【加藤清正】槍の名手は土木も名手!土木スーパースター列伝 #02
「人は一代、名は末代。天晴武士の心かな」
これは戦国武将・加藤清正の中で僕が一番好きな言葉です。
こんにちは、熊本大学熊本創生推進機構准教授の田中尚人と申します。土木リテラシー促進グループのメンバーでもあります。
熊本の地方創生を推進する政策立案や公民連携を実践する部署におり、土木史の研究や、景観まちづくりなどを支援する土木計画分野の研究者でもあります。
三年前から土木学会誌の編集委員をやっていて(昨年度からは幹事長)、長く土木学会誌の人気連載であった『覚えよう土木偉人!』で「後藤新平」の執筆を担当した縁で、『土木偉人かるた』に関わるようになりました。
『土木偉人かるた』
https://www.jsce.or.jp/publication/detail/detail.asp?id=3045
槍の名手・加藤清正とは?
その『土木偉人かるた』に収録されている48名の偉人から、僕が紹介するのは『加藤清正』です。熊本の人たちは皆「清正公(せいしょこ)さん」と愛情を込めて呼びます。
加藤清正は、永禄5年(1562年)6月24日、刀鍛冶加藤清忠の子として尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)に生まれ、6月24日に享年50歳でなくなりました。つまり今日6月24日は加藤清正の誕生日であり、命日でもあるのです。
戦国武将としては槍の名手と言われました。
190cm超えの大きな体躯を活かし、片鎌槍で虎を退治した伝説を持つ清正は、天正16年(1588年)数え27歳、佐々成政に代わり肥後北半国の大名となり肥後に入国します。
そして、慶長12年(1607年)熊本城の完成に伴い「隈本」を「熊本」に改名させた人物でもあります。
謎が多く、颯爽と熊本に現れては今なお多くの熊本の人々に愛され、SF小説『黄泉がえり again』にも登場してしまう清正公さんは、「稀代の土木技術者」と呼ばれる土木界のスーパースターでもありました。
なぜ戦国武将が土木なのか? その代表的人物として知られる加藤清正のエンジニアとしての一面を解説してみます。
築城の名手
加藤清正は天下の名城「熊本城」を築いた以外にも、名護屋城、蔚山倭城、江戸城、名古屋城などの建設に関わったとされ、築城の名手としても知られています。
なぜ、清正は築城の名手と呼ばれたのでしょうか? その鍵は、城郭には必須の城石垣「石積み技術」にあります。
清正は滋賀県を出自とする穴太衆(あのうしゅう)という石工集団ともよく仕事をともにしたと言われています。
穴太衆もまた謎の多い石工集団ですが、清正は織田信長や豊臣秀吉に見いだされ、城石垣を野面積み(自然石を積む技法)で造るようになったとされています。
が、清正がどこで土木の知識を得たのか、謎に包まれていて、秀吉門下生たちと新工法の自主ゼミを開いていたのかもしれません。
これは、穴太衆が積んだと言われる熊本城の石垣の中でも、僕が最も美しいと考える「二様の石垣」です。
手前の古い方が加藤時代。もたれかかるように積まれた奥の新しい方が加藤の後を受けて肥後入りした細川時代の石垣とされます。
どちらも「打込み接ぎ」を用いた美しい石垣ですが(うちこみはぎ:石を加工して石同士の接触面を増やし、より強固な石垣を組む技法)、時代によって勾配が違います。
築城の名手・清正の後を受けた細川家が、清正よりも急勾配の石を積んでいることから、細川家のなみなみならぬ意気込みを感じます。
「土木の神様」と評される清正が築城の名手と呼ばれたのは、やはり彼の城石垣、石積み技術に対するこだわりによるところが大きいと思います。
城下町づくりの名手
熊本市中心部を蛇行しながら流れる白川は、昔から暴れ川として有名で、阿蘇の火山灰土(ヨナ)を含んだ重い水流が洪水のたびに熊本の市街地を襲いました。これは城下町建設には厄介者で、今の熊本市役所辺りを流れていた白川の流路を現在のように直線化したのが清正だと言われています。
熊本城の築城、さらには熊本城下町の発展のためには、様々な物資を輸送する舟運路が必要です。もともとは白川と接続していた坪井川を分離させ、熊本の外港である川尻まで繋ぐ運河として付け替えたのが清正の功績です。
川尻は緑川舟運の重要な川湊であり、藩の年貢米の集積地であった「御蔵前(おくらんまえ)船着場跡」の石積みは一見の価値がありますよ!
城下町としてこれらの水辺を見ると、坪井川は熊本城の内堀、白川は対薩薩摩藩の外堀として機能します。清正は熊本城内に100本以上の井戸を掘り、長期戦にも持ちこたえる城としました。
のちの西南戦争で、この熊本城を陥落されることができなかった西郷隆盛が「官軍に負けたのではない、清正公に負けたのだ」とつぶやいたと言われます。
清正は、水を味方につけ、天下の名城にして、難攻不落の熊本城と城下町をつくったのでした。
「水」の名手① 鼻ぐり井手
2016年に放映されたNHKのブラタモリ「水の国熊本編」で一躍有名になった「鼻ぐり井手」を築造したのも清正です。馬場楠堰から取水した水を運ぶ全長12㎞に渡る馬場楠井手の一部で、400mほどの区間を指します。
白川上流の菊陽町馬場楠にあり、「井手(いで)」は農業用水路を指します。清正は熊本市内の農業用水の確保や新田開発に熱心でした。
牛の鼻輪を「鼻ぐり」と呼ぶのですが、この鼻ぐりの形をした不思議な板の間をヨナを含んだ水が流れると自然と渦を巻く水流となり、沈砂せずに井手を水が流れきるという仕組みで、水理学的にも理に適った構造をしています。
この「鼻ぐり井手」は現代からみても高度な土木技術だと僕は高く評価しています。
「水」の名手② 八の字堰
菊池川下流・玉名や球磨川下流・八代の干拓事業まで、熊本県内の多くの「水」に関する土木事業が清正公の偉業と信じられています(熊本では、なんでもかんでも清正公さんの偉業となってしまう 笑)。
(出典:土木学会景観・デザイン委員会HPより)
熊本第二の都市・八代市の球磨川の最下流部に慶長13年(1608年)に清正によって築造された石造の斜め堰が「八の字堰」です。
昭和43年に可動堰である遥拝堰が築造されるまで、350年以上も急流球磨川の治水と利水の要として機能していました。これは凄いことです!
この清正由来の八の字堰が再生されると、「自然環境の再生保全に対する土木デザインの挑戦。風景に溶け込み、地域活動のきっかけや観光資源にもなっている」などと評価され、2020年度グッドデザイン賞、2020年度土木学会デザイン賞優秀賞を受賞しました。
「水」の名手③ 水の国づくり
阿蘇のカルデラに象徴される「火の国」熊本は「水の都」とも呼ばれます。
北から、菊池川・白川・緑川・球磨川と4本もの一級河川が、それぞれ風土の違う流域を形成し、全ての流域が国際かんがい排水委員会(ICID)が選ぶ「世界かんがい施設遺産」を有しています。
特に阿蘇カルデラを上流域に持つ白川流域の上流部で降った降雨は地下に浸透し、伏流水として熊本盆地のあちこちで湧き出し、熊本市の上水道の水は100%その地下水でまかなわれています。
熊本は、昭和28年の6.26水害や昨年の球磨川流域の水害など洪水の常襲地帯でもあります。清正は、こうした熊本特有の「水」の課題を治水・利水・親水のすべてにおいて卓越した土木技術を用いて解決していきました。
人は一代、名は末代。天晴武士の心かな
冒頭で、一番好きな言葉と言いましたが、清正の人となりが凝縮されているように思えて好きなんです。
「人は一代、名は末代」は、やり直しはないと潔く、一期一会を大切に誠意をもって働き、自然の理を科学的によく理解し、人のための城、まち、国をつくり、今に生き続けている清正をよく表した言葉だと思っています。
きっと、落ち込んでいる家来や仲間たちに向かって常日頃から言いまくったのではないかと僕は考えます。
もうひとつの「天晴武士の心かな」は、土木技術者に必要な倫理感に通じている気がしています。それは、現世で名誉を得ようなんてけち臭いこと言わずに、世のため、人のため働いてみないかと。人々の幸せを願う高い志を感じ取れます。
なぜ戦国武将が土木なのか?
戦国武将に必要なのは、戦(いくさ)の才だけではなく、民を治める土木の心と技もまた必須スキルなのだと、清正の姿から学ぶことができます。
お知らせ
最後に、土木リテラシー促進グループからお知らせです!
48名収録している『土木偉人かるた』ですが、48名じゃ足りない!という声を多く頂き、みんなでつくる『土木偉人かるた』ver2を計画しています。そこで、多くの方から「私の推し偉人!」を募集しています。
また、「みんなで作る土木偉人かるた 土木偉人イブニングトーク」も月1回程度行っています。参加は無料ですので、お時間のある方は,ぜひご参加ください!
~みんなで作る土木偉人かるた 第2回 土木偉人イブニングトーク~
■日時:2021年7月20日(火)17:00~17:30 頃
■場所:オンライン開催 (Zoomウェビナー)
■費用:参加無料
■話題:『土木偉人かるた』に私の土木偉人がいない!
■ゲスト:桑原るみ氏、常松心平氏(オフィス303)
「しらべよう!47都道府県 郷土の発展につくした先人」制作
■メインスピーカー:
松永昭吾(土木偏愛note「from DOBOKU」 編集長)通称マツさん
鈴木三馨(土木リテラシー促進グループ長)通称ミカさん
■司会:寺村淳(第一工科大学 准教授)通称てっちゃん
■申込み:「本部主催行事の参加申込」よりお申込みください。
文責:田中尚人(熊本大学熊本創生推進機構准教授)
プロフィール
専門は土木史、景観マネジメント、都市地域計画。趣味は散歩と妄想。文化的景観保全の研究と実践を熊本県を中心に行い、水辺の国土史を紡ぎたいと考えている。著書に恩師中村良夫先生らと編んだ『都市を編集する川-広島・太田川のまちづくり(渓水社,2019.12)』がある。