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vol.5 こだわりが腹落ちするキャリア選択とは?

わたしたちは、時に不安に思ったり、悩んだり、葛藤したり、病んで感情がぐちゃぐちゃになったり。
このネガティブな心の動きには、何かしら引き金となる出来事やトピックがありますよね。

もちろん、感情の揺れ動きなので、人それぞれトリガーとなるものは異なりますが、大学生に焦点を当てるならば、就活、広く言うとキャリア選択の場面では、共通してネガティブな心の動きを経験した方が多いのではないでしょうか。

ぼくの場合は、最終的には自分の納得した道を選び取った感覚はあります。しかし、そこに至るまでは、他者と比較して一歩踏み出せない自分、選択したがワクワクできない自分と出会い、何度もドン底を経験しました。

でも、紆余曲折の経験があったからこそ、キャリアを選ぶ上で大切なことにも気づけたとも思っています。

数少ない読者(後輩)から、「進路選択(就活)で決まるまでの心境とか道のりを見たい」と要望をいただいたので、経験ベースの持論ですが、「キャリア選択において自分の納得感を高める上で大切なこと」を紐解いていきます。

進路の移り変わりと"就活"への違和感

まずは、僕の進路の移り変わりを時系列でまとめてみました。

1年:何となく中学or高校の教員
2年:公教育との接点の持ち方は無数にあることに気づく(NPO?民間?)
3年前半:SNS上のネガティブな発信から教員を諦め、教員以外の道を模索する。
3年中盤:就活をしようとするが、おもしろいと思えず、動けず挫折する。
3年終盤:大学院を目指すが、いまいちワクワクできず、挫折する。
4年:揺り戻しを経て、まずは2年間、小学校の教員をすることを決める。

大学受験のタイミングでは、明確な将来の夢もなく、「何となく中学?高校の社会科の先生になろうかな…?」という肌感で大学も選びました。

大学受験がきっかけで、教員という具体的な進路ではなく、広く学校教育への課題感がぼくの中で湧き上がってきました。

そして、1年終わり~2年から、就活目的ではなく、自分自身が突き詰めて考えたい、実践してみたいという「(課題感に近い) 好奇心」をモチベーションに色々と課外活動に手を出しました。

活動を重ねる過程で、「学校教育との関わり方には、教員だけじゃなくて、無数の接点の持ち方があるんだなぁ」と強く実感するようになりました。

その実感と、SNS上で展開される「教員の多忙化」「現場の疲弊」という「先生だけはやめとけ」という強いメッセージに影響を受けて、自然と「先生以外の公教育との関わり方」を模索するようになりました。

選択肢が無数にあり、とても迷う期間でしたが、「こんな関わり方もあるんだ!」という発見が多く、この模索期間は今に活きていると思います。

この時期は「地域×教育」を中心として、多くの先駆者の実践を見て、「学びを通して地域・まちをつくっていきたい」という想いがありました。

しかし、それを実際に仕事にするためには、いわゆる「就活」という一連の関門を突破しないといけません。
ESを書いたり、webテストを受けたり、面接を受けたり。そして、何十もの企業を受けては落ちるの繰り返しが、周囲では日常のように起きていました。そんな光景を目にした自分が感じた違和感と一抹の不安。

・なんでこんなにたくさん企業を受けるのかな?
・評価されるためのESや面接にどんな意味があるのだろう?
・だんだん「行きたいところ」ではなく「受かるところ」という思考になりそうでこわいかも…
・実力のない自分が受けたところで内定はもらえないかも…

結局、「就活をしてみようかなあ~」というノリで就活を本格化させることができず、同級生たちが就活をしている様子を横目で見て、
自分もそろそろ決めてやらんとな~」と思いつつ、自分の好きな活動をしていました。3年生の半ばくらいかな?

なぜか上手くいかない"仮決め"

3年生の10月から、本格的に焦り始め、色々と相談に乗ってもらう中で、「一旦仮決めをして、進んでいこう」と決心しました。

この時には、就活ルートは、今の自分には合わないと感じたので、進路を大学院で仮決めしました。仮置きできた理由として、

①捉え方の変化
遠回り:物理的に社会に出るのが遅れる+社会に出た方が成長
 ↓
自分なりの挑戦:本音でやりたいことをしていく
②本音では学びたいという気持ち
社会に出たくないとかではなく、本音で考えると大学院で学びを深めたい

仮置きした大学院。選択を先送りをするというよりも、今の自分にはこういう勉強・探究が必要だという積極的な理由を持つことが大切と痛感しました。
実際に何人もの大学院生・教授に話を聞きながら、「じゃあ自分は大学院で何を研究する?」と好奇心を働かせながら自分に問いかけました…

しかし、心の底からワクワクできませんでした。明確に学びたいことを見つけることはできませんでした。

点と点がつながる瞬間

年が明けた2023年1月の頭は、過去一で悩んだ時期でした。
就活も無理で、仮決めした大学院も、ほとんどワクワクしない。こんな自分に残された道は果たしてあるのか…と八方塞がりの感覚でした。

進路で何もワクワクできない自分が本当に嫌になり、とにかく「内定」という安心感を求めて、分かりやすいものに飛びつこうと思ったこともありました。

そんなタイミングで、Teach For Japanの12期フェロー(2024年4月赴任)の募集が始まったことを知りました。

この時、ぼくは「これだ!!!!」と頭に電撃が走ったことを覚えています。
以前の記事を読んだ方は分かると思いますが、実はTeach For Japanは2年生の時に一度接点を持っていました。
でも、当時はフェロー(教師)の方は、自分にとっては雲の上の存在で、進路の選択肢にすら入っていませんでした。

しかし、この時は確かな実感がありました。
改めて、今までの経験を振り返ると、自然と何度も行っているのは「学校の現場」だったこと。
そして、「学校教育に何かしらの形で関わりたい」という自分の想い。
この2つの事実は、紛れもない事実であり、等身大の感情でした。

「学校の先生」に仮決めをして進むと決めました。
外側からアプローチを考えるのではなく、現場に入って一緒に試行錯誤する選択肢を取りました。
そして、教採を受けるのではなく、Teach For Japanフェローを選んだ背景はこんなところです。

・現状、一生教員を続けるイメージは持っていないから。でも、一度は教員をしてみたいと思ったから。
・2年間という制限があるからこそ、終わったタイミングで自分で進路について考え、自分の手で進路を切り拓く方がおもしろいと思ったから。
・Teach For JapanのVision、研修のコンセプトに共感して、自分もその一員になりたいと強く思ったから。
・そして、コミュニティには、自分のロールモデルが多くいたから。

その後も研修や審査などの宙ぶらりんの状態を1年間耐え、先日、12期のフェローとして公立学校への赴任が決まりました。

自分の"こだわり"が腹落ちする瞬間

このような軌跡を辿り、現在のキャリア選択に至るのですが、拠り所となった言葉がありました。

・一般のレールから外れていくと、どんどん「おもしろく」なっていく。
・「レールから離れる」勇気と「自分の手で切り拓く」勇気を持つこと。
・やってみないと証拠も根拠もない。やってみて初めて分かる。
・「やらない」と「目指す」は別物である。

ぼくは、他者と比較して自らの首を絞めてしまうタイプです。なので大事なのは「いかに他者と比較できない環境を創り出せるか」だと気づきました。

どれだけ他の人と違う選択を取れるか。そうすることで、他者と共通項が少なくなり、物理的に比較することも少なくなります。
一般的なルート、競争から「離脱する」ことは決して「逃げ」ではありません。それは「主体的な選択」だと思います。

そして、それを裏返すと「自分の手で自分の道を切り拓ていく必要がある」ということでもあります。

ぼくは、就活らしい就活はできずに離脱しましたが、自分のキャリアと向き合うこと、自分の納得感を高めることからは決して逃げなかったと胸を張って今言えます。

自分の納得感を高めることは、「自分がゆずれないこと」をじっくり、自覚的に"育んでいく"ことです。"見つける"ではなく、"育む"ことが大事だと思います。
なぜなら、自分がゆずれないことは、外側から見つけるものではないからです。
今までに無意識に、自然と積み重ねてきた経験や価値観を、じっくり時間をかけて、振り返ったり、育んだり、磨いたりするプロセスで、自分なりの納得感として高まっていくものだからです。

ぼくの「ゆずれないこと」を列挙してみますが、これらはすぐ言語化できるものではないと思います。

・変数が多い"現場"に居続けたい
→試行錯誤を繰り返しながら、自分の深層の資質・能力を磨き続ける
・複雑さや一回性を切り捨てて、「それっぽいもの」に傾倒しない。
・複雑さの中で、悩み、おもしろながら解を生み出す。
・謙虚であれる環境に身を置き続けたい

だから、急がなくていいんです。しんどい時は休んでいいんです。
あなたが大切にしているものを無視してまでがんばる必要はないです。
大切にしていることを大切にできる状態が、何よりあなたにとっての善なのです。

キャリアに向き合う同志へ

ここまでの話を踏まえて、実体験から「キャリア選択において自分の納得感を高める上で大切なこと」をお届けできればと思います。

①「在りたさ」から考えてみる
まず「自分がどう在りたいのか?」という問いから考えてみるといいと思います。在りたさを言い換えると、「内なる尺度」、要は自分の軸のことです。
ぼくは、何よりも自分の在りたさからキャリア選択はスタートするべきだと思います。そこに時間をじっくりかける必要もあると思います。

②「選ばれる」よりかは「選んでいる」感覚
どうしても、キャリア選択の場面では、自分が選考する側から「選ばれている」という感覚に陥りやすいです。
「自分の人生は自分で決めることが大事だ」とよく言われると思いますが、あくまでも自分を主体において、「自分らしい選択ができているか?」と常に問いかけると、軌道修正もしやすいかなと思います。

どうしても解決できない、宙ぶらりんな状態でも持ちこたえる力
この力は、「ネガティブ・ケイパビリティ」と言ったりもします。
逆に、問題の設定とそれに対する解答を即座に求める姿勢を「ポジティブ・ケイパビリティ」と言います。

自分の進むべき方向が見えてこない、中々1つ目の内定がもらえない、周りが就活を終えている様子を見て焦る。などと岐路に立たされる場面は多いと思います。

そうなった時に、「とりあえず受かりそうなところを受けておきたい」「そこで内定を一個ゲットしておきたい」「というかもう就活を終わらせておきたい」などの思考回路になりやすいと思います。

まだ決まらない…あと少しで見えそうだけど…という宙ぶらりんの状態を耐えることが大事になると思います。
宙ぶらりんの状態を耐えていたら、気づいたら自分の納得する道が決まっていると思います。まさにぼくがそうでした。
右に揺れて、左に揺れていく中で、自然と重心が定まっていく感覚です。

これらの3つのキーワードがキャリアを納得して決める上で重要な観点になってくるのではないかと考えています。

今キャリア選択について思うこと

最後に、僕のこれからの展望を自己開示させてください。

大事にしたいこと
・自分の心が揺れ動く感覚を大事に動いていきたい
・あえて自分が予想しない道を選び切ることにエネルギーを注ぐ
・健康的に葛藤しながら、少しずつ進んでいく在り方

これから2年間、TFJのフェローとして公立の現場に入りますが、2年間の間は、学校現場でひたすら突き詰めることもしながら、越境することを忘れずに突き詰めたいと思っています。

そして、2年後の進路の布石を打ち続ける。
点と点がつながるような手立てを継続的に打ち続ける。
気づいたら、それらが熟成してつながる瞬間をネガティブケイパビリティを発揮しながら待つ。

ぼくの中で、キャリア選択の理想状態は、こんな語りをしている時だと思います。「これからの進路ってどうなるの?」という問いかけに対して…

「いやぁ、どうなるかわからないんですよね。でも、それはそれでおもしろくなりそうなんですよね」

この時が、一番不安も好奇心も働いている、すごくいきいきとした感情になっている。

もしかしたら、これを読んでいる方と同じタイミングで、ぼくも2度目のキャリア選択の場面に立ち向かっているかもしれません。ぜひ同志として納得感のある選択ができたらうれしいです。

人生は予測できない方向の方がおもしろいですからね。

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