SONY α7の三世代と、革命の三段階。
「SONY α7IIIは10年使えるミラーレスの名機」という記事を書いた。この投稿はその蛇足である。今回はSONY α7シリーズの三世代について書きたい。
ミラーレス化は一眼レフに対する革命だったのか?
ミラーレスカメラは本来一眼レフカメラと共存できるものだったが、SONYは「ミラーレスは一眼レフにとって変わる全く新しい革命的なモノ」と喧伝した。革命の定義は下のように書いてあった。
革命 ( 英: revolution)は、権力体制や組織構造の抜本的な社会変革あるいは技術革新などが、比較的に短期間に行われること
ミラーレス化が革命的な技術革新だったかわからないが、少なくとも市場では一眼レフからミラーレスへ革命的な変遷が行われた。ミラーレスから一眼レフへの変遷を革命として捉えるならば、その中で各世代が担った使命を見いだすことができる。すべての革命には3つのフェーズがあるようだ。
革命の3段階
革命の初期では詩人的な預言者が現れ、「偏癖」の言動をとって世から追いつめられ非業に死ぬ。中期ではそのその意思を次いで破壊的な活動を行い、政権を転覆させる。後期では先駆者の理想を容赦なく切って捨て、実現可能な形に導く実務家が現れ大いに栄達する。
司馬遼太郎「世に棲む日々」より抜粋要約
幕末明治の革命期において、初期は吉田松陰、中期は高杉晋作、坂本龍馬、後期は伊藤博文、山県有朋がこれに当たるという。
上の3段階をα7に当てはめるならば以下の性質を見出すことができる。
α7初代 …ミラーレスの思想を明確に指し示すコンセプトモデル
α7II …一眼レフを超え大衆に受け入れられるべき普及モデル
α7III …実用的な形に機能を纏め上げるミラーレスの完成モデル
α7初代はフルサイズミラーレスの思想を世に打ち出すモデルだった。その思想は「フルサイズの小型・軽量ボディへの凝縮、高画質と機動性の両立」というコンセプトであった。今日においてもそのコンセプトで初代を超えるミラーレス機はほとんどない、いや正確には存在していないと言える。すべての機能とデザインにコンセプトへの執拗なまでの忠実性、必然性があり、そうででないモノは残酷に削ぎ落とされている。使うたびに明確な思想を感じることができる、まるでナイフのようにソリッドな道具だ。
α7IIIに関しては前の投稿に書いたように、初期のコンセプトを切り捨てることで実用性を手に入れ、現実的に10年の使用に耐えうるモデルとして大成した。
2021年に発売になったα7IVに関して、正直言って僕は道具としての魅力を感じることが出来なかった。残念ながら何か強烈な思想や使命を持って作られたモデルには見えなかったからだと思う。
この投稿はα7の3世代について小説の一文を引用して書いた。iPhone、Canon5Dをみても技術的革命はおおよそ3世代で完成するようだ。そしてその革命には10年はかからない。
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