無料で百合を読もうとする乞食の戯言讃歌【ささやくように恋を唄う2/2】

1/2で実際に一迅プラスのページをご覧になった読者の方は既にお気づきであろうが、この作品は1〜3話を無料で公開している。
他作品が基本2話までしか公開していないのに対し、1話分多めに公開するという太っ腹な行為の裏にあるのは長寿作品且つアニメ化までされている作品ゆえの商品的価値の最大化であろうか。
商業的意図を推察しようとすればこのような思考でもあながち合点が行くように思われるが、少々私の希望を混同して言わせて貰えば、次のようなことが言えるのではないかとも考えられる。

それは、この作品は「3話まで読む必要があるように設計されている」のではないか、という可能性である。

どういうことか。

まず、この作品は1話で主人公であるひまりの視点を使用し、彼女が朝凪依と出会い「一目ボレ」するまでの物語が描写される。
この時点では非常に一般的な物語の始まり方であると言えるだろう。

然し、続く2話でこの物語は読者の多くが想像だにしなかった描写を用いる。
それは「ひまりの視点から依の視点に転向し、1話のストーリーをなぞり返す」というものである。

2話のつくりを理解した読者は次のように感じるだろう。
「えっ先輩の視点って使っていいの?
先輩ってミステリアスな存在なんじゃないの?」と。

先輩後輩百合において先輩とは、主人公に尊敬される人物像であると同時に、主人公の理解から最も遠い存在として描写されるのが定石である。
何を考えているのか、何を抱えているのかが明瞭でなく、そして危うさを秘め、その危うさ故に主人公を惹き付ける存在として最も効果的なポジションこそ「先輩」と考えられてきた。

しかし、2話にて朝凪依はそのイメージと大きく逆行する。
豊かな表情の変化を見せ、周囲の人間関係に加え心情や独白も十分に描写されている。

ひまりの視点を用いた1話、依の視点を用いた2話を経て、この物語の羅針の方向が定まるのが3話(実質的な2話)である。

登校時に出会った二人は再び放課後に会う約束をし、それぞれの日中の後、約束の屋上で二人は語らう。
当蜜月シーンはそれはもう百合指数が高いと言えるのだが、一旦目を離し、ここではひまりと依の描かれ方に着目したい。


率直に依に好意を伝えるひまりと、ひまりの一言一言に喜色を示しながらも恥じらいを隠し切れずに悶々とする依。

一見お互い初々しさマックスのやりとりに見えるこのシーンだが、表現方法から読み解いていくとひまりがイニシアチブを握る形となっている事に皆さんはお気づきだろうか。

独白や無音吹き出しに加え、特別意味を含んだ三点リーダーの数を意識して読んでみると、その数は依の方がやや多い。
最後のページは依の独白で締めくくられていることも考慮すれば、決定的な根拠に欠けるもののやはり意図的に依が「受け」として描かれていたと言えよう。

この構成は明白に「物語が依の視点に沿って進行している」ことを意味している。
そしてこれは「依の視点を通して進行する物語が『ささやくように恋を唄う』となる」というようにも換言出来る。


ひまりの視点を用いた1話、依の視点を用いた2話、そして二人の視点を交えて進み、ラストシーンを依の視点で締めくくった3話。

公開されている1~3話限りでは作品全体の描かれ方など断定出来るはずもない。
然し、少なくともこの物語は3話時点でこれまでの百合作品のテンプレートに一石を投じた事実に変わりはないのである。

現段階で私は『ささやくように恋を唄う』を3話までしか読んでいない。
新たなキャラクターの登場によって人間関係のバランスが変動するかもしれない。
これから依の過去が明かされ、物語における「先輩」の役割を回収するのかもしれない。
ひまりと依以外のキャラクターの心情も変化していくだろう。

その場合はこんな記事のことなどさっぱりと忘れ、純粋に物語を楽しんでいただきたいものである。

然し、この時点で私はこの作品を、王道を以て覇道を征く挑戦的な作品であったと称したい。

百合を読み、語る人間の一人としても、個人としても、この作品は必読である。





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