たましいの保育園
たましいの保育園
わたしがクリスチャンになったりキリスト教と出会う前、ほんとうに小さい時に、
すでに神様の存在を予感していたようなふしぎなことを言っていました。
それが、「たましいの保育園」というおはなしです。
わたしたちはどこから来てこの世を生き、どこへ行くのか
ということのひとつの「解答例」なのかなーと思います。
むかし、昨日とか今日とか明日とか、直線的な時間の流れも何もなかったところで、
わたがしのような雲の上、おじさんがエプロンをかけてたましいたちの世話をする保育園がありました。
たましいたちは透明なぷるんぷるんのビーズのよう。
わたしは、おしゃべりでいつもまわりのだれかに話しかけている子でした。
まだ、性別も決まっていなければ、どこの国のどんな人生を送るひとになるのかも決まっていませんでした。
そこはゆったりとすごせるし、なによりおじさん保育士さんにみんなとってもかわいがってもらって、とても居心地のいいところでした。
あるとき、おじさんがまじめな感じで、「あなたとあなた、こっちへ来なさい。あなたたちははだかだから、お洋服を選んでください」といいました。
そして行ってみると、いろんなお洋服がならんでいます。
わたしの目をひいたのは、早く保育園に帰ってこれてきょうだいたちとたくさん遊んでおかあさんにも大切にされるはだの黒い人生と、
人生ハードモードな女の子。
なんでか、ハードモードなほうが自分の勉強になる気がしたのか、気を引きました。
早く保育園に帰ってこれる方が、らくだし幸せなのかもしれないけれど、わたしはあえて、大変な方を選んで、服をおじさん―神様に着せてもらって、しゅぅーっと滑り台をすべって、この人生、このからだに生まれてきました。
あなたとあなた、と呼ばれた子は、だれだったのかな。
ソウルメイト なんて言葉がありますが、どこかで出会う約束をして、もう出会っているのかもしれないし、これから先の人生でなつかしくわかりあえるのだと信じています。
自死の家系、生活保護、親のアルコール中毒や虐待など、たくさんのことを経験してきましたが、わたしはだれかのお役に立ちたい、ひとと愛しあいたい、たましいの学びをしたいという根源的な想いをもって、きょうも人生を辞めずにいるのかもしれません。
そして、たましいがこの人生での学びを修了したら、わたしたちはまた天国の保育士さん?神さまに抱きとめられるのではないか、と直感しています。長い人生も短い人生もお洋服。存分に生きて、いっぱい先生あのねあのね!ってお話したいと思います。
「わたしたちの本国は天にあります」
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