12日目〜勝ち組YouTuberと負け組Gamer〜
この日について書くべきことは本当に何もない。砂漠を歩き回っても果実のなる木が全く見当たらないように、想像の中でこの一日をいくら泳ぎ回っても思い出となる記憶は一つも存在していなかった。
琵琶湖周辺を観光した人たちのvlogを夕食時にYouTubeで視聴した記憶以外はほとんど何も思い出せない。我々はある場所へ行った後、その同じ場所を訪れた弱小YouTuberのvlogを視聴して復習を欠かさない。高額の拝観料を理由に入山を拒否した三井寺も、このブログのように見所が一つとして見つからない近江神宮もvlogで観ながら感想を述べ合った。遠出する目的の半分以上は訪問した場所を振り返るための時間に存するのだ。
加えて、我々は煮付けた人参と白菜を食べながら、動画内で琵琶湖を散策するどこにでもいそうなカップルがISFJ男とISFP女なのかISFJダブルコンビなのかとK君と言い争った。恐らく彼の言う通りISFP女なのだろう。それは別に構わない。しかしこの女がホールから切り分けられたケーキが大きいからと盛大に誇張して8分の1だなどと抜かしたのにそれを擁護したK君には我慢ならなかった。「このケーキの角度が45度に見えるなんて目がおかしいんじゃないか?どう見ても30度だから12分の1だ。これを8分の1だなんて言っちゃどうしようもねえよ」と反撃した。しかしこれとて動画内で幸せそうにケーキを頬張る人間をISFJ女だと認めさせられなかった腹いせに過ぎないだろう。本当に8分の1だったのかもしれないが私は頑として認めなかった。
さて日中はというと、前日に京都市街と琵琶湖を結ぶ峠道を自転車で往復したことにより力尽きた私は外出せずゲームに捧げたようだ。記憶がないのでゲームしていたのかさえ覚えていないがメモ帳にはDead by Daylightというゴミゲームを最低7時間プレイしたと記載されている。
ゲームは記憶を抹消し健忘症を発症させる特殊作用を持っている。それに抗う精神の元、ゲームに費やした時間だけはメモ帳に記載するようにしている。ゲームというテンプレートな理性を要求しつつ一時の感情を煽るだけの装置は未来の私に何も残してはくれないのである。しかしこれは私にしてみれば不条理でしかない。ある特定の分野のゲームに関する抜きん出た才能を持つ人間が、その才能を発揮することによって幸福にはならないのだから。元来才能がないため躊躇なくゲームを切り捨てた人間には、才能があるのにやむを得ずゲームを切り捨てなければならない人間の苦悩が分からない。たかがゲームだろうと笑うかもしれない。否、私が問題にしているのは個人に与えられた特有の才能を発揮しても幸福にはなれないという一つの悲劇なのである。
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