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【読書メモ】物語のなかとそと/江國香織

江國香織さんと初めて出会ったのは『デューク』だったと思う。
そして、お気に入りは『神様のボート』だ。

江國さんの著書を読むたびに「どうして大人なのに、こんなに瑞々しい感覚を保てるのだろう」と謎が深まっていく。

江國さんの散文集から、特に気に入った箇所をメモしておく。

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自分と自分以外のものがつながったとき、世界はいきなりひらけます。これは本当です。それまでは、だからじっとしていてもいいの、ただい目はちゃんとあけて、耳を澄ませて、体の感覚を鈍らせないように。雨がふったら誰より先に気づくように。猫の毛と犬の毛の手ざわりの違いを知るように。岩塩と天日塩の味のちがいを歴然と知るように。
何もかも自分で感じること。
食器棚からでたときに、それが基礎体力になるのです。
『食器棚の奥で』


書くことは、自分を少しだけこぼすことだ、文字の小さな穴から。
(中略)
手紙でも、小説でも、文字を書くとき、私は自分の頭が透明な箱になっているように思う。そこは言葉がなければ空っぽなのだが、冬と書けばたちまち雪景色になり、わかめと書けば、たちまちみずみずしい半透明の緑色の海藻でいっぱいになる。だから文字のあける穴が必要で、日々箱に去来するたくさんのものを、たぶん人は昔から、文字を通して外側とつなげてきたのだろう。ほんのすこし時間を止めて、とどめおけないはずのものをとどめおこうとして。
書くことは、一人だけでする冒険だと思う。
『透明な箱、ひとりだけでする冒険』


でも、本を読んでいる自分が、からっぽの箱のような肉体として、その場所に存在している(読んでいるあいだも)、ということが、あのえも言われない幸福な状態の、半分くらいにはなっている。ここと、ここではない場所と、の二つに同時に存在している、という状態が大事なのだ。
『ここに居続けること』


あの感じをどう言えばいいだろう。それまでに読んだどんな文章ともちがっていた。皮膚に直接しみこんで、まっすぐ心にさわる文章、とても近くて、それなのに遠くへいざなわれるような文章。
『こことそこ』


本を読むというのはそこにでかけて行くことですし、でかけていれば、現実は留守になります。誰かが現実を留守にしてでもやってきて、しばらく滞在し、外側にでたくなくなるような本を、自分でも書きたいものだと思っています。
『物語のなかとそとー文学的近況』


音楽には、目には見えない場所で、あまりにもいきいきと立ちあがる性質があるのだと思う。
『弦楽器の音のこと』


お粥はシンプルな料理で、だからこそ素人と玄人の差が嬉しく、歴然とするのだ。
『お粥ー作家の口福その三』


”私はここにとじこめられているつもりはない”私ではなく靴がそう言っていた。
『旅のための靴』



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この本を読んで、読みたくなった本は次回紹介します。

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