん中には露天商がおり車が通る設計になっていないのだ)、傘をさす人半分、そうでない人半分程度。

 店舗は小規模のものが密集して雑多に並び、商売人も八割は店舗を持つが、路上で商売する人も二割程度いて、彼らは雨を気にせずしぶとく商売をしていた。そしてカスピ海に近いからか、他の町ではほとんど見られない魚屋があり、それが密集している。さながら旧・築地市場のようだ(豊洲市場は行ったことないため、なじみ深い築地をだしました)。

 魚屋が密集するエリアでは、小魚から1mもあろう大きな魚まであらゆる種類の魚が売っていたが、半分くらいの店の店頭にからすみのような魚卵があり、念のため確認をしてみるとそれが珍味アシュバルであった。歩き出して開始一分で見つかるとは、幸先がいい。

 アシュバルは、魚卵を取り出し血合いをさっと取り、塩漬け、乾燥して出来上がり。長さは20センチ程度、重さ100g程度。アシュバルの卵巣一つで200円、二つで400円ということ。

 ところでイランの物価はとことん安い。お腹一杯のファラフェルを食べて100円、100km移動して200円、瓶のコカコーラ20円、1.5Lコーラを飲んで40円と、そもそもの物価安に加えて急なインフレ影響で外国人にとって物価激安なのだ。とするとアシュバルは、なかなか高価な代物であった。そして僕は物価が安いからと言って無駄遣いをしてきたわけではなく、かなり堅実に旅を続けてきた。しかし、ひさびさのお酒関連グッズを前にしては、僕の頭の中の計算機は壊れ、計算を放棄し、気づけばカバンに入るだけのアシュバルを買い込んだ。これで目的の一つ目達成。

 次にチョウザメの身を探す。チョウザメの身は美味しいらしいが、イランのイスラム・シーア派はうろこのないお魚を食べるのは宗教上NGということであり(ちなみにこのレギュレーションはユダヤ教も同様に持つ。イスラムの多数派のスンニ派にはない)、チョウザメを食べていいのか問題が勃発したことがあった。その際に、非常にバランスの取れた人物であるホメイニ師は、過去にチョウザメの尾鰭の一部に退化したうろこがあるからチョウザメオッケー!という宗教的見解を出して食べることは合法になった経緯がある。しかし、前述の高野氏の本によると、販売NG、食べるのOK、ということらしく、僕もしぶとく探す覚悟でやってきた。しかし、なぜか一番大きい魚屋の店頭に堂々と置いてあった。これで目的の二つ目達成。なぜあるの?違法じゃないの????と思ったがその真相は分からず。近年、違法ではなくなったのかもしれないし、違法だが堂々と置いてあったのかもしれない。いずれにせよ、事実としてそこにあったのだ。買いたかったが丸ごと全部orキロ単位の取引となり買えず。バザールで調理済のチョウザメを売っている場所を探すも見つからず、結局食べるには至らず。

ペルシャ語でウズンブルンと書いてある。間違いなくチョウザメだ

イランのお酒

 三つ目のお酒。イランにおいてお酒は違法である。サウジはじめ他のイスラム教国と同じく、ムタワと呼ばれる宗教警察が跋扈している。異国の地で、我々日本とはルールがだいぶ違う地で捕まるのはごめんである。したがって人がいる場所では誰かとお酒の話は冗談でもできず、タクシーの中や周りに人がいない二人きりの場所、かつ、しかるべき関係性を築いたのちに「まさかお酒なんかないよね?」というトーンで聞くこととしていた。また、暗い夜道で「お酒あるよ」と言ってくるイラン人もいたが、そういう人は宗教警察ムタワとつながっている可能性もあると考えて、相手にしていない。改めて、ここは異国の地であり僕は外国人である。自分の事を棚に上げて言うと、アヤシイ人にはついて行ってはいけないのだ。

 「まさかお酒なんかないよね?」という僕の質問に対して一番多い反応は「(ご存じの通り)うちの国はイスラム教だからお酒はない」というもの。そこまでは想定通り。僕がニヤニヤしながらもしつこく聞いていくと、同じ人でも反応が変わり「イリガールではあるが酒は存在する」「レストランでは飲めないが家では飲んでいる」となる(イラン人は警戒深いし、本音と建前をあたかも京都人のように使い分ける)。その後に「具体的にはどこで買えるのか?」と問いただすと彼らは口を閉ざしてしまうことが多々あった。ただ一人を除いては。

 その一人とはラシュトの街の人通りが少ない場所で会った。20歳そこらの青年で英語を喋れるわけでもなく、あまり僕に関心を向けてくるタイプでもない人畜無害な感じの人だったが、彼は白昼堂々とポケットからハシシを取り出し、ナイフの上で温めて吸い始めて、あの独特の香りが僕のところまで香ってきた。葉っぱを吸う人がお酒の事を知らない訳がない、と思い、すかさず、彼に酒を持っていないかとGoogle翻訳で話しかけたら、二つ返事で「タクシーに乗れ」ということで彼のアジトに向かった。途中でガレージに寄って、丸まった1.5Lペットボトルに若干の液体の入ったものを彼は手に取ってから再度タクシーに戻り、彼のアジトに着いた。透明な液体はイランのブドウで造った蒸留酒であった。確かにいい香りがする。これをコーラで割って50mlくらいの量をクイッと飲むのがイラン流とのこと。これで目的の三つめも予想外に簡単に達成してしまった。

さいごに、酒にまつわるエトセトラ

 未達に終わる可能性が高い目標ほど試し甲斐があるし、目的を達成した時の喜びはひとしおだと思うのだけど、今回のフィールドワークではあまりにも簡単に目的を達成してしまったため、喜びを噛み締める暇さえなかった。

 宗教的に保守的なイランでもお酒が見つかった。先日訪問したサウジでは、noteにまとめたがお酒はなんでも簡単に手に入る。9月に訪問したパキスタンでも杏の蒸留酒が簡単に手に入った。5月に訪問したソマリランド(ソマリア)でも、記事には書いたとおり実物を見ることは叶わなかっただけでジンの存在は確認した。モロッコのラバトでも薬屋や本屋を偽装して酒は売っていたし、モーリタニアでも密造酒はあった。絶対飲めないだろうと思っていた場所で、あっさりお酒が見つかったことが、このフィールドワークを継続してやっていた発見であった。

※僕調べでは、お酒が確認ができなかったのはブルネイとイエメンのみ。この二か国でお酒が入手できる情報があれば、ぜひコメントください。

 せっかくなので、2018年に訪れたインドネシアの仏教寺院の街ボロブドゥール遺跡ふもとで、苦労してお酒を見つけた時のエピソードをここに残しておく。
 ――時は2018年7月、平成最後の暑くて長い夏だった。僕は三連休を使ってボロブドゥールに来た。三連休なので酒がなくてもいられたのだが、この日はサッカーW杯の決勝戦が待ち構えていたため、僕には観戦するためにお酒が必須であった。この街の個人商店を全て回ったがお酒が本当にない。したがってターゲットをレストランに変更。ほぼ全てのレストランを訪問して本当にお酒がないのか?と尋ねたが徒労に終わった。そして二時間が過ぎ、サッカー決勝戦が始まる直前、メイン通りから外れた一つのレストランで見つけた写真がこちら。

最下段の下底が網になってるところに、やけに違和感を感じる。ここでピンときて覗き込む

あった。これだよ…これ…!!

 この瞬間には本当に興奮した。そしてムスリムのお姉ちゃんの従業員に、黒いビニール袋でそれを包んでもらい、僕のバッグにおもむろに二本ささっと入れてもらった。そして部屋でワールドカップの決勝戦を見ながら勝利の祝杯を挙げた。試合はたしか退屈な展開で、どちらが勝ったかなどは覚えていないが、ただ苦労してビールを見つけてついにたどり着けた僕の心は相当高鳴ったし、あの時ほどコンテクストに満ち溢れたビールもなかなかなくて、とってもありがたくその一滴を喉に流し込んだことを記憶している。いつか、そんな一杯に、また出会いたい。

 さて、話が相当脱線したので、イランのごちそうの話に戻そう。三つの目的を達成した僕は、そそくさとラシュトの街を出て、ついにコーカサスに抜ける準備を始めた。今はイラン国境だ。もうお酒の事を書いても誰にも文句は言われまい。
 コーカサス三か国を回るのに十分困らないほどのアシュバルを手に入れたわけだから、塩気が強いこの最高の酒の肴と一緒に、まだ見ぬジョージアワインやアルメニアビールを嗜もうと思う。

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