トランスジェンダーをどこまで認めるか?
先程読み終わった本は、佐藤優氏と高永喆氏の共著の「国家情報戦略」である。
これは元外交官と元韓国軍の情報将校の対談本である。
まぁ、これは私の趣味の本なので、あえて読む必要はないかと思いますが、スパイとかインテリジェンスに興味がある人は読んでもいいかもしれません。
さて、またもや読んだ本とは関係ない話題であるが本題に入ろうと思う。
何度か書いてはいるが、私は性自認という概念を認めない、という立場である。
しかしながら、残念なことに世間一般では、性同一性障害であったり、トランスジェンダーなりが公に認められてきているのが実態である。
であるならば、ある程度割り切ってそれと対峙することは必要であろう。
私はリアリストであり、保守原理主義者ではないのである。
基本的に、トランスジェンダーに関して問題になるのは、トランス女性が女性保護領域に進入できるか?というものがメインだろう。
この女性保護領域とは、例えば女性用トイレであったり女性浴場、女性更衣室の様な物理的な領域に加えて、以前の記事で述べた様な女性スポーツなどの心理的領域を含むものと定義する。
言い方が悪いが、男性は男性の領域に女性が入ってきた所でそんなに気にしない人間が多いのである。
清掃員が女性であることが多いのもそういう理由であり、男性が女性保護領域には侵入できないが、男性領域には女性職員が出入りし、作業することができるのである。
本来は男女それぞれを雇うのが筋ではあるが、予算の都合で1人しか雇えないのであれば、出入りできない場所のない女性職員を雇うのはコスト的に妥当な判断であると言えよう。
閑話休題、そもそもトランスジェンダーとは何なのだろうか?
一般的には、身体的性別と性自認が一致しない人、を指すのではないだろうか?
一口にトランスジェンダーと言っても、実際には様々な段階で区分することができる。
最も軽易なものから順に列挙する。
・本人の内心に留まるもの
・本人の自己申告(必要に応じ申告)
・本人の自己申告(常時公言)
・周囲の公認
・自認側の性として生活
・医師の診断
・公的な認証(現在制度として不存在)
・ホルモン治療
・性転換手術(上半身)
・性転換手術(全身)
・性転換手術(全身)+公的な認証(戸籍上の性別変更)
私はトランスジェンダーの専門家ではないので、確実に網羅できている自信は無いが、一般的なトランスジェンダー論者の区分よりは正確であろうと思う。
さて、では実際問題として、どこから自認側の性別として扱うべきなのだろうか?
試しに、女性浴場の使用をトランス女性ができるか?という例で考えてみたい。
現行の慣習や法制度から考えるに、全身の性転換手術と戸籍上の性別変更までしていれば、浴場の使用においてトランス女性を排除する理由はないだろう。
戸籍変更をしていなかったとしても、浴場ではその有無は不明なので、全身の性転換手術が終了していれば、そもそもトランス女性であると外見的に分からないのであるから、実際問題として問題になりようがないと言える。
下半身の性転換手術を未実施の場合、女性側の意見として「ペニスに性的な脅威や不快を感ずる」と主張する人が多いことを鑑みるに、女性浴場への進入はここから先を境界として設定するのが妥当であろう。
次の例は、女性更衣室の場合であるが、水着等に着替えるための更衣室を除いては、更衣室で下着を脱ぐケースは殆ど無いと言っていいはずである。
そうなると、基本的にはホルモン治療より先の段階に進んでいればハレーションは起きにくいと言える。
次は女性トイレのケースであるが、これは職場等の人間関係が固定されるケースと公共の場でやや状況が変わる様に思う。
前者の場合は、トランス女性であるということが認知されている一方、事前に使用の合意さえ取れているのならば、周囲の公認の段階で許されると考える。
少なくとも、(現状制度として存在しないが)公的な認証を得られれば、進入を拒否する側の理屈が立たなくなると考えられる。
制度としてない現状では、その次のホルモン治療の段階よりも先、という話になる。
一方、公共の場においては、女性トイレは全て個室で用を足すという特性を鑑みるに、実際問題として自認側の性として生活する段階よりも先であれば、実質的に問題は起こることがないはずである。
女装して女性トイレに侵入してSNSにあげる馬鹿がいないとは限らないが…
例としては最後になるが、女性スポーツに関しては、最終段階まで至っていたとしても参加する権利を与えるべきではない、というのは以前の記事に記載した通りである。
身体能力、特にホルモンの問題であるのだから、公平性的にも安全性的にも、生まれた時の性別で区分するのが適切だろう。
さて、もうひとつの課題である、性転換手術前の公的認証についても検討したい。
まず、客観的には上記の位置になると考えている。
これは女性の脅威認識からの類推である。
しかしながら、恐らく正式に公的認証をされることとなれば、性転換手術を伴う公的認証と同様の効果を得られるのではないかと推測する。
それが妥当であるかは当然議論になるのであろう。
その認証方法はどうするのが適切なのだろうか?
これも段階的なものがあると考えられる。
・本人の自己申告(申請制)
・本人の自己申告(認可制)
・医師の診断
・ホルモン治療の実施
リベラル等は申請制をゴリ押しするのだろうが、そんなもんにしたら言ったもん勝ちにしかならない。
また、認可制であると、客観的に妥当だと判断されれば認可ということになるであろうが、そんなもん誰がどうやって判断するんだ?という問題が当然に出てくる。
としたら、少なくとも医師の診断から先の必要性がある、とするのが妥当であろう。
このトランス進入(侵入)問題については、トランス擁護者vs女権主義者+一般的女性という構図になりやすく、割と感情論の議論になりやすい。
そのため、こういった客観的な枠組みに従って妥当性を検討する必要があるのではないかと考える。
まぁ、この問題のほとんどが女性保護の問題となるが、身体男性自認女性で性的指向が女性の人間だっているだろうし、性犯罪等のリスクで言ったら、(身体的)女性同士でも起きないとは言えないのである。
そもそも、身体的女性で自認男性で性的指向が女性の人物は、女性保護領域に入り放題なので、人生エロ漫画的なウハウハ状態なはずである。
それを排除することは出来るのだろうか?(その必要性があるのかどうかも含めて。)
また、盗撮等の被害が!という話もあるかもしれないが、現状、女性同士でも残念ながら盗撮事案は起きているのである。
動機は、男性から依頼された、とか、その映像を売り捌こうとした、とかになるのだろう。
そうすると、女性同士だからと完全に安全とはとてもではないが言えないのではないか?
とすると、結局のところ、どこかで割り切る必要性は出てくるのだろう。
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