見出し画像

多様性 vs 品質

那須楮は高品質な和紙に使用されていると言われています。ここで言う"高品質"とか"高価"とか、価値を決めているものって一体何なんでしょうね。今回は地域で楮に関わる中で語られる品質について疑問に感じたこと、考えたことを綴ってみたいと思います。

量から質へ

かつて、工芸作物に限らず農産物の名産地とは、絶対的な産出量で語られることが多かったような気がします。原料生産に適した気候風土であるとか、歴史的に生産を奨励されたとか、その地域に根付き、たくさんの農産物を生む産地が形成されてゆきました。産地といえば、シェアをどれだけ占めているかという統計的な意味合いが強かったように思います。

近年では、単なる消費ではなく利用者もマーケットも、より味覚や風味や見栄え等に貪欲になっています。その結果、地域ブランドがあちこちで群雄割拠しているような状態です。やれ「○○牛」だの「○○米」だの「○○いちご」だの、ブランドの品質を維持するために糖度とか、脂肪交雑のBMS値とかが規定されています。またより美味しいものをより高値で売り込むため、日々品種改良合戦が繰り広げられている状況です。

那須楮という銘柄

那須楮はずいぶん昔から絶対量ではなく、品質の文脈として語られてきました。流通先である紙漉きや紙商からも評判がよく、いわば地域ブランドの先駆けのような存在でした。今でもなお「艶」「白さ」「美しさ」といったような点に置いて、他の産地の楮より優れていると言われています。

なぜ楮に地域差が生まれるかを自分なりに考えてみました。コウゾという植物自体がもともと固定種でなく交配種という性質によるためだと思っています。そもそもコウゾはカジノキとヒメコウゾの雑種と言われています。他所の紙漉き産地で見かけるコウゾは、枝の模様や色が違ったり、葉っぱの形態が微妙に違うのがぱっとみてわかります。

日本各地に分布し、それぞれの気候風土の影響を受けながら交配が進んでゆき、切磋琢磨しながら進化の過程で各地でさまざまな形態や特徴をもった個体が生まれ、その土地で淘汰されていったのだと推測します。那須楮と言われる派生は、その一つにすぎないと私は考えています。

先に述べたようなブランド品種の開発競争では、目的をもって多種多様な品種の掛け合わせを人工的に起こして際立った種を作り上げていましたが、楮はそれとは真逆の成り立ちで、気候風土に適った進化過程で、地域固有の個体がおのずとできあがり、その1つがたまたま求められているニーズに合致したという偶発性の話だと思っています。

だから、それこそ昨今注目されるよつな多様性の『みんな違ってみんないい!』というように、楮の性質が違えばそこからできる和紙だって各地で違うわけで、その個性を楽しむことも大切だと思っています。

品質とは

かつて自動車メーカーに勤めていた時、品質に関わる部署がいくつも存在していて、利用者や対象物、目的によってその意味合いが全く異なっていました。入社して間もない私はとても混乱したことを覚えています。品質とは、工業的にはISOという国際規格に基づいた大きさ・品質・安全性・機能性のものさしのことです。

では、良質な楮の基準とは何でしょうか?
高知・岐阜・福井・埼玉など昔から紙漉きが盛んな地域では、和紙の試験場があって、そこでは昔から楮の品質についても研究されてきました。一般的に繊維の品質基準を問う時には「繊維長」だとか「繊維幅」だとか「強度」によって測られることが多いです。しかし紙漉きや紙商が本質的に欲している楮の基準が、これらの要素だけに収まるとは思えません。もちろん、意味が無いわけではありませんが、数値化できるものだけで全てを表現することはできないのだと思います。

那須楮の産地である八溝地方では、昔から「本場もの」「準本場もの」「場違いもの」という3ランクの基準で、この地域の楮の品質を区別していたようです。そもそも私はこの呼び方が好きではありません。よその人から「場違いもの」なんて呼ばれるのはそれこそ心外だと思いますから。

この呼び名は今でも文書や展示物に記載されていることがありますが、いつ、どこで誰によって発生したか特定することはできませんでした。昔から口伝によってそれなりに広まっていたように思えます。際立って良かったから、評判を呼んだことはわかります。しかし感覚的に区別できたとしても、何を以って「良し」とするのか、客観的な品質の基準はありません。それなのに、現代においてもこの名で呼ぶにはいささか乱暴すぎると思うのです。

生産地視点の基準

とはいえ、私が楮を栽培する地域は、いわゆる「本場もの」のを産出してきた地域に該当します。果たして場所がよいのか作り手がよいのか。
地域の人に聞くと「本場もの」の中でも、昔から最上の楮が取れたとされる地区が2つ3つあります。誰も自分のところで作ったものが一番だと信じたいからなのでしょうか、こういう伝説は大抵、複数存在したりします。

「本場もの」の産地で先代、先々代から楮を作っておられる80歳代半ばの農家の方から聞いた話なのですが、生産量が最盛期の頃は、楮にも「共進会」※と呼ばれる品評会があって、その方のお爺さんにあたる方が金賞を取った時の賞状が残っているそうです。その当時どんな基準で金賞に選ばれたのかお話を聞くことはできなかったのですが、数値的にどうのこうのという議論がされていたとは思えません。おそらく経験的な良し悪しで判断されたのではないかと思います。
しかしながら、お孫さんにあたるこの方も本当に作業が丁寧で素晴らしい楮を作ります。お祖父様の遺伝子を受け継がれているのは間違いないと思いました。

現在でも、この地域の楮の売買は重量単位で行われています。集められた楮は幹の太さも皮の厚さもまちまちです。つまり1本あたりの重量がより重い(太くて長い)楮を作れば、価値が高いのです。生産地の観点では、太さ、重さといった歩留まりや作業性に関する点で良し悪しを評価しますが、これは問屋と下請けとの間の内々の事情にすぎません。

実際に白皮に加工する経験をしてみると、太い楮は確かに量としては申し分ないものの、色艶や柔らかさが素人の私から見ても、やや劣っているように見受けられます。必ずしもこの基準が紙漉き職人さんが求めてるものに合致しているかというと、そうでないような気がしてなりません。

この地域ではずいぶん前から原料の生産のみに特化してしまっています。原料から和紙になるまで、原料生産地と紙漉き産地が分断され、一連のプロセスが途切れてしまっているだけに、誰にとって、どう使う時に、何がどれだけ良いものかどうか、議論されない曖昧のまま現在に至っていると思うのです。原料産地と紙漉産地の交流が始まった昨今、少しずつその是正がされてきているように感じます。

しかし、もっと大きな視座で楮の品質を考えてみると、先程のべたように進化過程において各地で多様な性質をもつ楮が存在するのだから、そもそも『一つの物差しで測ろう』という工学的な品質の尺度を持ち込むこと自体、ナンセンスだとも思うわけです。

共進会(きょうしんかい)
内国勧業博覧会と並ぶ明治政府の勧業政策。1880年代を中心に、政府・地方官庁が優秀農工産物を一般から出品させて展示、生産技術の交流、向上を図った。1879年(明治12)9月の製茶共進会(横浜)と11月の生糸繭(まゆ)共進会(横浜)が初例。地方農工産物について開催されたものであるが、とくに輸出奨励の観点から生糸類と製茶、また輸入防遏(ぼうあつ)の観点から綿、砂糖、織物の共進会が重要視された。

コトバンク


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?