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その刷り込みいつまで信じますか?

なぜ他人を意識するのだろう

他人によく思われたい
自分を少しでもよく見せたい
あの人みたいになりたい
あの人みたいな体型になりたい
あの人みたいな顔だったら人生楽しいかも

こんな気持ちは誰もが一度は抱いたことがあるんじゃないかと思う。
そしてその気持ちは人間の自然な欲求だと思う。
でも同時に自分を苦しめて本当の気持ちを追いやってしまうこともある。

私たちは生まれた時はまっさらな白紙の状態で生まれてくる。
何にも誰にも汚染されていない状態。
でも成長過程で親や周りの大人たちから色んな
ことを教わりそれがとても正しいそして普通で正常だと信じて成長していく。

同時に色んな場面で無意識のうちに他人を意識していくようにも学んでいく。それには良さも悪さも両方存在する。
人に親切にすることや思いやること協調性の大切さを教わると同時に周りの言葉からも知らずに影響を受けている。
例えばあの子はいつも良い子よね、あんなふうに
頭がいいといい大学に行けるよねあの子は何をさせても器用にやるとかあの子は本当に美人だからお得よねなんてこんな何気ない会話が純粋無垢な子どもたちは知らずに沢山影響を受けている。

そんな大人の何気ない会話や背中を見てこうあるべきことが正しいと無意識のうちにインプットされてそれが普通になり他人を必要以上に意識しすぎることがあるかもしれない。

外見が美しくあれば細くてスタイル良ければ人生は華やかだとインプットされて自分の外見に劣等感を持つようになるのはその刷り込みはどこからくるのだろう?
なぜぽっちゃりしていたら美しくないの? その考えはどこからきたのだろう。
頭が良ければ苦労しないでいい生活が送れるその思込みはどこからくるのだろう?
お金さえあれば幸せだと信じるのは何故だろう?
好きなことをやるより苦労しなければ成長しないその発想はどこからだろう?
才能は生まれ持ったものだという考え本当にあっている?

考えもせずに当たり前だと思っていることに疑問や質問を投げかけてみることは
自分の本当の価値を知るために必要なことだと思う。

私たちは一人一人が唯一無二。誰だって同じ人は一人も存在しないオリジナル。
なのに誰かの言葉や比較で一喜一憂するのは勿体無いし悲しすぎる。
自分というオリジナルを極めて受け入れ認めてあげる方が何倍も生活は豊かになる。

誰かになるなんて不可能、そんな無理な理想を追うくらいなら自分という唯一無二を磨いてあげたらそれでいいじゃないか。自分が自分でいていいと思えたら他人の言葉に振り回されなくなる。それよりも自分の奥深い感情を知り自分と親友になれる時ほとんどの問題は解決できるはず。他人に承認されることよりも自分がまずは自分の全てを認めてあげれたらずっと生きるのが楽になるから。






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