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年収→生涯年収→生涯幸福度

20代のとき、働いていたときも、転職のときも年収ばっかり気にしていました。
なんかそれが自分の価値な気がしたし、それが高いと自己肯定感が上がっていました。
*存在価値<機能価値に目が向いていたお子様時代です。
 
30代なかばになってなんとなく自分の組織人としての限界年収も見えてきました。
会社員だと多分死ぬほど頑張ってこの辺のポジションだろうな、だとすると年収も…的な。
そうなったとき、なんだか年収を追いかけるのが急に馬鹿らしくなりました。
終わりの見えているゲームに寝食惜しんでストレス抱えて臨む理由がなくったといいますか。
 
でも多少なり権威やお金にも執着が残っていた自分は社内出世から社会出世に目標をシフトして、社内ではストレスを感じるか感じないかギリギリのところで、最大限価値発揮を目指し、残りの力で社外=社会で認められ稼げる自分を目指しました。
 
30後半になって、そこそこ社外でも注目いただいたり報酬が稼げるようになって、
「はて、名誉やお金って本当に必要かい?」と考えるようになりました。
 
というのも、なにか目標に向かってキャッキャしている時間が大好きなわけで、
名誉やお金を手にしても、比較的「別に」な感覚がずっと強かったんです。
成果よりプロセスが楽しいかどうか。そっちが大事だなと。
 
名誉が欲しいのか、と自問したら、「あればいいけどなくてもいい。」でしたし、
お金が欲しいのか、と自問したら、「貧乏くらし割と好き。金ないときのもやしとキャベツってうまいよな」でした。
キャッキャしてたいのか、と自問したらもうノーロジックで「一生キャッキャしてたい」と思いました。
 
一般的には名誉やお金があること=幸福とするのかもしれませんが、自分は違うんだなと、心底感じておりまして。
だから給与も多少下がってもいいし、役職にいたってはどっちでもいい。
他に適任者がいなければやるし、他にいればいつでもどうぞ。
そんな考えに行き着きました。なので最近は幸福度にしか本気で興味がなくなりました。
 
こうなると強いですね。しがらみなく振り切れた生活できるので。
地方でのリモートに復興支援活動、長期育休に週4勤務などなどほかの人がちょっと躊躇することもどんどんできる。(投稿日現在:拠点は東京ですが熊本で育休とったり仕事したりしてます。サムネは近所の海)

なにより自分がキャッキャしてたまらない。人や世の中の常識・物差しになんでこれまでふりまわされてたんだろ、と思う今日この頃です。
 
あ、そうそう。ちょっとズレるかもですが、そんな私がめちゃ共感したのが黒柳徹子さんの生きざま。よかったら読んでみてください。
 
「黒柳徹子さん、30代、40代をどのように過ごしていましたか?」
https://www.vogue.co.jp/celebrity/interview/2018-02-tetsuko-kuroyanagi?fbclid=IwAR3QC38yl_iCre_hBeR-7tNZ8w4xf17VgymIeO-HzhcdiKkvEyto9d7kWOM
→忙しくてもいいんだけど、このままずっと櫓の中にいるうちに、この波に押し流されちゃうって感じがしたの
→書いてあることに自分を当てはめようと思ったりしても、そんな風にいかないわけだから。世の中はね
→やっぱりまず人と自分を比べたりとかはしなかったわね、絶対。往々にして、人ってね、人と自分を比べたがるのよね。
「私はあんな風にできない」とか。「私はあの人よりはできる」とか。

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