風呂巫女

キャンプとオタクとそれからバイク

風呂巫女

キャンプとオタクとそれからバイク

マガジン

  • アヒルの控室

    説明の面倒くさい性的指向とバイクとキャンプとオタクな人の書き散らしです

最近の記事

花隈千冬スペシャルライブ限界妄言書き散らし

わたし、限界合成音声オタク! 今日花隈千冬スペシャルライブだってよ! 案の定声の濃いオタクだらけ! いやあー、席は抽選らしいから、こんな合成音声で百合エロ小説ばかり書いてるオタクなんかより誠実な声のオタクに最前当たればね? いいよね…… アラサークソレズ、むせる。下手奥の最前やんけ。 思わず近くにいた赤迫社長さんに撮影していいか伺いました。お手数おかけしました。 震えながら花隈千冬カクテルを飲んで待ちます。大変美味でございました。 そして始まる前説とトークイベント。 奥

    • レズビアンがレズビアン風俗行ったレポ

      Hello, レズセックスworld! こちら女に劣情を抱く女。最後に女抱いてもうすぐ二年! なので今回レズ風俗に行こうと思いますレポです。 ※この文章はpixivファンボックスにて公開した文章の再掲です。最後だけ少し加筆しています。 【私がレズ風俗行く決心するまで】 レズ風俗自体を知ったのは2桁年くらい昔。多分レズっ娘クラブくらいしかなかった頃だと思います。  未知の場でしたね、正直。  心と体が繋がりがちなのが女の子なんて俗説もあるくらいだから、正直成り立つとは思って

      • 初めて新橋のサイファーを見学したオタクの感想

        新橋のサイファー見に行ってきました。 結論から言います。 クッソ楽しかった!​新鮮なうちにこの気持ちを文字に起こします。乱文だけどごめんね。 まずは私の自己紹介から。 岐阜県生まれ、味噌カツ育ち、知ってるやつらだいたいクソレズ! 基本的には非実在女を追い回すオタクであって、渋谷より秋葉が似合うツラ 学生時代に入り浸っていた混沌のエリア、『女子大小路』なんかでは区役所前でスピーカー持ってたむろしてた人はよく見たし、クラブでHIPHOPイベントなんかもよくやっていたも

        • ビリヤード場と女女、撞球と憧憬

          レズだけど高校時代はタマを撞(つ)いておりました。風呂巫女です。 これからするのは大したお話じゃないんです。 当時は高校1年生。 ネットの友達に触発されて、気がつけばプレハブでできた怪しい建物のビリヤード場前。扉を開けて店長から開口一番に「学校で嫌なことあった?」と聞かれたのが始まり。 気がつけば週3でビリヤード場に通い、楽しくタマをつつき回してた。 ハスラーというビリヤードの洋画が流行ったのも今は昔。 バブルの遺物だの場末のスナックだのと自虐していたその店は、当

        花隈千冬スペシャルライブ限界妄言書き散らし

        マガジン

        • アヒルの控室
          7本

        記事

          多分一番古い思い出の書き散らし

          あなたの希死念慮はどこから? 私は物心ついた時から! 一番昔の記憶って皆さんなんでしょう。私はスーパーの食玩コーナーでした。幼稚園には入ってたと思う。ぼうっと陳列棚を見ているうちに、ふと意識が離れてやたらいろんなものが小さく見えてくる。それを繰り返しているうちに「実は目の前にあるこれは全部夢なんじゃないか」と箱に手を伸ばしたんだ。思ったよりそいつは遠くにあったからか空振りして、「もしかしたらこうしている自分そのものが誰かの夢なんじゃないか」とすら思えてくる。 後から「胡蝶

          多分一番古い思い出の書き散らし

          インターネットの原風景

          ピーガガガガガッ 私が物心ついた時のインターネットはそんな音がした。 「パソコンが手の届く場所にあった」という意味では、私はあの時代にしてはすごく恵まれた環境の子供だったんだと思う。 当時パソコンでやることといえばポストペットくらいだった。それも親戚のおばさんとメールをやりとりして遊ぶくらいだから、せいぜいキャラクターを介した文通くらいにしかとらえてなかった。 ある時だったか。地球のマークをしたアイコンだったと思う。そいつをクリックすると、知らないページが広がった。な

          インターネットの原風景

          女と女とタバコの味

          なぜか分からないけど、レズビアンは喫煙率が高い。本当に高い。だいたいネット上で出会い探すと「喫煙者か否か」の表明はかなり見る程度には高い。 これがビアンバーになってくるとさらに跳ね上がる。酒の席だからというのを差し引いても、もくもくさせる人の多いこと。 それだからなのだろうか。私のレズビアンとしての思い出の多くはだいたいタバコの香りがする。 未成年の時に付き合った人にもまあ喫煙者はいたのだけど、幸い常識的な成人が多かったので私の目の前で吸う人はいなかった。ほんのりと髪と

          女と女とタバコの味

          ビアンバーのふんわり思い出二つ目

          ――この界隈ではね、本当の名前を教えちゃいけないよ。 二十歳になって初めてレズビアンバーに足を踏み入れた時、最初に教えてもらった言葉だ。 実際どれくらいの人が実践してるのかはわからない。けれど、一定数本名とは思えないようなニックネームを名乗る人もいたから、そういう考えもあるのだと思う。 今思えば不思議な場所だった。 あそこは外ではさらけ出せない自分が解放される場所だった。 いろんな人がいた。 長年連れ添った彼女がいるけれど両親にそれを話せない人。 なんとなく周り

          ビアンバーのふんわり思い出二つ目

          二十歳の私とビアンバー

          私に三十歳は来ない。 そういう漠然とした確信が昔からあった。だいぶ薄くなったとはいえ、今でも少し残っている。 いわゆる私は性的マイノリティとか言われる人。付き合ってきた人は同性である女性が多かった。 幸い環境には恵まれたから、似たような立場の同年代はいっぱいいた。 けれど、そのもっと先の……自分の父や母くらいになった当事者たちをすぐ近くで見たことがなかった。 東京にはたくさん存在することは知っていたし、実際遠距離で付き合った方も何人かいる。 けれど、東京から鈍行で

          二十歳の私とビアンバー