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もっと目の前にいるわたしをちゃんと見て


毎回大きな顔をして偉そうにかなり傲慢なことを書いているけれど、このnote上のパーソナリティがわたしの全てだとは思わないでほしい。
人にはみんなさまざまな側面がある。
そうでしょ?

わたしはある時期からぱったりとSNSを辞めた。
辞めたというかもうお腹いっぱいだった。
お腹いっぱいの時はもう無理矢理食べる必要はない。
SNSを見ることでいっぱいいっぱいになってる自分がいて、それに気付けた自分を褒めたい。
見るのをやめたら全然見なくても投稿しなくても大丈夫どころか、むしろすごく世界がクリアになったような気がした。
画面に映る写真や文字は刺激的で感情を揺さぶってくるし、情報も滝のように容赦なく流れ込んできて、それらの多くは自分では制御したり選んだりできない速さになっている。
わたしの心は敏感で、抗っても抗っても結局その濁流に飲み込まれて打ちのめされて苦しかった。
例えそれがハッピーな話題でもだった。

自分の人生は自分で100%コントロールすることはできない。
あまりにも完璧に管理しようとしたらストレスが溜まってしまう。外的要因に作用されることなんて毎秒あるから。
でも自分のことはコントロールできるし、自分の行動は選択できる。
わたしは目の前の世界を大事にしたい。
(ちゃんとできてるかな。)
今目の前にいる誰かをちゃんとこの目で見て、話を聞いて、同じ気持ちになって、実際に感じて、現実そのものの世界に触れていたい。
画面上の世界より、顔を上げて実際足を運んで会って話して感じるものの方が何倍も美しい。

もちろんSNSが悪なわけではない。
わたしにとっては、インターネット上で見たものが気分に著しく影響して、そのせいでSNSを事細かにチェックしないといられない、人からの評価を期待してソワソワやきもきする、ショックなことがあるとそのことが頭から離れなくなって放心状態になる等、現実とインターネットとの境目がなくなって切り替えがうまくできなかったことがよくなかった。
使い方を誤らなければ、多くの人にとってはより多くの人と繋がるチャンスの場でもあるだろうし、有名になることも可能だろうし、意見や知識を共有しあえる有効な場だと思う。

SNSは悪くない、ただわたしには合わなかったから距離を置いているのだ、とここまでは言ってきた。
でも、私は自分のSNS利用に関してだけではなく、身近な人たちにもその使い方を再考してほしいなと思うことがある。
同じテーブルにつき、料理を囲んで一緒に食事をしている時、早急に対応が必要とされるもの”ではない”SNSのチェックに勤しんでることはありませんか?
数週間ぶりに会えた恋人と会っているのに、黙ってスマホをいじってませんか?
現実世界の今ここにいる誰かとの時間を、ここにいない誰かと繋がることで浪費するのはなぜ…?
私をちゃんと見て。
私はここにいるよ、って青山テルマも言ってたよ。
もし、テーブルについている人全員が”ここにいない誰か”と繋がることに必死な場合、現実的には今ここに誰がいるんだろう。
今あなたが繋がってる”ここにいない誰か”も現実には他の誰かと居るとしたら、なんて虚しい世界なんだろう。

目の前の人を大事にすること、今ここにいるこの時間を楽しむこと、人生のほんの一瞬を見逃さないようにしないと。
インターネット上に人生はない。
いつも現実世界は生々しくて実際に触れてみないと温度も匂いも分からない、私たちはAIではないのだから、感情や温もりやしぐさ、声のトーンとか表情、その全てを使って今を感じないとたくさんのことを取りこぼす。
ねえ、今通り過ぎた人のカバンにトイプードルが入ってたの。ぬいぐるみみたいだったよ、見た…?


SNSでよく言われる「(自分の属する)界隈」は、言うなれば自分と似たような性質を持つ人たちで、分かり合える仲間であり、諍いも起こりにくい。
仲悪くなったらブロックしたりアンフォローしたりすればいい。
専門用語で言うと「エコーチェンバー」の中でぬくぬくと過ごすことができて居心地がいい。

居心地がいい場所は居場所となり、誰かを救う場にもなり得る。
私も何度も優しいネットの民たちに救われた。今でも大好きだ。
ただ、エコーチェンバーの中から出ないと同じ属性の人たちとの中だけで気持ち良くなって、他の属性の人や反対意見の人と関われなくなってどんどん思考が凝り固まる。
お山の大将とか井の中の蛙とかそういう大人になっちゃうってこと。
世界は広い。
毎年遠方に旅行に行っているけれど、実際に足を運んで自分の目でその地を見ると「世界は広くてその全てを見に行くことは人生一回じゃとても叶わないんだ」と切なく思う。
(余談だけど、カバー画像の白鳥の写真は今年の夏チューリッヒで私が撮影したもの。)


誰に見せるわけでもない、私は自分の脳と心のために私の人生のアルバムと思い出をたくさん作ってあげたいな、と思う。
それが弱っている時のわたし、おばあちゃんになった時のわたしを励まし、幸せで懐かしい気持ちにさせてくれるだろう。
わたしはわたしのための思い出作りに忙しい。
わたしがわたしの体をどこにでも連れて行って楽しませてあげる。
一度しかない人生で自分にたくさんの経験をさせてあげる。
ずっとわたしがわたしを幸せにする。

体の自由がきかなくなった時にSNSを見返しても楽しいかもしれないけれど、バーチャルではなく、せっかく人間に生まれたのだから、誰かと一緒にいる時、忘れたくない場面の時、もっと音・色・光・温度・匂い等を感じてこれをずっと忘れたくないなと思ってほしい。
その場面の連続が人生。

わたしは画面の中にいないよ。
本当に大切なものって何?
もっと目の前にいるわたしをちゃんと見て。

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