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【小説】終わりまであと、

【終わりまであと、】
お題:『明日死ぬんだってさ、』
https://shindanmaker.com/392860

『今日の天気は晴れ。雨の心配はありません。それでは、良い一日を!』
 画面の奥でお天気キャスターのお姉さんが手を振る。僕はそれを見届けてからテレビの電源を落とした。そっか、今日は晴れるのなら、穏やかに逝けそうだな。そんな事を思った。

 ◇

 人の寿命が可視化されるようになって数十年。人々の生き方は随分と様変わりしたように思う。少なくとも、僕が生まれる前とは雲泥の差だと両親が語っていた。その両親も去年、寿命通りにこの世を去った。二人ともまだ働き盛りだった。健康そのものだったのに、やはり寿命は嘘をつかなかった。
 寿命の可視化が進んで、人々は何故か穏やかな生活を送るようになった。寿命が分かるという事は、逆に言えばその時までは生が約束されているのだ。罪を犯して残りの人生を棒に振る事も、自暴自棄になって自殺する事もない。世界は、様々な争いを経て漸く平和を手に入れた、という事らしい。生まれた時から自分の寿命が分かっていた僕からすると、それがどれだけ特別な事なのか分からなかったけれど。
 僕の寿命は今日の十七時頃に尽きる。寿命一年前から近辺整理を許され、全ての労働や教育から解放される。勿論、続ける事も可能だ。僕は今日に至るまで、その一年の全てを趣味や娯楽に費やした。友人と沢山遊んだ。毎日楽しかった。
 そして昨日。僕は、ずっと好きだった子に告白した。
「明日死ぬんだってさ、僕」
 彼女は僕の寿命について知っていた。だからなのだろう。どうして今そんな告白をするの、と。眉をひそめて僕を見たのだった。
 これでいい。これは僕の完全な自己満足だ。明日死ぬと分かっていたら、何となく告白してもいいと思ったのだ。そこに彼女の感情は存在しない。こんな自分勝手な事、きっと後にも先にも無いだろう。気分が良かった。彼女はそうでもないだろうけれど。
 すると、彼女はかぶりを振って僕を見た。
「返事、明日まで保留にしてもいい?」と、そう言ったのだ。

 ◇

 僕は家を出た。寿命まであと八時間ほど。その間に彼女の返事を聞きに行く約束をした。彼女とは都心部のカフェで待ち合わせしている。死に場所を都心部へ設定していたので移動が楽だな、なんて。そんな遠足のような気分で電車へ乗る。本当に自分が今日死んでしまうなんて夢のようだった。
 電車に揺られて三十分ほど、駅からまっすぐ伸びた歓楽街の道を歩く。約束していたカフェへ入ると、彼女は既に席に着いてコーヒーを飲んでいた。
「待った?」
「ううん」
 一旦席に荷物を置いてから、カウンターでカフェモカを注文する。席に戻って彼女の前へ座ると、彼女はにっこりと微笑んだ。
「本当に今日死んじゃうなんて思えないくらい普通だね」
「そうなんだよね」一口啜ってから首肯する。「実感がないんだよ」
 そう言って笑い合う。これが死の間際のデートだなんて、きっと側から見ても分からないだろう。僕自身の自覚がないのだから当然だ。
「それで、昨日の返事だけど」
 僕から切り出すよりも先に、彼女が神妙な面持ちで口にする。カップへ口を付けようとして、一旦ソーサーの上で置き直す。僕を見つめる瞳。そのまっすぐな瞳がずっと好きだった。ずっと好きだったのに、今日に至るまで告白出来なかったのだから、僕も大概いくじなしなのだ。
「告白、受けようと思う」
「え」
 思わず声が出る。信じられなかった。自分から告白しておいてこんな事を思うなんて、本当に自分勝手。でも。
「どうして」
「どうして、って。私と付き合いたかったんじゃないの」
「そう、だけど」
 すると彼女はすっと目を細めて、緩く頬杖をついて笑った。何処か蠱惑的なその笑みに目が離せなくなる。
「あなたがどんなつもりで私に告白したのか分からないけれど。告白を受ければあなた、きっと『死にたくなくなるんじゃないか』って、そう思ったの」
 言われ、口ごもる。彼女の言う通り、僕は——
「そうでも、ないかも」
「え?」
「そうでもないかも」
 再度口にする。うん、そうでもない。己の胸に手を当てる。彼女に告白した時はあんなに早鐘を打っていた心臓は、今はとても穏やかに一定のリズムを刻んでいる。
「僕はどうやら随分薄情みたいだ」
 僕が、君が、死の間際を以って互いに互いへ傷を付けられたら良かったのだけれど。どうやらそんな物語のような展開にはならなかったみたいだ。
「ありがとう。答えを聞けて嬉しかった」
 飲み掛けのカフェモカを飲み干して、僕は立ち上がった。唖然とする彼女を尻目に、僕はカフェを後にした。
 さて、あと数時間。何して過ごそうかな。
 まるで明日も明後日も人生が続くような、そんなのんびりした思考のまま、僕は歩き出した。

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