文学的要素のない世俗的な男女のやり取り
男は巌のようにムスッとした彼女と並んで歩いている。義務的な会話をいくつか交わした後、耐え難いしばらくの沈黙が訪れていた。それは各人が邪推し合い、心のうちで溢れるほど雄弁になる種類の沈黙である。男はその時間によって迫られた内省の果て、水を両手でゆっくり掬うように優しく切り出した。
「どうしたの?」
「別に」
「別に?」
「うん」
「何も話したくない?」
「話すことなんてないよ」
「何もない?」
「うん」
「ぼくも黙ってた方がいい?」
「好きにすれば」
「そっか。昨日から○○ちゃん(相手)が全然話してくれないの、とても寂しいんだよね」
「寂しい? 自分のせいでしょ」
「そうなの?」
「わからないの?」
「うん、わからない。ごめん」
「へえ」
「今も昨夜寝るときもずっと考えてたんだけどやっぱりわからなくて」
「それで?」
「何が引っ掛かってるのか教えて欲しい」
「言いたくない」
「わかった。話したくなったら話してくれる?」
「じゃあさ、昨日メッセージのやり取りしてた女の子のこと聞かせて」
「うん」
「見るつもりなかったけどたまたま見えちゃったの」
「そうなんだ」
「ずいぶん仲良さそうな内容だったね」
「そうだね、仲良い方だとは思うよ」
「ふうん、もえかちゃんだっけ? わたし知らないんだけど」
「話したことなかったね、隠してたわけじゃないんだけど」
「わたしそういうのイヤ」
「どうすればいい?」
「(黙)」
「極力やり取りしないようにするよ」
「信じられない」
「じゃあ、今あの子にメッセージ送るよ。○○ちゃんに嫌な思いさせたくないから連絡控えてもらってもいいかって。これまでの会話の内容見てもいいよ? そもそも大したやり取りしてないけど」
「ううん、大丈夫」
「そっか。ほら、送ったよ」
「うん」
「これでいい?」
「とりあえずね」
「そういえば、お腹は空いてる?」
「ええ? さっきお昼食べたばっかりじゃん」
「あれ? そうだった。シュークリーム食べに行くのはどう?」
「まあ、うん。いいよ」
「よし、じゃあ一緒に店まで走って競争しよう」
「しないよ。ねえ、わたしのこと好き? わからなくて心配になるの」
「好きだよ」彼は照れくさそうにそう言った瞬間、ひとり全速力で駆け出して行ってしまった。
先にシュークリームの店に到着した彼は手の甲で大粒の汗を拭いながらこんなことを思った。
《あの場面で世の大半の男性は、そもそも「どうしたの?」なんて優しく聞こうとすらしないかもしれない。まして「別に」なんて返されたときの絶望感に打ち勝つ男性がどれほどいるのだろう。それゆえ、女性の不機嫌の熱が冷めるまで男性は知らぬ存ぜぬで待ちつづけ、そのまま気付かないうちに相手の気持ちも同時に冷めてしまうのだ。ああ、怖い怖い》
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