さみしさの正体は、
まっくろなコーヒーに、フレッシュをぽとと、と注ぐ。
そのままぽやぽやとフレッシュが浮かぶ様子をながめる。スプーンでかき混ぜたりはしない。
コーヒーを頼んだとき、コーヒーフレッシュが小さく渦をまきながら混ざる様子を見るのが好きだ。
今、このまま写し取ったら絵画みたいだなと毎回思う。
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日曜日の夜、18時55分、夜ご飯を終わらせた後。
じわじわとさみしさが立ち込めるのを感じていた。霧が、少しずつ濃くなるようなうっすらとしたさみしさ。
寒いから、ひとり暮らしだから、昼間に友達と会っていたけど今はひとりだから。
さみしさの理由はいくらでも浮かぶ。
でも、理由があったってしかたない。このさみしさをとめられない。
このまま家でじっとしていたらさみしさに覆われてしまいそう。
逃げ出すように家を出た。
とりあえず、車で10分のコメダへ。
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コメダに着いて、カフェインレスのコーヒーを頼んで、ほう、と息をつく。
夜でもお客さんがそれなりにいた。店内のBGMや他の人の話し声がほどよい具合だった。
すっかり安心して、改めてさみしさの正体を言葉にしてみる。
あのさみしさは、多分、誰かと話したいって感覚なんだろう。
誰かと本当のことを話したい。
漠然とした、このままでいいのかなと思う気持ちや、いつかやってみたいと思っていること、小さいころにくり返し見た怖い夢の話とか。
地に足がついていない、ふわふわと浮かんでいる話。たしかな形のない、けれどその人の中に存在する話をしたい、聴きたい。
このさみしさは、わかってほしいに近いのかもしれない。話すことで、わかってほしいし、わかりたい。
ここまで言葉にして、ようやくさみしいの形がわかってくる。
ぼんやりと、霧のようだった感情に少しだけ縁取りがされる。わたしの「さみしい」は、話すことで「誰かとつながっていたい」なんだろう。
そうわかるだけで、ちょっとさみしさは和らぐ。なんなら、新しい発見をしたようで小さな驚きさえある。わたしは、そんなことを思っていたんだと。
さみしさを言葉にするだけで、じわじわとにじみだす感情が整理された。
解決はきっとしていない。でも今はわかるだけで十分だった。
よかった。これで明日からもやっていける気がする。
たいしたものはお返しできませんが、全力でお礼します!! 読んでくださり、ありがとうございます!