【青山士(後編)】いかに生きるべきか?〜土木スーパースター列伝 #03
前編に引き続き、横浜国立大学の有馬優がお届けします。
“海外で活躍した土木偉人”というテーマで私の推し偉人『青山士(あきら)』をご紹介。彼が実践してきた哲学を「モチベーション」に置き換えた考察の後編になります。
前編はこちらです。
完成を見ずに帰国する
(ギャングたちと青山(左前)/出典:土木学会ライブラリー青山士写真集より)
1903年に単身でパナマ運河建設に向かった青山は1911年、パナマ運河が8割ほど完成したところで帰国し、その後辞表を提出します。パナマ運河が完成する3年前のことでした。
当時、日露戦争後の世界では反日運動が盛んに行われ、青山自身もスパイの疑いをかけられたように、日本人土木技術者の参画は難しくなっていたことも、完成を見ずに帰国した要因とされています。
(南東の階段から見た閘門現場パナマ・ガトゥン工区/出典:土木学会ライブラリー青山士写真集より)
それでも、青山の手際よい測量の腕や勤勉さ、有能さは、パナマ運河委員会からも高く評価され、青山の名前は、パナマ運河建設の重要人物として現地で語り継がれています。
現地のパナマ運河博物館には、建設に携わった技術者の集合写真が展示されており、その最前列に青山の姿を見ることができます。
パナマ運河博物館内の青山士コーナー
この写真はパナマ運河博物館より送られてきたものです。これ以外に5点の写真と、館が作成した「青山士パンフレット」を頂きました。全て掲載するとスクロールが大変になりますので、下記ドライブで閲覧ください。
日本からの問い合わせに対する、こうした館側の応対から、青山士へのリスペクトと彼が現地で残した功績の偉大さを強く感じますね。
300年で130回も洪水を起こす荒ぶる川
荒川放水路旧岩淵水門/出典:横浜国立大学都市科学部都市基盤学科4年 平野貴大
パナマ運河建設工事から帰国した青山は、内務省技術官僚(内務技師)に採用され、今度は日本での建設事業に従事することになりました。
最初に着手したのは、荒川放水路の建設です。
約20年の歳月をかけて完成した荒川放水路は、最大の土木工学的実験であり、500万人を超える住民たちを洪水から守るための、壮大なプロジェクトでした。
その要となった旧岩淵水門は、現在「赤水門」の愛称で親しまれ、1999年に東京都選定歴史的建造物に選定されています。
荒川
埼玉県と東京都を蛇行して流れ、東京湾に注いでいる川。毎年のように洪水を繰り返すことから「荒ぶる川」と言われ、江戸時代から明治末までの300年余りの間に、130回もの洪水があった。1930年に放水路が完成して以来、堤防は一度も決壊することなく、人々の暮らしを守り続けている。
「青山さんは、はれがましいことはお好きでなく、権威ぶらず、庶民的で、しかも折り目正しい」
これは、当時の記録です。
青山は、泥まみれになることを厭わずに、早朝から工事現場に出て作業を指揮監督し、梅雨や台風の季節になると、雨に打たれながら夜間の見回りをしたそうです。
海外で活躍したからと天狗になったり、横柄な態度をとったりすることはなく、彼の人柄を慕う技術者も多くいたと言われています。青山はどういうモチベーションで帰国後を過ごしたのか。私はそこに、彼の「信仰」を見出しています。
「いかに生きるべきか」
そう問い続けてきた青山の人生に大きな指針をもたらしたのが、思想家の内村鑑三です。
青山は、22歳の頃に内村に弟子入りし、毎週日曜日は内村の自宅で開かれていた聖書購読会に参加し、キリスト教を学んでいます。これはパナマ運河建設のために渡米する直前のことです。
“I wish to leave this world better than I was born.”(私はこの世を私が生まれた来たときよりも、より良くして残したい)
内村鑑三が『後世への最大遺物』の中で紹介した、イギリスの天文学者ジョン・ハーシェルの言葉。
内村の名著である『後世への最大遺物』で目にしたこの言葉を、青山は人生のモットーに掲げていました。
洪水が襲い、疫病がはびこるこの大地を少しでも良くして、後世に残す。それが、神から示された使命だと思っていたようです。
内村は著書の中で、後世に残すものとしてまずは「金銭」、それが無理なら「土木事業」、それが無理なら「思想」を残せ、と記しています。
では、お金もなく、事業もできず、思想家にもなれない者はどうするか。後世への最大遺物は「勇ましい高尚な生涯」であると、内村は結びます。
「武士道的クリスチャン」と評された内村の思想を、青山はマラリアに罹患しながらもパナマで実践し、帰国後も驕り高ぶることなく技術者として継承したのです。
青山士のモチベーションの源泉
常に、最も困難で、最も多くの人に影響する事業へ足を運び続けたのが青山士でした。
これまでお届けしてきたように、そのモチベーションの裏には、尊敬する人の期待に応えようとする「素直さ」、自分が学び育ってきた「日本への想い」、どんな逆境や変化にもひるまない「信仰」があったのです。
そして、彼の誠実で献身的な取り組みの根底には、揺るぎない後世への想いがありました。熱心なクリスチャンでもあった青山の軌跡を辿ることで、これからの社会を作っていく私たちに何ができるのか、いかに生きるべきなのか、考えさせられます。
1963年3月21日、自然の残る高台に建設した自宅で、青山は静かに息を引き取りました。その1ヶ月後、東京の学士会館で開かれた「青山士追悼会」では、次のような追悼文が読まれました。
「青山さんはその名の示すごとく、実に士(さむらい)らしい基督者(キリスト)であった。かれはそれほど祖国日本とその伝統を愛した。だが、それと同時に、いな、それ以上に、人類と正義を愛した」
掘り下げるうちについ熱が入ってしまい、前編と後編に分けてお届けしました。大卒まもない物静かな青年が単身でパナマへ向かう。そこから始まる技術師としての勇ましい生涯。最後まで謙虚さと誠実さを貫き、後世のために行動し続けた青山は、私にとってスーパースターです。
---
付記:横浜国立大学都市科学部都市基盤学科では、学生有志による広報活動として「優しさの街」というページを運営しています。土木技術の優しさに支えられる、日本の美しい街。その様子を、学生自らの手で撮影した写真たちが物語っています。ぜひお立ち寄りください!
【Instagram】 https://www.instagram.com/ynu_cvg/
【Twitter】 https://twitter.com/ynu_cvg
【Facebook】 https://www.facebook.com/ynu.cvg
文責:有馬優(横浜国立大学都市イノベーション研究院職員)
<プロフィール>
留学生との交流を通じて土木工学に興味を持ち、土木偏愛家たちに弟子入り。土木の魅力や重要性を広く伝えるために、「ことば」を重視した広報活動に取り組んでいる。「デミーとマツの土木広報大賞2020」優秀賞受賞。人を待つ時間が好きで、読みかけの本と共に30分前行動を心がけている。