見出し画像

青春を弔ってくれた、映画版「チワワちゃん」。

 岡崎京子の漫画にハマったのは90年代・大学1、2年生の頃だ。その中で最も好きだったのがこの「チワワちゃん」だった。その時は映画も漫画もAVもカルチャーを雑食しまくって「負け犬は吠えるがキャラバンは進む」というオザケンのアルバムタイトルを模したとても恥ずかしい自分に酔った偏見的なコラムをブログに書いてたりして今でも思い出すと恥ずかし過ぎて頭痛が止まない。

 もう数年前のことだが、90年代ってなんだったろう、と思い返すことが多い時期があった。「リバーズ・エッジ」「SUNNY-強い気持ち・強い愛-」と、その時代を肌で知る人生の先輩方によって立て続けに作られた映画があった。同時代を生きた者としてとても興味深く観たのだが、テーマに、時代に、真摯に向かい合えば向かい合うほど90年代という時代は空虚なブラックホールのようで、個人的にはどこかやけっぱちでシラけた気分になっていた部分があった。それは時代が変わって、自分の内面も変わって、きっと色々なことが要因にあるのだろう。総じて、ちょっと悲しい気持ちになったのだ。

 そんな折に生まれた映画版「チワワちゃん」。最初の10分-20分、いつもの二宮健監督らしいバキバキ編集のクラブシーンが続いたが、浅野忠信の登場からグッと引き込まれ、若者たち側に引き込まれた。気がつけば映画のエンドロールでハヴァナイさんの「僕らの時代」を聴きながら、心の中で僕はスタンディングオベーションをしていた。血気盛んな若手の二宮監督によって、自分の青春時代の記憶を不思議なほど鮮やかに蘇らせ、ラストの埠頭のシーンでは「青春」を弔うような、終わりと始まりの切なさと爽快さを感じたのである。

 1991年生まれの二宮監督には90年代ノスタルジーも思い入れもなくて、ただ純粋に「チワワちゃん」に描かれる青春の終わり、残酷さをどう映画化するか、何より自分ならどう描くか、ということに真摯に貫かれていたように思える。原作では「桐島、部活辞めるってよ」的に不在のまま描かれたチワワちゃんを、映画では実像として描いたことがむしろ、きちんとこの映画の核になっていた。確実に存在した彼女が居なくなったという事を受け入れたスチャラカな若者たちがちゃんと「人間」として、解き放たれ、少しだけ「大人」になっていくという、そんな当たり前だけど忙しい日々を生きていると忘れてしまう事象がきちんと描かれて居た。何より「岡崎京子の漫画のストーリーや背景に忠実」ということではなく、「岡崎京子の漫画を読んで感じた事」とがこの映画には染み込んでいる。思えば主題歌もHave A Nice Day!の「僕らの時代」で、これも同時代を象徴する「今ここ」な音楽を使ってきた岡崎京子らしい選曲だったように思うのだ。

 僕は、全力疾走で埠頭を駆け抜けるチワワちゃんの幻(映画オリジナルの名シーン!)を見たくて、またきっとこの映画を観てしまうだろう。忘れてしまったもの、忘れられないもの、変わってしまったもの、変わらないものーーーそんないつまで経っても掴みとれない不確かな物を求めて。さよなら青春、ありがとう岡崎京子。ありがとう二宮健監督。

#チワワちゃん #岡崎京子 #二宮健 #オザケン #青春 #映画

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?