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主体性が無い者は、やがて誰からも信頼されなくなる

‪ねえ、てょちゃんあなたは誰のことも本当には愛していないのよ
あなたは優しいふりをして、本当は誰にだって興味がないんだわ いつも自分のことしか考えていないの‬

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そうでしょ?

私は社内の様々なところで白い鳩の絵文字を多用したり白い鳩のアイコンを使うことで社内での自分を「=白い鳩」と印象付けてきた。大袈裟に言うとブランディング。
私がいない場所でも白い鳩を見たら「あ、〇〇さんだ」と私を思い出してほしいから。
でも実際は「卑怯なコウモリ」なのだ。
自分自身を守るために色んな方面に良い顔をして、八方美人になっていろんな人にかわいがってもらう代わりに時々誰にも信用も信頼もされてないことに気づく。
「あなたは誰の味方なの?」と家族にも言われる始末。
きっと私は誰のことも心の底から愛していて、誰のことも本当には愛していない。自分のことしか考えていない。
人を傷つける勇気もなければ、自分が傷つく勇気もない。
皆を傷つけないように頑張った結果イソップ物語の「卑怯なコウモリ」になって誰からの信頼もなくしてしまう。
そういう人間なのだと、2024年になってまだ1ヶ月弱しか経っていないのにまざまざと感じている。

実は今もまた泣きながらこれを書いている。私は本当に懲りない。
全部私のせい。全部私が悪い。

人間関係において大切なことは「誰にも嫌われない人になる」ことではない。
時には相手も自分も傷つけてしまうこともあるということを受け入れて、主体的に決断することこそが本当の優しさなのだ。
「誰も傷つかなくて済む」というカードなんて存在しないし、一瞬あっても決断を先延ばしにすることと同義語なのだ。決断を先延ばしにすることで傷が深くなることもあるのだ。
何度も自分に言い聞かせて、何度も何度も忘れる。
私は誰にでも親切で、誰にでも優しくて、みんなのことが好きで、そんな自分のことも好きだけど、周りにいた皆のことを傷つけた。
自意識過剰と言われても構わない。
だって、みんなのダメージも自分自身のダメージも、私がもっと早くに決断していたらもっと軽く済んだのに。
もっと悲しくない結末だったかもしれないのに。
信頼をなくすこともなかったかもしれないのに。

「○○ちゃんが本気で人を好きになることってあるの?」

これは一昨日会ったもう何度も会って話している人間から言われたことだ。
人生でこれを言われたことはこの日が初めてじゃなかった。
学生時代から数回この質問に直面してきた。
自分はクワロマンティックなのではないかと本気で悩んでいた頃もあった。または、デミロマンティックかもしれない。
今でもたまに思い悩む。(私にも大好きな異性ができたことがあるから、本当のクワロマンティックではないのかもしれない、でも基礎の基礎の部分ではそうなのかもしれない、そもそも好きになった人とは強い絆を感じてから好きになってたかもしれない、だからデミロマンティックなのかもしれない、くらいの見解。)

先週末、世界一優しくしてくれて暖かい愛を絶え間なく与えてくれた人を振ってきた。私はずるい。
私が彼に恋愛感情がなくてもいい、私に好きな人ができるまでのキープでもいいからそばにいてほしい、と言われて「○○くんはそんな扱いをされていい人じゃない」と言って別れた。
何十回も自問自答した。
なんで私はこの人を好きになれないんだろう。
なんで誰か一人を「特別に好き」になれないの?
なんで?
「特別に好き」になれるかもしれない、と思ってたくさん会ってもいつも全然分からなくて、分からないならもう会わないという決断ができなくていつも終わりにするタイミングを逃して今日みたいにボロボロ泣くことになってる。
もしくは「特別に好き」じゃなくても「一緒にいて楽しい」ならいいじゃないか、と自分に言い聞かせるのに段々と苦しくなってしまってこうやってお互いが一番傷つく形になってしまう。
期待させてしまって、告白してもらって、断っての繰り返し。
自分のことが分からないことで主体的な決断をしないことで流されるままに流されているくせに突然苦しくなるからもうどうしたらいいのか分からない。
人を傷付けて、傷付けてしまった事実でまた傷付いて、傷付いた顔を思い出してしぬほどつらくなってる。エゴ。

このことで共通の知り合いである彼の友達5人くらいからも信用も信頼もなくしたし、同じ趣味で通ってた場所には行きづらく(多分もう行けない)なったし、最近のわたしの素行の悪さで自分の友人には呆れられて冗談のトーンではない辛辣なトーンで怒られた。どうしたらよかったのか。
どこでどうしたら正解だったのか分からない。
恋愛としての好きじゃないってどうやったら分かるのか。恋愛の好きだ、と分かるにはどうしたらいいのか。
この次があったらどう動くのが正解なのかわからない。
触れたい、一緒にいたい、ドキドキする、が恋愛なら私は皆のことが本当に好きなんだと思う。でも違っていつも間違える。

元婚約者のことが世界一好きで、涙が出るほど好きだった。これから先の人生も今までの人生でも一番好きだった事実はもう変えられないと受け入れて前を見ているのに前進できていなくて苦しい。ただでさえも分からなかったのに、元婚約者と別れた後から恋愛感情が更に全然分からなくなった。

今までの人生、ここまで来るもの拒まず去るもの追わずで生きてきたと思う。
ずいぶん他人任せで楽しく自由に生きてきたと思う。
時々もうこれで人生終わりでいいのではないかと思ってしまう。
こんな冬の日にふわっといなくなるのもありなのかな、と思う。

選択のパラドックスって知ってる?

選択のパラドックスは多くの選択肢がある場合に、選ぶことが難しくなり、不幸になることを指します。このパラドックスによって、無力感が生まれたり、疑念と後悔が生じたり、期待値が下がるといった3つの理由が挙げられます。

https://marketing.sellwell.jp/column/paradox-of-choice/

こういうことらしいんだけど、正直近年私は出会いの機会が割と多い立ち位置にあったと思う。
アプリとかそういうのを使わずとも出会いがたくさんあるありがたい環境、周りの人脈。
その分派手で選択肢も多様で、また1対1じゃないからこじれやすかったとも思う。
色んな人に会って、色んな気持ちになって、私は恵まれていると思う。
でも、選択のパラドックス状態なのだ。
主体的に人生を決めるとなると、無気力になる。分からなくなる。
「したくないこと」は明確に分かるのに「したいこと」を聞かれると戸惑うのは何故なのか。

前述の彼を振って4日後の一昨日、何回か会ってる職場の近い人と何気なくご飯に行ったら私のことが好きだと言うので驚いた。
返事は急いでないと言われて戸惑った。
見た目も職業も華やかで優しくて穏やかで真面目そうで歳も近くて話も合うしきっと誰が見ても最高の人なのに、私は彼のことが好きか分からない。
好きだけど、普通の好きで、過去の元婚約者に感じていた気持ちと比べたら全然違うな、ドキドキしないし、でもあの時みたいな気持ちは人生でもう2度と感じないんじゃないかとも思う。
でも「人を好きになる才能」の記事の内容をよーーーーーく思い出した。前述の彼の時も、前回も、前々回も、「好きになれるかも」と思っても違ったのだから、私は違うのだ。
もう間違えないようにしないと。
試しに付き合ってそこから好きになれたことが一度もない。だから今回もきっとない。

ここまで好き放題書いてきたけど、私は元気です。
ただの日記?雑記?お気持ち表明?になってしまった。
近況報告の場だと思ってる。
こんな私だけど許されたい。

今日も楽しく生きるから、終わったら抱きしめて。

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