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「密」じゃない街 お台場

 生まれてから今が一番「密」という言葉を見聞きしているのではなかろうか。
「みつ」と打って、このご時世なのに真っ先に「蜜」と変換してきた私のPCの若干のいやらしさは置いておいたとして、時代は密である。密です。密です。

 私は東京で暮らしている。満員電車に揺られて出勤して、週末は喧騒の繁華街を彷徨う。そんな暮らしも宣言下では一変した。この高密度都市・東京で密にならない場所などないはずなのに、テレビに映し出される見知った街は、所在なさげに静かに佇んていた。

 そんな非日常も落ち着き、新たなる非日常を迎えるにあたって、数日前から私の脳裏に浮かぶのは「お台場」の風景である。

 お台場ー東京臨海部の埋立地。商業施設やホテル、テレビ局や科学未来館など、観光名所は色々とある。
 お台場を歩いてみるとわかるのだが、街全体が非常にゆとりを持った空間となっている気がする。複雑な路地もなければ、坂もない。天を衝くビルも点在するだけで、密集してはいない。まだまだ空き地も多く、草木がやる気のない生え方をしている。

 高密度な都市風景が東京の魅力であると感じている私にとって、お台場は非常に物足りない。密ではなく「疎」なランドスケープ。もちろん週末は混み合う。人の多さではなく、建物と建物の間隔や歩道の広さを考えると、お台場は非常に「疎」である。

 「疎」を感じたいのであれば、ぜひ平日のお台場を訪れてみてほしい。

 どんよりとした曇天の日、少し肌寒く、海風に乗って潮の香りが漂ってくるようなこないような。あたりのビルに人影は見えず、車道のトラックはせわしなく走っているものの、歩道には誰も歩いていない。ゆりかもめは静かにあなたの頭上を通り過ぎる。まるでもう戻ってこないかのように。あなたがどんなに楽天的な性格でも、平日のお台場の風景は、否応がなしに寂しさを感じさせるだろう。

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「そんなことばかり言ってあなたはお台場が嫌いなのですか?」と喉に匕首突きつけられ、開発業者に問われたとする。答えはNOだ。決して嫌いというわけではない。歩いていてつまらないな、と思うものの、その存在自体は別に嫌いではない。このメガロポリス東京に、そういう街が一つくらいあってもいいではないか。

 お台場海浜公園から、レインボーブリッジを間に挟んで東京を眺めると、やはりとてつもない都市だな、と思う。東京は、海から眺めることで、初めて都市としての威容と異様さを感じられる気がする。江戸の頃より、水辺と深く繋がる都市だから、東京を論じるには海からの視点は欠かせない。

 お台場は、江戸時代後期に防衛拠点として作られた。かつて、お台場の視線は外に向いていた。しかし、お台場海浜公園のベンチに座って、内向きに東京を眺めると、この都市があと100年後どうなっているのだろうかと考え込んでしまう。

 というわけで、深く思索したい方は、ぜひ’’平日’’のお台場に。

余談をお一つ。お台場が、もし東京ウォーターサイドとかみらいじまとか行政風のセンスのない名称だったら、私は間違いなく嫌いになっていた。「台場」という四角張った硬さに「お」がつくことで、どことなく、まあるくユルい雰囲気を纏うことに成功している、と私は勝手に思っている。


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