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最高の『振り返り』…「楽しい。あそびみたい。」

 ここ数年、特に算数の授業においては毎回、振り返りを書かせています。振り返りを実施することで、少なくとも前時との繋がりをもつことができること、子どもの理解度を確かめることができる(特に「わからなさ」を把握できる)ことなど効果を、実感できています。(教育の研究において意図的に「統制群」と「実験群」を設けることは、倫理に反するとして実施できないため「実感」と表現してます。)


 そして、先週、その振り返りの中で『楽しい。あそびみたい。』という振り返りがありました。授業が楽しいという振り返りは、これまでもあったのですが、今回初めて〈遊び〉という表現がありました。個人的には正直とてもうれしいものでした。目指すは生涯にわたる学習者。基本的に遊びを義務でやる人はいません。遊びは自発的なものです。楽しみなものです。遊びに目的はありません。それ自体が楽しいものです。遊ぶように学習する姿をみて、他の学習者もその「その学習者のように勉強したい」という思いを抱くこともあるかもしれません。「楽しい」は連鎖します。そんな学習者がたくさんいるクラスを目指したいと思いました。

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 以下に、振り返りを書かせるポイントをいくつか書きました。参考になるかはわかりません。(手直しする時間がなかったので、論文調の文体であることをお許しください。)


■振り返りに「廊下言語」を

 振り返りの言葉は「教室言語(形式ばったもの)」に限定せず、「廊下言語(休み時間の子どもたちの言葉)」も許容する。それが、子どもたちが臆せず、思ったことを表現することにつながる。もちろん、最終的には廊下言語を教室言語に自ら翻訳する力も身につけさせたい。ただ、まだ何がいいもので、何が悪いのかを判断できない子どもたちは、指導や指摘する度に何ともぎこちない振り返りを書き始める。まずは、自分を表現することに慣れさせたい。また、逆にある振り返りを過剰に褒めることをしてしまうと、忖度した振り返りを書き始める子も現れる。


■指導はしないが方向づけはする

 授業の初めに、前時の振り返りを紹介する。そこで何を紹介するかで、内容や表現(上記の廊下言語)が不適切なものへの指導をせずに、方向づけることが可能である。振り返りが授業の初めに紹介されるとうれしい。自分の振り返りを切り口に授業が始まったり、自分が出した問題をみんなが解いたりする。より〈よい〉ものを紹介し続けることで、「自分も紹介されたい」という思いを抱く。そうすれば自ずと内容な適切なものに近づいていく。不適切なものへの過度な指導は必要ない。


■振り返りは匿名で

 匿名で紹介することで、さらに安心して振り返りを書くことができる。嬉しければ「僕のだ!」「私のだ!」と勝手に言う。必要であれば「誰が書いたの?」と聞くが、手が挙がらなければそれ以上の詮索はしない。全員参加できる環境づくりをするために、全員に同じものをもとめることの矛盾に気づけば、匿名という選択肢に自ずとなるはずである。

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…予想される反論

 ここでもありうる反論は以下のとおりであろう。「〈授業〉と〈遊び〉はちがう。」、「ある先生の授業だけ、子どもが算数を〈遊び〉のように感じる授業をしていたら、次の先生が大変。」、「振り返りは人に読んでもらう文だから、文章指導もしっかりと。」、「不適切な内容はすぐに指導すべき。」、「匿名では自分の書いたものに責任をもてない。ちゃんと名前も出すべきだ。」など。それに対する反論は胸の内にはあるが、具体的に何と反論するかはこれを読まれた方に委ねたい。

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