「老害の利用方法、引き算の舞踊練習、オーディオブックという素晴らしすぎる文化」2022/05/22の日記

第1章〜要約時系列〜

 体調は良好、精神は怒りと呆れがないまぜになった感情に大きく揺さぶらたが、文化と自然に触れたことで、すぐに適切でゆったりとした心地の良い精神になった。

 がっかり感や予想外の状態をうまく乗りこなせた1日だったと思う。意志の力といいうよりも自然と文化と動かざるを得ない状態によるものだと思う。意志より環境。

・朝〜引き算の舞踊練習〜

ダンスはあまり多くをやろうとせず、BEBOPのレッスン動画だけを集中的に見た。今現在はこのやり方がかなり有効だ。

動画シリーズなので進捗がわかりやすいし、順調にレベルアップしていく感覚がある。今までのやり方は焦りすぎだったのかもしれない。

 いろんなジャンルを横断的に咀嚼していく、そういう日もあっていいが、それは2週間に2~3度しかできないやり方だな。じわじわと着実に効果を発揮するような、そんなやり方の方がいい。

 それにしても、Charlestonのバリエーションだけでかなりの数があるようだ。これをマスターするだけでもかなり”ぽさ”が出るだろうな。コツは①インアウト主体で動き跳ねないこと②足だけが付け根から蹴り上がり、上半身でバランスを取らないこと。だそうだ。

 自分で試行錯誤しながら辿り着いた結果と一致したので、脳汁が出た。より深く記憶に刻み込まれたと思うので、明日からも練習に励みたい。来月中には1周したい。

 そうだな…いつかの英語教材のように、何度も周回することを前提に練習すれば、レベルアップ感の確保=向学心の発揮=快楽主義者としての価値観の発揮ができる。

 これ結構いい気づきかも。周回前提。周回の何がいいって、進捗がわかりやすいこと、そして何をやるべきかも明確なこと。逆にダメなのは、周回そのものが目的化して記憶が曖昧なままな部分が残ってしまいがちなこと。

周回と、苦手な部分の反復練習。このどちらも重要なのだろうな。まぁいいや、楽しみながら全部できるように”ただやる”をするだけだな。

https://www.youtube.com/playlist?list=PL7f3pci5EG5B_RUeh6-TiTh_Vr9mPmhvv



・昼〜耄碌老害を反面教師として利用するための考察〜

集会へ行ったが…いい年こいて夢見心地な老害が、具体的な話を何もせずに、ただ理想を語るだけというゴミのような時間だった。耄碌したジジイの妄言聞くような無駄な時間は俺の人生には必要がない。

 自分の2〜3倍は生きてきているはずだが、あまりにも幼稚で、浅はかで、無知蒙昧で、無能さ無知さの自覚もなく、その癖無駄に自信だけはあるという、どうしようもない感じの何かだった。

 無能な働き者、有害な愚か者。軽蔑のロールモデルとしてはかなりの逸材だ。優秀な反面教師ですな。

 しかし、自分の意見にいかに価値がないのか、いかに他人にとっては見る動機を沸かせないのか、いかに与えられないのか、それが客観的に見えていない点は私にも当てはまるのだろう。

 今のところ他人を巻き込んで何かを成し遂げる気はさらさらないが、耄碌して何かしたくなった時に、私が陥るのはああいう状態なのかもしれない。

 ああならないために、私は今をどう生きるべきだろうか?  科学的知見に自分の言動を当て嵌めていき、その試行錯誤の経験値を溜め込むことだろうな。

そして、他人の視点や評価というのを、利用することだろうな。

 愚物からの意見はいらないし、自分の気分を良くする材料にならない他人は必要ないと切り捨てるのがいつもの私だが、一時的な不快感を乗り越えた先に、一朝一夕で手に入らない最高の”いい気分”があるとしたら?

 その不快感には大きな意味があるだろう。私はもっと人間関係で不快感を味わうべきなのだ。さもなければ、末路はあの耄碌妄言糞老害と同様だろう。

 役に立つ考え方というのは、特定の前提において、実利をもたらし、その思考の過程を論理的に説明できるものであるはずだ。どんな批判に対しても、打ち返すことができるものであるはずだ。

 では、どうすればそういう考え方を作り出せるのか? それは、多くの考え方と競わせ、多くの批判を打ち返せるようにカスタムし続け、多様な状況を想定してどういった前提と状況でその有用性を発揮できるのかをテストし続けることではないだろうか?

 これをやるために手っ取り早いのは、人との対話。包み隠さず自分の考え方を話し、「こう考えているんだが、あなたはどう思う?」と聞くことだろう。

 この問いに応えられる人間は少ない。だが、今の私の交友関係の中に、確かにそういう人間はいる。これを使わない手はない。

 批判が来れば、その批判に耐えうるように補強し直せばいい。自分が尊敬している人間からの批判ならば、むしろ喉から手が出るほど欲しいものである。

 もちろん、一時的に不快感は湧くだろう。メンタルも凹むかもしれない。ただ、それを補ってあまりあるメリットがあるのではないだろうか?

 であるならば、瞑想、筆記開示、日記などで書き殴り、それを自分の価値観の血肉とするために手と頭と体を動かし、試行錯誤していけばいいだけなのではなかろうか。

 人と会って、自分の考えを話して、相手の考えを聞く。これを繰り返して見るとするかね。老害にならないために、新鮮でいるために。

 自分の意見を話して、他者の意見を利用して、価値観を磨いていこう。

・夕~オーディオブックはいいぞ。~

庭園や公園でリラックスしていた。変わった肉などを食べて、好奇心も満たせた。あんな素晴らしい建築を保全してくれている団体?には感謝だな。

 聞き流していた裏世界ピクニックのオーディオブックは相変わらずナレーターの演技力が素晴らしい。一人数役やるので、かなりの器用さが求められるはずにもかかわらず、どのキャラクターも個性が強烈に出ていて驚かされる。

声に特殊な魅力を持つ2人のキャラクターは本当に声に魔力でもこもってるのかと思うような声だし、メインキャラたちの個性もひとこと二言だけで誰が話してるのか明確にわかる。3.5倍速で再生しても一目瞭然ならぬ一耳瞭然なのだから、その異常さに驚かされる。

大体の作品は、1キャラ1声優だから(例外が多くあるのは一応知っている) こういう演者自身の才能や技術を目の当たりにする機会というのはそう多くなかったりする。大体は複数作品を見ないと感じ取れない感動、あるいは楽しみだろう。

複数キャラが登場するオーディオブックは、それが人作品内で味わえるのだから、贅沢というほかない。しかも、それを時間的に圧縮できるというのだから、なおさらだ。

 素晴らしい文化だなぁ…いい時代に生まれたものだ。この文化に関わっている遍くものは有ることが難しいものなのだろう。当たり前ではないこと、すなわちありがたい。

・夜〜受動的休息の重要性について〜

雨に降られながら帰宅。道中、ご機嫌に弁当を食べたり、帰宅後きちんと運動をこなせたりと満足である。ここのところ、夜まで意志力が保っていられるのはなぜだろう。

 さして頭を使っていないからというのもあるだろうが、よく寝て昼寝と瞑想もして、自然の恩恵も受けているから?という気がしている。

科学的に運動機能の改善、集中力の改善、腸内環境、創造性、免疫向上など複合的にメリットがあることを並列してやりまくってるからな。もう前ステータスに2〜3重にバフかかっているようなもんよな。

熟睡、昼寝、自然、瞑想。受動的な休息にガチるとまず間違いなくQOLは上がるというのは確実なようだ。これらは超超優先度高めで継続していく。忘れないためにトイレにでも貼っておこう。


・雑多な思いつき


・植物は夢を見るか?

・思い出すための張り紙メモでトイレを埋め尽くしたい。

・学習の分類分けを3つに絞り込みたい。

・新しい概念を自分なりに咀嚼してまとめるというような頭の使い方をしたい。概念理解→咀嚼消化という頭の使い方。

他には、左脳整理→右脳没頭。創造的拡散→論理的収束などがあるかな。①は専門知識の学習法。②はダンスや楽器など身体性を伴うものの学習。③はDラボの知識を実際に使うための実学的な学習。

あれ、これだけで上記学習の分類できるな…頭の中にストックしておこうか。概念理解、身体性、拡散と収束。この3つだな。


・まとめ

今日もいい1日でした。


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