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多分一番古い思い出の書き散らし

あなたの希死念慮はどこから? 私は物心ついた時から!

一番昔の記憶って皆さんなんでしょう。私はスーパーの食玩コーナーでした。幼稚園には入ってたと思う。ぼうっと陳列棚を見ているうちに、ふと意識が離れてやたらいろんなものが小さく見えてくる。それを繰り返しているうちに「実は目の前にあるこれは全部夢なんじゃないか」と箱に手を伸ばしたんだ。思ったよりそいつは遠くにあったからか空振りして、「もしかしたらこうしている自分そのものが誰かの夢なんじゃないか」とすら思えてくる。

後から「胡蝶の夢」という言葉を知って、思わず膝を打ったのを覚えてます。

誰かの夢にしか過ぎない世界なのだとしたら、「将来の夢は?」なんて話はめちゃくちゃに面白かったですね。だって、今この瞬間に誰かが目を覚まして消えるかもしれない世界だもの。何書いたって滑稽じゃないか。だから、「〇歳にこれをする」みたいな課題は決まって20か30で天寿を全うしてました。毎回心配されるか怒られるかのどちらかでした。

でも、そんなことに対して私は何の恐怖心も抱いていなかったんです。

あるならなくなるし、なくなるからあることができる。

お皿のドーナツが永遠に腐らなくなったらすぐに食べようとは思わないじゃないですか。ちゃんと腐るからおいしいうちに食べようって思える。

だから、常にドーナツが腐る瞬間を意識してました。

大人たちが見たらめちゃくちゃ嫌な子供だったでしょうね。常に死んだり消えたりすることを念頭に置いたうえで夢を語るんですもの。

積極的に死の位置を決めたがるし、子供の近眼ゆえにだいたい今の自分の歳か親の歳くらいにそれを設定する。周りから見たら多分「希死念慮」と言って差し支えなかったと思います。

積極的に生きたくないわけじゃないです。でも、ちゃんと死ぬってことは忘れたくなかったし、ドーナツが腐る瞬間に「確かにあれはおいしかったんだと思う」って言うためにいろんな努力をする。お勉強は粉砂糖だし、友達との思い出はチョコチップ。

こんな精神構造なので、死について考える時なんてほぼ四六時中です。おかげでどこからどこまでが体調から来てるんだかわかんねえよ。そんな愚痴でした

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