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読書による気づき~「巨人ファンはどこに行ったのか?」

「巨人ファンはどこに行ったのか?」。実に興味を引くタイトルです。元々巨人ファンだったのに今は違う人たち。何がきっかけでそうなったのか。そこに至るまでの心境はどうだったのか。元巨人ファンである著者が、同志を追いかけた記録が本書にまとめられています。

なぜ、このタイトルに興味を引いたかといえば、そう、私自身がまさに元巨人ファンであるからです。

巨人帽少年の写真

見開きページにある著者の少年時代のものと思われる写真。まず、ここに衝撃を受けました。半ズボンにランニング姿。そして頭に被るのはYGマークの巨人帽。どこかで見たことのある写真。それは自分の少年時代に姿にシンクロしているかのようでした。

親が巨人ファンであり、野球といえば巨人。テレビでは地上波のゴールデンタイムに毎日のように巨人戦の中継がありました。父親はそれをビールを見ながら見ていました。選んだわけではなく、巨人を応援するのが当たり前であり、関西圏や中京圏であればまた違ったかもしれませんが、日本人は一部の人を除けば皆巨人を応援していると思っていました。

中学生で早くも「元巨人ファン」へ

転機が訪れたのは、1987年。後楽園球場ラストイヤーでした。いつもテレビで見ている後楽園球場の巨人戦に一度行ってみたい。そして、あの熱狂の中応援歌を歌いたい。そう憧れを抱いていたのですが、どうしてもチケットが入手できず願いは叶いませんでした。

ただ、後楽園球場という「場所」で「野球を見る」方法を見つけることができました。
それは、当時同じ後楽園球場を本拠地とする日本ハムファイターズの試合。当時のパ・リーグはハイライトさえテレビで流してもらえず試合結果だけ。当然ネットもないし、試合を見たければ球場に行くしかなかった時代でした。

それでも、巨人戦が行われるその場所で野球を見るだけでもいいから行きたいと思い、足を運んだ日本ハム対阪急の試合。そこには見たことのない、ガラガラの後楽園球場がありました。でも、自分の中で何かが変わりました。自分が応援すべきチームは日本ハムファイターズだと。

だからといってすぐに巨人ファンをやめることはできませんでした。親にも何で日本ハムなんか応援するの?と言われた気がします。しばらくは、セは巨人、パは日本ハムを応援していましたが、いつしか、巨人への愛着は薄れ、熱狂的な日本ハムファンとなりました。自分の応援するチームを自分の意志で選択した中学時代でした。

「アンチ巨人」ではない

ついつい、自分のことばかり書いてしまいましたが、本書に出てくる元巨人ファンは、決してアンチ巨人というわけではないようです。巨人のことを悪く言うのは元カノ、元カレを悪く言うようなもの。そして、巨人ファンだったことを後悔する人は皆無らしく、それは、今に至る過程として、大事な思い出としている人もいるようです。

自分はどうかといえば、当時あまりにも人気のないパ・リーグのチームのファンになったことで周りから色々言われたこともあり、強がってアンチ巨人を演じていたように思いますが、実際のところはそうでもなかったのかもしれません。

もう、「巨人」は特別じゃない?!

なんで、1チームだけ、「巨人」という呼称なのか。阪神、中日、ヤクルト…同じセ・リーグでも、親会社の名で呼ばれているなか、なぜ読売と呼ばないのか。巨人と呼ぶのであれば、「虎」、「龍」、「燕」と呼ばないとバランスがとれないのではないか。伝統の一戦においても「巨人×阪神」って考えてみればおかしい。「読売×阪神」あるいは「巨人×虎」なのではないか…。まぁ、そんなことを考えたこともありましたが、要は全てが特別なのですね。

時代は流れ、巨人戦の地上波放送も少なくなったと同時に、CSやインターネットを通じて、12球団どこのチームのファンになってもお金を払えば試合中継を楽しめるようになり、ファンも多極化したと思います。首都圏と関西圏にしかチームがなかったパ・リーグは福岡、札幌、仙台にも散らばり、ここでも地元チームを応援することにした多くの元巨人ファンが発生したことでしょう。

もはや巨人は特別なものでなくなり、読売と呼んだ方がいいのではないかと思いますが、それは現巨人ファンの方に怒られてしまうでしょうか。

そのように巨人が特別じゃなくなりつつあることは、一野球ファンとしてはちょっと物足りない気がしますが、日本ハムは、1981年の後楽園決戦で敗れて以来、北海道移転後も日本シリーズで巨人の前に涙を飲んでいます。
特別な巨人と同じ本拠地で肩身狭く戦う不人気チームだった日本ハムファイターズ。ここ数年は調子が悪いものの、北海道移転後はリーグ優勝や日本一を勝ち取り、道民に愛されるチームへと成長しました。

ファイターズが巨人を倒して日本一になるのが私の夢でもあり、やっぱり、巨人は今でも特別な存在なのです。

本書によって改めてそこに気づかせてもらいました。


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