楮(こうぞ)の産業分類【後編】
農業界の産業動態
農業や農家という括りだけで、同じ土俵の感覚でいると考えるのは大間違いでした。国や自治体の農業政策のど真ん中にいる食料作物の「米」や「野菜」と違って、工芸作物に分類される作物は、主流に乗りきれない寄せ集めが多いのです。この認識はとても大事です。
工芸作物の中でも、パーム油、カカオ、コーヒー、薬草やゴムのように主要産業に直結するものは、確実な需要があり、国や自治体ではなく第二次産業の企業の専属農家として強力なバックアップ体制を受けられるようです。手厚い手当の一方で厳しい品質の統制等もあるようですが。しかし強力なバックアップがついていたとしても時代に左右され撤退を余儀なくされるものもあります。例えば葉タバコは政策によってかなり衰退し減作となる一方ですし、主力の米だって減反による影響は深刻ですよね。
そして衰退しきってなお、消えることなく時代に取り残されたものが、和紙用作物・染料用作物・樹脂類用作物・国内の繊維用作物。これら畑由来の天然の資源は、明治維新前から続く前時代の農業です。
産業革命以降には、機械化によるプロセスの効率化だけでなく、化学合成された原料資源の開発が進みます。プラスチックやナイロン等の石油由来の原料は、成形しやすく大量生産に向いており、工業化の加速を促しました。瞬く間にそれらは、工芸作物の原料を追いやり置き換わっていったのです。
産業革命や高度成長期といった生産構造の改革をかいくぐって生き残った工芸作物由来の製品は、言い方が悪いかもしれませんが、懐古主義的な手工業の趣向品の位置付けと言えそうです。
しかし趣味趣向の扱いだと、スポンサーがつくわけでもなく、国や行政の手当も薄い。どちらかと言えば家庭菜園の位置付けに近いと感じています。時代にも政策にも放置された中、しぶとく生き残ってきた農業分野だとつくづく感じます。
同じ農業でも、こういったいびつな構造をしっかり理解していないと、痛い目に遭います。新規就農で作付けを決める際、その地域の主要農作物を勧められることが多いと思います。いくら昔から地域に根付いていても、楮は主要農業にはなり得ないのですから。
セクショナリズムの弊害
ここまでマイノリティ色むき出しで語ってきてしまいましたが、完全に放置っていうわけでもありません。では楮生産について主に面倒を見ている行政機関はというと、国では「文化庁」。そして地方自治体だと「教育委員会」です。
農林業という括りではなく、伝統工芸や伝統文化の付属という扱われ方です。文化財はその保全・保護の拡大として近年、それらを支える「原材料」や「道具」の保存にも目が向けられるようになってきました。そうはいってもやはりメインストリームに乗り切れていない、おまけ感はあります。それもそのはず、全国の和紙の生産者は楮も自家栽培する産地が大半。出荷するのは和紙で、原料を購入するには高価なので致し方なく傍らで楮や黄蜀葵の原料等を自家栽培しているのです。大子町のように楮の生産加工のみ行って紙漉きが行われていない産地自体が稀有なのです。
当初私は楮の栽培は、農業・林業・教育機関と、複数の機関にまたがってラッキーと思っていました。色々なステークホルダーにまたがっている方が注目を集めたり、理解や利益が複数方向から得られるのだと安易に考えていたのです。ところが実際はその反対でした。どこにも属さない狭間の産業に位置付けられてしまったおかげで、実はかえって恩恵が受けにくいということわかりました。どっちつかずのグレーな存在は結局、明確な理由づけになりにくく、行政の扱いも微妙なものになりやすいと感じています。
例えば、現場の生産効率化や病害虫について改善を求めたくても、文化・教育関係者には詳しい人はいません。かといって農業コンサルや普及指導員にも和紙の原料に詳しい人は殆どいません。主要な農業でない歴史・文化的扱いの強い楮は、国や自治体から農業としての補助金を受けるチャンスが少ない上、農業指導者や詳しい専門家もいない状況なのです。その結果、楮の生産現場では、代々伝わる伝統的なやりかたをそのまま引き継ぐしかありませんでした。効率化や工業化など生産技術の進化が著しく遅れ、まるで昭和初期のまま時が止まったようでした。しかし皮肉なことに、前時代のやり方を踏襲しているからこそ、その工程に係るエネルギーや原材料などの環境に及ぼす負荷が圧倒的に少ないのです。
超マイノリティなサイドに立っていることを自覚するのに随分時間がかかってしまいました。でもね、希少であること、それはもしかしたら優位性になりうるのかもしれない。そう思うことにしました。
世界一小さな林業
楮生産・加工に実際に関わってみると、いくら農業と言われても、やはり楮は樹木だよなーと感じます。栽培期間だけで見れば野菜のような扱いになるのかもしれませんが、樹木には樹木を育てるための最適な方法がありますし、楮畑の土壌は明らかに一般の農地とは性質が違うと感じます。私が林大で林業施業の勉強を学んできたせいかもしれませんが、その生産プロセスをみてゆくと、林業施業における管理方法に準える方が実にしっくりくるのです。
楮は萌芽更新するので、地拵えと植林が割愛されるのですが、
・幼木が被圧されないための下刈り
・樹木同士の干渉を間伐
・幹をしっかり育てるための枝打ち
・材の収穫
といった作業が同じ目的で楮栽培にもあります。しかもスギやヒノキでは数十年のスパンで行われるこの一連のサイクルをわずか一年という短期でまわしてしまうのです。
そして全ての工程が動力を使わず人力の道具(鎌・剪定鋏・枝切り鋏)によって行われます。
そこで私は「楮の畑」でなく「楮の森」と捉え直し、世界一小さな林業をしていると自ら言い聞かせることにしました。厳密に言えば林業ではないし、世界一小さくないかもしれない。でも私にとっては、楮は小さな小さな林業。生産サイクルが世界一短く、動力を使わないで全て手に負える世界一エコな林業だと自負したいのです。
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