もしもイエス・キリストが我々のように賢ければ十字架で磔にされず生き延びていただろう

賢い我々は十字架を巧妙に逃れて生き延びている。愚かな人たちには伝わるはずのない真意を隠し、対立を引き起こす問答などはじめから避ける。だから民衆の中では生きない。少なくとも仮面なしでは対面せず、本音では語らない。人と人の間に降りて行き、その中で無能者として死んで行くことに命をかけて抵抗する。大衆を蔑視あるいは憎悪する我々が求める物語は、有能者が奇跡的な力によって大衆を捻じ伏せ従えるものである。イエス・キリストは我々のようには賢くなかったから、伝わりもしない無能な民衆に説教を垂れ、わかり合うはずもない頑固な学者と論争し、信頼した仲間に裏切られ、大衆から蔑視と憎悪を一身に浴びて殺されたのだ。なんて愚かなのだろうか?

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