蛙に紫紺の月

京都滞在中の出来事を書き記します。 誰も共感できない個人的な記憶の足跡です。

蛙に紫紺の月

京都滞在中の出来事を書き記します。 誰も共感できない個人的な記憶の足跡です。

最近の記事

文学的要素のない世俗的な男女のやり取り

男は巌のようにムスッとした彼女と並んで歩いている。義務的な会話をいくつか交わした後、耐え難いしばらくの沈黙が訪れていた。それは各人が邪推し合い、心のうちで溢れるほど雄弁になる種類の沈黙である。男はその時間によって迫られた内省の果て、水を両手でゆっくり掬うように優しく切り出した。 「どうしたの?」 「別に」 「別に?」 「うん」 「何も話したくない?」  「話すことなんてないよ」 「何もない?」 「うん」 「ぼくも黙ってた方がいい?」 「好きにすれば」 「そっか。昨日から○○

    • 人間は自分の信じた正しさのために発狂できるほど正しくあろうとするものである

      自分の正しさに反する人間がいれば、その人物は容易に極悪へと転ずる。人間は彼に対して蔑視に似た無関心を装うか殺意に近い感情を抱く。しかし信仰としての己の正しさとは、その実、博打で賭けられた選択に等しい。その信仰がある種の挑戦的な博打なのだと認識されれば、悲劇的な人間同士の闘争は舞台上の遊戯と化す。目前の殺意を抱く極悪人が舞台を降りて、微笑を浮かべながら握手を求めてくる。その悪者とは紛れもなく己自身である。自分の信じた正しさによって生み出された道化である。ゆえに神は道化を愛し、道

      • 「つまらない」とは、自己分裂の感覚である

        わたしは心底つまらないと感じるものに対して、つまらないという理由によってそれを無感動に投げ捨てることは決してしない。むしろ、なぜつまらないのかどこまでもどこまでも突き詰めてみたいと自然思うのである。もし、つまらないという感覚が、それを生む対象を投げ捨てることの許容を意味するのだとしたら、人生や自己なんていうものはどれだけ容易に捨て去られることだろう。 今訳あって苛めが主題の小説を読んでいる。苛めは少しばかり苦しいかもしれないが、つまらないという感覚の方が比較ならないほど耐え

        • もしもイエス・キリストが我々のように賢ければ十字架で磔にされず生き延びていただろう

          賢い我々は十字架を巧妙に逃れて生き延びている。愚かな人たちには伝わるはずのない真意を隠し、対立を引き起こす問答などはじめから避ける。だから民衆の中では生きない。少なくとも仮面なしでは対面せず、本音では語らない。人と人の間に降りて行き、その中で無能者として死んで行くことに命をかけて抵抗する。大衆を蔑視あるいは憎悪する我々が求める物語は、有能者が奇跡的な力によって大衆を捻じ伏せ従えるものである。イエス・キリストは我々のようには賢くなかったから、伝わりもしない無能な民衆に説教を垂れ

        文学的要素のない世俗的な男女のやり取り

          大衆というものをどう捉えるか

          大衆について語るとき、個人は大衆から切り離される。しかし大衆とはそうした個人の集合体である。自分は大衆の一員であるという視点がない人間は大衆の中の一人一人から容易に個性を剥奪する。人類愛を持つ人間がこれっぽっちも隣人愛を持たないことがあるという卓越した洞察。これは、人類に対する愛ではなく憎悪についても同じことが言えるだろう。すなわち、一丁前に大衆を批判するくせに自分に利益のある隣人には易々と迎合するという人間。大衆とはそういう隣人の集まりであるというのに。切り捨てられた人間に

          大衆というものをどう捉えるか

          小話〜ふいに吐き気を覚えた男の話〜

           ある初秋の晩、月明かりを映す川に架かる橋の上でひとりの青年がふいに吐き気を覚えた。彼は傍目に見ても病人という風貌ではない。これまでの人生で吐いたことなどまるでなかった。だから、この感じは何だろうと戸惑いながら、これは吐き気なのだと理解していった。それをはっきりと認識するに従いその不快はますます激しくなった。  経験の上で彼は吐き方を知らなかった。知識を頼りに道の端で試してみたが駄目だった。涙だけが流れて一層不快になった。いまにも倒れそうによろよろ歩いてすぐ横になりたいと思っ

          小話〜ふいに吐き気を覚えた男の話〜

          15日目〜行くところまで行かねば気が済まぬ〜

          前回の続き。物集女町の丘陵地にある竹林地帯を南下して向日神社を目指す。日暮れまで映画一本分の時間しか残されていなかった。なぜ日暮れまで二時間と書かなかったのか。それは私が根っからの天の邪鬼だからである。 二ヶ月以上が経過したこの日の出来事についてこれ以上何ら書く意欲がない。だからこそ私は捨象すべき事象も含めて残る記憶を全て詳細に書き記そうと思う。数少ない読者の興味を削ぎ落とし、うんざりさせ、睡魔に突き落とすことを目指してみようと思う。あるいは我慢ならず力任せに石を川面へ投げ

          15日目〜行くところまで行かねば気が済まぬ〜

          15日目〜向日市の物集女〜

          例えば、自分の母が台所で料理を作っている光景。一般的な家庭で育った人であれば家の様子と共に母の姿を鮮明に思い浮かべられるだろう。そのとき視点はその空間で自分自身が最も慣れ親しんだ位置にある。母や家の雰囲気は、対象に抱く印象がそのまま再現されるに相違ない。 無意識の海に沈んだ数え切れない習慣的な経験が抽出された結果、心はある時点の明確な記憶もなく理想的な像を結ぶ。この種のイメージは、例えば昨日起きた具体的な出来事を思い返すときに再生される一つのはっきりとした記憶とは全く異なる

          15日目〜向日市の物集女〜

          14日目〜語るに値しない記憶〜

          まずは、この日からひと月以上が経過した後に、当日の出来事を書き起こそうとする現在の自分の心情から文章をはじめようと思う。そうすれば、いかにこの一日が語るに値しない日であったかが明瞭な形で表されるはずだからである。私はそれを表す努力に加え、語るに値しない記憶を語ろうとする苦悶にこそ、ここで記すべき内容が含まれていると直覚した。 この一日がもたらした記憶を一つ一つ並べるようにして思い浮かべると、眼前に一つの情景が立ち上がる。イメージされるのは、愛着のない古物をやむを得ず一つずつ

          14日目〜語るに値しない記憶〜

          13日目〜最後の秘境〜

          私は昼まで布団の中で幼虫のように転がっていた。家主のK君はそんな自分を見送ると自転車に跨がり生活費を稼ぎに出掛けた。日の差さない町家のがらんとした空間が取り残された。 「時間も時間だし、米を研がなければならないな。彼が帰ってくる前に皿洗いも済ませよう」そう自分に言い聞かせると、蓑虫は心地よく温まった布団からのそのそと這い出た。台所へ行き米の入った袋を持ち上げる。一食分にも満たない量が軽い音を鳴らした。 「買いに行かなくちゃいけないぞ。K君は何も気にせずに出掛けてしまったん

          13日目〜最後の秘境〜

          12日目〜勝ち組YouTuberと負け組Gamer〜

          この日について書くべきことは本当に何もない。砂漠を歩き回っても果実のなる木が全く見当たらないように、想像の中でこの一日をいくら泳ぎ回っても思い出となる記憶は一つも存在していなかった。 琵琶湖周辺を観光した人たちのvlogを夕食時にYouTubeで視聴した記憶以外はほとんど何も思い出せない。我々はある場所へ行った後、その同じ場所を訪れた弱小YouTuberのvlogを視聴して復習を欠かさない。高額の拝観料を理由に入山を拒否した三井寺も、このブログのように見所が一つとして見つか

          12日目〜勝ち組YouTuberと負け組Gamer〜

          11日目〜京都市街と琵琶湖を結ぶ峠道②〜

          記述が細部に渡り過ぎたので前置きを書く。そもそも他人に見せるより、自分の京都滞在中の記憶を詳細に書き残すことを目的にしているので、このブログに辿り着いた2,3人の稀有な読者様は帰路の峠道を描いた最後の場面だけお読み頂ければ、全体を通して駄文であるこの作文で眠くならずに済むはずである。以下、前回の続き。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 山科のショッピングモールを出るとK君にクロスバイクを譲り、ロシナンテ(「ドン・キホーテ」に登場する痩せ馬に由来する「小型の折り畳み自転車

          11日目〜京都市街と琵琶湖を結ぶ峠道②〜

          11日目〜京都市街と琵琶湖を結ぶ峠道①〜

          いつもよりたまたま早めに起床したので、天気も良いし思い切って琵琶湖へ行こうかとK君に提案する。基本遠出には否定的な彼だが「そろそろ京都市外に出掛けるのも悪くないね」と快諾してくれた。米が炊けていなかったので麺を茹でることにした。キッチンでゴソゴソと食糧を漁っていたK君が「ひやむぎがあるよ」と居間の座布団の上で怠惰に根を生やす私に声を掛け、「封が切られてて密閉されずに放置されてた」とニヤニヤしながら続けた。「大丈夫かな?」と聞かれ、私は田舎の祖母の家で同じように放置されていた素

          11日目〜京都市街と琵琶湖を結ぶ峠道①〜

          10日目〜切断された街路樹を眺めるような一日〜

          ウードというギターの起源となった中東の楽器を中心にしたアラブ音楽の演奏会を京都府庁旧本館まで聴きに行った。常味裕司という出演者がウード奏者の第一人者であると知っていたK君が観覧を希望したのだ。13時半開演だったが当日の朝まで夜通し話し込んでいた我々はもちろん寝坊した。私に至っては布団に入ってもアニメを見たり調べ物をしたり過去の思い出に浸っていたりしたので、起き上がる頃には昼食を済ませたK君が出発の準備を終わらせていた。彼には先に行ってもらい自分も急いで昼食を食べて外へ出た。

          10日目〜切断された街路樹を眺めるような一日〜

          9日目〜絶望の三十路②〜

          岡崎公園に着くと学生たちが微妙なラップを即興で披露していたので軽く見物する。側から見て実に典型的で凡俗な会話をその場に立ち止まりながら K君と繰り広げる。「“Yo! Yo! Yo! Yo!”って乱入して来なよ。このレベルなら勝てるでしょ、ほら行きなよ」私が街中の人々の間でならどこにでも見受けられるようなしょうもない扇動を起点にする。すると、K君もこういう場合大多数の人によくありがちな若干の苦みを加えた微笑を浮かべながら「嫌だよ」と簡単に答える。それから、行きなよ行きなよと嫌だ

          9日目〜絶望の三十路②〜

          9日目〜絶望の三十路①〜

          また今年も十一月の京都で誕生日を迎えた。ついに三十になってしまった。この年になっても尚、現在、社会的には文字通り何もしていないし目に見える個人的な成果は何も生み出されていない。ゆえに今後、生活面での苦労と自身のますます先細りになる可能性とが容易に予想される。貯金の底には少し手を伸ばせばあっという間に届く。残高を見るとき、軽い音を鳴らす米びつの中を恐る恐る覗くような気持ちになる。数年前、自分の置かれた状況を「兵糧攻め」と表現したが、それが今にして的確な言葉であるとわかるのだ。そ

          9日目〜絶望の三十路①〜