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就活に向かないかもしれない

好きなことと仕事について前の記事で語っておきながら、今の私は就活というステップになかなか踏み出せないでいる。矛盾だらけで幼い考えなんだろうけど、この考えはこれからどんどん改めていこうと思っているので、とりあえず現時点で私の目に映る就活のムズカシさをここに残しておければと思う。


私の進路について、なんとなくのイメージ

自分は就活に向かないかもしれない、という考えが今なんとなく浮かんでいる。
こういう漠然としたなんの根拠もないイメージにも時には目を向けてみるべきである。
自分のイメージだけでなく、他の人に対するイメージも同じようにある。就活して将来会社に入ってバリバリ仕事をしていそうな雰囲気を漂わせている友達もいれば、「この子は就職というより研究職の道に進みそう」って思わせる友達もいる。私はどちらかというと後者に近いイメージを色々な人に言われることがある。
「院に進んでそう」
「将来大学の〇〇先生の後釜になってそう」
「スーツ着てなさそう」(←wwww意外と嬉しい。スーツは最低限のマナーであることはわかってるんだけど、塾バイトでスーツを着ていかなきゃいけなかった時も自分がずっとこんなオフィスカジュアルで働き続ける姿がイマイチ想像できなかったし好きな服着て仕事できたらいいのになって思いは常に片隅にあった。)
自分が元々就活の雰囲気を好きになれなかったもんだから、第三者からこうやって言ってもらえると尚更今の自分を肯定したくなる。

そう、就活っていうものが私は以前からなんとなく好きになれなかったし自分が就活して就職して会社で働いているところがあまり想像できずにいた。
でも食わず嫌いしてるというわけではない、齧ったことはある。両親は就職を強制こそしないものの「早く社会に出て働いた方が良い」というスタンスに近い様子。決してお金に余裕があったわけではないけれど大学に通わせてくれた親に恩返ししなければという思いもあったので、自分も就活を始めた。

就活をちょびっと齧って思ったこと

初めは就活に全く興味を持つことができなかったので、ひとまず就活サイトに登録して、楽で面白そうな自己分析のステップから始めて、書店で就活本を漁ってみたりSNSで就活について話しているアカウントをのぞいてみたり、自分が好きな雑誌の出版社の採用情報を調べてみたり、あまり興味はないけど商社や金融などさまざまな業界の採用情報を調べてみたりした。
やってみて思ったが、だいぶ疲れた。こういうのを「就活は就活」と割り切って進めることが私にはできそうになかった。
SNSやネットでリサーチをしながら「絶対に内定出すために」とか「就活生はこれを見ろ」とか「これだけはやっておけ」みたいなコンテンツが次々と流れてきて、就活の時期を迎えた世の大学生はみんなこうやって仕事を掴み取るんだなって思うと、みんなが回れ右して会社に気に入られようと目をつけてもらおうと必死にもがく雰囲気にしか私は感じられず耐えきれないと思った。
しかも、この先に待ち受ける業界研究、ES作成、OB・OG訪問、面接対策みたいなやるべきことが山積した状態で、ある程度の強いメンタルを持って乗り越えていく覚悟が私にはなかった、そういうと聞こえが悪いような。寝言だろうか。甘いだろうか。こんな若者がいる日本の未来は暗いって、思われるだろうか。
お金がないと生きてきけない。だからどこかで妥協点を見つけて就活に進む。
そんな生ぬるいままで仕事を始めてなんとなくで人生終わってくのもお金がなくて死んでいくのともはや同然ではなかろうか。
でもこれは私が素直に自覚していることだ。私は就活に不向きなんだろう。
こうして私は自分の将来のためと割り切って淡々と乗り越えていく自分が想像できないまま、気づいたら就活から背を向けていた。

これだけは納得いかない。

就活を頑張っている人は本当に立派だ。社会に出るために、自分や家族の将来のことも考えて勉強以外のことに時間とお金を注いでいる同期を見ると頭があがらない。「あー明日面接だー」とか「興味ないけどとりあえず申し込むだけ申し込んでみた…」って話してくれる仲間を見ていると、勇気があって逞しいなとつくづく思う。
だけど友達が就活に勤しんでいるからといって自分もやってみよう、という気持ちには今のところならない。
現時点での自分の気持ちとしては、こんな就活の過程に、大学生活の4分の1を持っていかれることが悔しい。あくまでも、今の自分にとっての意見だが。

就活を受験勉強と同じようなものとして捉える人もいるが、大学は義務教育ではなく、自分の意思によって通っている場所だ。勉強したくて決して少なくない時間とお金を投資して過ごしている場所だ。そんな大学での生活4年間のうち、約1年が本業の勉強ではなく就活に支配されるのが、私はどうも許せない。
中には勉強も就活も首尾良く運び、自分の学びも活かした専門職という狭き門を潜り抜ける素晴らしい先輩もいるが、それは本当に一握りではないか。大体の先輩は、就活に全てを注ぎ込んで授業に来なくなったり、それで1,2年生に実力がどんどん追い抜かれていってしまったり、フランス語を専攻しているのに授業に1年間全く来なかったが故にすっかり喋れなくなってしまったり、卒業研究の口述試験でフランス語を一切喋ることができず貝になってしまったりする。そして大学で積み上げた専攻分野とは全く関係ない企業に進んでいくことを先生も嘆いているのが現状だ。
そんな先輩を見ていられない気持ちと同時に、先輩をそこまで追い込んでしまった就活という見えないものに一層怒りが募る。

ちなみに最後の「大学で積み上げた専攻分野とは全く関係ない企業に進んだ人」に関しては、人によって考えが違うことがある。
私の友達の中には、「自分の職業は大学までの学びと全然関係なくて良い。」という自分軸を持っている人が実際いた。彼女としては、学生という身分でやれることと社会人として仕事を通して社会に還元しなければならないことの線引きが必要だ、と考えているのだろう。この線引きをするやり方は正直目から鱗だった。「自分は大学でこれを学んだから将来はこういう職業に就かなきゃいけないんだ」と勝手に視野を狭めてしまっているかもしれない多くの人にとって、このような柔軟な見方は取り入れる価値があると思う。

中途半端でごめんよ。

ここまで不満を垂れ込みながら、現時点で大学院に対しても曖昧な感触を持っている。中途半端で自分に申し訳ない。だが実際のところ、より詳しい研究テーマが決まっている人ではないと院へ進学できないのではないかというイメージもあり、院進と就活どちらに踏み切れば良いのかわからない。
今通っている大学の環境は整っていて、学生も教授も非常に恵まれている。そんな大学の院に進んでさらに勉強を続けられることは大変幸せなことだ。
だが懸念点としては、やはり経済的な問題がある。現在は学部生なので親が100%学費を出してくれているが、学部を出たら年齢としては社会人になるので、「自分のことは自分でやらなければ」という思いが強い。少しは自分でも学費を工面し、勉強を大学院で続けていきたいが、実際それが実現可能な環境はどれほど整っているのだろうか。
院進に関して、進路はもちろん学生が主体となって考えて積極的に情報を収集すべきものだけど、実際大学1,2年のころは学部生としての勉強や活動で忙しく、院進という可能性に気づくことすらまともにできなかった。
今の私が大学や教授に期待する環境づくりとして、先生方ももっと積極的に、私たちの意識しないうちから(例えば普段の授業の中で)大学院について頻繁に話してくだされば、学生は進路選択を迫られた時に大学院も自然と視野に入れることができただろうなと思った。

今の私の考え方は人任せで、自分にとって都合が良くて、未熟で詰めの甘い考えだろう。もうそれならそれでいい。今の自分は歴とした若者思考なんだと認めて、そこから一歩でも二歩でも大人になれるように努力をしよう。
就活でも院進でも、自分が経験して学んできたことに対するもっと具体的な根拠に基づいて、自信を持って進路を判断できるようになりたいというのが今の切実な思いだ。そのためには経験や学びの質も大事だが、まずは場数を踏んでみる、量をこなしてみるというところが出発点なのかもしれない。就活について考えながら(ほぼ不安を打ち明け愚痴をこぼしているだけのようにも聞こえるが)、色々なことにチャレンジして考えを耕したいと思えた。

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