「自己犠牲とか意味わからんのじゃが。」〜利他利己と"遺伝子プール"の話〜

利他利己と"遺伝子プール"の話

「身を呈してまで子供を守る母親」みたいな現象がなぜ起きるの?という話をうろ覚えでします。

結論から言うと、私たちの意志なんてもんは遺伝子に決められていて、遺伝子は『より多く自分と同じ遺伝子が残る行動を選ぶ』という話です、おわり。

◇疑問のきっかけ

大学時代から疑問でした。私、基本的に自分のことしか考えてないのですが、席は譲るし、人が物を落としたら拾うんですよ。

別に他人に優しくしようだとか、親切大好きとか全くなく無言で淡々と拾って、軽い会釈してその場を立ち去る…見事な陰キャムーブ。

しかもそういう親切(?)は「パブロフの犬」みたいな反射的行動でして、意志が介在する前に身体が動く感覚なのです

(身体が勝手に…なんだかえっちですね)

つまりは、考えの上では「利己性」が強くて、実際の行動は「他利性」が強いという。2つの矛盾した動機が自分の中に同居していたのです

「おまえめんどくせーな!」って思ったあなた! 私もずっとそう思ってました、今も思っています。おなじですね…ふふ…

◇優しさって反射システムじゃね?

だから「優しさなんてもんは、ただ先天的にもってる反射システムなんじゃねーの」とかひねた事考えるガキでした。

そう考えることで他人からの優しさ、親切などに対して感じる返報性を相殺しようとしていた面もあるんですが、まぁそれはさておき。

◇冒頭の話「自己犠牲的な母親」はなぜ起こるか?

A.その方が"血を共有する群れ"の遺伝子プールに残る遺伝子量が増えるから。既に出産して寿命の短い母より、子供を生かした方が残る遺伝子量が増えるから。

反射システムとしての親切は所属している群れの存続可能性を高めたんでしょうな。そうじゃなきゃ意志に反してる自動行動として残ってないだろうし。

人の行動様式を考えると「自然界で生活していた時のこと」を想定すると大体納得できますな。

まぁそりゃそうだ、くっそ長い時間かけてその生活様式に適応してきたのがホモ・サピエンスだもの。(セットポイント理論、パレオダイエットあたり調べるとより一層その辺は納得いきます。)

・余談

遺伝子の話は何の本読んだか忘れちまったのでこの辺にしておきますね(確か"良心を持たない人たち"だった気がする)

この辺りの話は「自己複製の本能」「自分と共通項がある人を好きになる」「トロッコ問題と功利主義」など色んな話と繋がっても面白い。

遺伝子の話も面白かったなーと思い出したので書き殴ってみました。

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