忘れられない面接官の話

オーストラリアに来てもうすぐ2年。
ビザも切り替わり、新しい仕事を探そうと思い、日本人向けの転職サイトを見ていたところ、ある企業の求人募集に目が留まった。
「語学学校の事務員」の求人である。

私は募集要項にあった日本語の履歴書、職務経歴書を新しく作成し、英語のレジュメとともに記載のメールアドレスへ送付した。

返事はすぐに来た。しかし、担当者が日本出張中ですぐ戻らないとのことで、面接日は3週間後になった。
私はその3週間、下手に動いて予定が乱れたりしたくなかったので、とりあえずその面接が終わるまでは他の求人はあまり見ないようにしていた。

「シフト制、家から徒歩15分、英語もそれなりに使うだろうし、あとは時給が良ければ大満足だな…」と、これから働くかもしれない新しい職場に期待を持ちながらも、面接前日からとても緊張していた。

そもそも、面接は日本語だろうか?
オーストラリアの企業だし、日本人と言えど、英語力を図るために英語で面接?
など、色々な不安を抱えながら、とりあえず面接当日、時間通りに事務所へと向かった。

日本では通常、5分から10分前に到着するのが礼儀とされているが、オーストラリアはむしろ早く行き過ぎるのはマナー違反では?と思い、時間ぴったりを心掛けて向かっていた。
すると、事務所を目の前に、一本の電話が鳴った。

スマートフォンの画面を見ると、知らない番号からの着信。
まただ。よくあるScamだ。
実はオーストラリアはSIMカードは安易に手に入るので、気軽に電話番号を替える人が多い(ワーホリなどで短期滞在も多いため)
そのため、電話番号はほとんどが使いまわしで、以前の持ち主宛の電話がかかってきたり、セールスの電話もしょっちゅうなのだ。
私はタイミングの読めない勧誘の電話に、緊張から来るストレスをぶつけるため、電話を取り「Fxxk!」と声を荒らげた。
いつもはクールに電話を切るが、今日は仕方ない。何せ面接前なのだ。
私は冷静を取り戻すために深呼吸をし、事務所へと足を運んだ。

「初めまして。面接できた〇〇ですが、担当の〇〇さまはいらっしゃいますか?」
英語でそう尋ねると、対応してくれた女性も日本人のようで、「面接ですね。こちらでお待ちください。」と日本語で対応してくれた。

なんだ、よかった。もしかしたら面接も日本語かもしれない。
私は少しの安堵を覚えながら、通された部屋の椅子へ腰かけて、担当の人を待った。

数秒後、革靴の足音が聞こえてきて、面接官と思われる方がこちらへやってきた。
私は椅子から立ち上がり、身を整え部屋のドアから来るその人を笑顔で向かえる用意をした。緊張する。いよいよ始まる。

「お待たせしました。はじめまして。今日はよろしくお願いします。」
面接官はそう言うと胸元から名刺を取り出し、私に差し出した。

秋元康だ。

私は瞬時にそう思った。
私ほどの背丈、むっちりとした体形、太めの眼鏡フレーム。
見た事のない薄型のノートパソコンに両腕ごろつき数珠ブレスレット。

秋元康に直接会ったことはないし、アイドルに興味もないが
私はリアル秋元康を目の前に、別の緊張を覚え始めていた。

(苦手かもしれない…すごく…苦手だ…)

私は面接から来る緊張なのか、秋元すぎる康を見たからなのか、
額から出てくる汗を軽く撫でながら話を始めた。

「本日はお忙しい所、お時間を頂きありがとうございます。
日本出張から戻られてすぐなのに、すみません。お疲れですよね。
こちら、履歴書と職務経歴書をコピーしてきましたので、ご査収ください。」

そういいながら康に手渡すと、私の履歴書に再度一通り目を通しながら、
それを薄すぎるパソコンの上にポン、と置いた。

「日本は暑かったですよ…とても。今年は異常だ。」と康は口を開いた。

話し方までも康じゃないか、私はそう思った。
康のことはあまり知らないが、私はこのペースに飲まれぬよう、必死に食いついた。

「日本はいつぶりだったんですか?」

「ちょくちょく帰ってますよ。今回は2カ月。台風もあったりね。大変でしたよ。
2カ月の間は自社の点検をしたりね、色々してましたけど、やっぱり日本はまた、変わってましたねえ」

康はそう言って少し目を細め、遠くを見た。

なるほど、日本の凱旋話から入る感じか…。
これは私の面接に入るのはまだ先そうだ。
私は意識を切替え、康の日本凱旋ツアーについてもう少し深堀りすることにした。

「日本ではどちらにお住まいなんですか?」

「横浜ですよ。神奈川の。会社もその辺りだからねぇ。今はあちこちに外国人が増えてるから、すごいですよ。」

「そうですよね、私も年始に帰ったときに驚きました。」

「オーストラリアは逆に日本人増えましたけどねぇ。
まあそれも、今後どうなるか分かりませんけど。」

康の眼鏡が急に曇った。
なんだ?この急な風向きの変わり方は。

私は、その先の行方が分からず、こう言葉を添えた。

「そうですよね。コロナが明けてからは特に、多い気がします。」

今思えば、これが火種だった気がする。

【コロナ】というワードは、康にとっては一種の着火剤だったのだ。
康はそこから少し身を乗り出して語り始めた。

「そうですね。オーストラリアはこの5年で変わりました。
まず2019年、コロナが始まる前。街は賑わい、メルボルンはコーヒー文化が栄えていました。
しかしコロナが現れて、人々が自由に外出が出来なくなると、街から人は姿を消しました。
テレワークの始まりですね。

…フフ、今はテレワークなんて言葉、死語に近いですけどね。
時が経ち、コロナがようやく明けると、街は活気を取り戻した。
しかし、シャッター街は増え続け、【テナント募集】は今も変わらない。
その理由はなぜか?…オーストラリア政府が、何も対策をしなかったからです。
その結果、コロナが明けて外国人が自由に行き来出来るようになっても、
国は豊にならない。
経済は下降する一方です。

そしてオーストラリアに来る外国人の方の中には、特に理由もなくただ環境が良いからと、能力のない人が暮らしているという有様。
配給を受ける列に日本人が並んでいるのがその証ですね。
今や日本人は肩身が狭い。以前は中国人が対象だったが、今は日本人が嫌悪される時代です。
増え続ける移民はオーストラリアの為に何をするのか?利益はあるのか?

…ないですよね、何も。だから、この国は変わらないんです。
そういった事実があるからこそ、政府はこの問題を解決するべく、今後さらに外国人移民者に対しての制度をさらに厳しくしていく方針です。
今後オーストラリアは豊にならない。
これが私の見解です。」

冒頭で述べているが、私は面接に来たのである。
康の強い思想のセミナーを受けに来たのではない。

拍子抜けしてしまっていたが、今は面接中なので何かいい感じのフレーズを言って切り返さなければいけない。
私は、康の話に興味があるような感じで、こう言った。

「ということは、日本の方がオーストラリアより豊だとお考えになられるのですか?」

どうやら私は康を着火させる天才らしい。
この言葉も、康の琴線に触れたらしく、さらに熱く語り始めた。

「ええ。間違いなく…ね。
今でこそオーストラリアの時給が良いとか、経済状況は良く見えているけど、数年後は分かりませんよ。
日本はあんな小さな国だし、出来ることも限られているけど、それでも圧倒的技術と性能がある。日本の技術を持ってすれば今後生き残れるでしょうし、そういった点においても今後落ち込むことはないでしょうね。

一方でオーストラリアはでかいだけで何もない。
コロナ中の政府の対応がそうだ。この5年でまるっきり変わってしまった。もう元のようには戻らないでしょうね。

君は今31でしょう?
私が出会った日本人で、オーストラリアの永住権を持っていても、日本国籍を手放した人は見たことがない。
私だってそうだ。
日本国籍を残しておけば、いつでも日本に帰ることができるし、年金だってもらえるからね。
しかし、転出届を出して海外に来てしまっている今、貰える額は限られているでしょう?

そういった意味で、今後のために厚生年金を収めたり、身の回りのことをきちんとしておくことが重要になって来るんです。
例えば僕は、日本に籍がある。
保険も、税金も全部払っている。
今はオーストラリアと日本を行き来しているけれど、50、60になる頃にはわからない。だからいつ日本で暮らしてもいいように、環境を整えているんです。

君はまだオーストラリアに来たばかりだから分からないかもしれないけど、私や長く住んでいる人はね、こういったビジョンを見据えているんです。
だから、先のことを見て行動していくこと、これが大事になってくるんですよ。」

軽くマウントを取られながら、この時点で私は【康が50を迎えていない】という事実に驚いていた。
康は40代なのか??見えない。
50を見据えているという事は、40代後半なのだろうか。
あとデカい数珠も気になる。

そして私はこの時もう一つ驚くべきことに気付いていた。
それは、康が面接前に言ったある一言だ。
「ここに来る前に電話したんですけどね。
迷っているんじゃないかと思って…」

私はそう言われた時、康と対面直後で緊張していたのもあり、
「すみません!!気が付きませんでした!!」と言っただけだったのだが、そのあとで、康が電話をかけ間違えたのだと思っていた。
実際面接前に機内モードにしていたし、康が電話をかけたとしても、
繋がらなかった可能性はある。そして実際に私は康の電話に出ていない。

しかし…康のセミナー中ふと思い出したことがある。
面接3分前のあの電話だ。
私が、Fxxk!!と言ってブチ切ったあの電話。
あれこそが、康コールだったのではないか。

そこから私は、Fxxkと言ってしまった人が目の前にいる且つ、その人が真顔でセミナーをしている姿に、必死で笑いを堪えながら面接(セミナー)をする羽目になった。

「私はオーストラリアに来て25年。事
業を立ち上げて日本に持ち帰りました。
銀行は私を信用してくれなかった。
なぜかって?移民だからですよ。

想像してみてください。
グアムやドバイ、タイで活動する私を見て、どう思います?
怪しいでしょう??

怪しいんですよ。海外で働く個人事業主なんて。
だから誰も信用しない。お金も貸してくれない。
だから私は町の信用金庫に頼むしかなかった。
でもそれだってね、”町の”なんですよ。結局移民だからね?
扱いは一緒…一緒なんですよ。」

いつの間にか話は康のサクセスストーリーになっていたが、私はそれどころじゃなかった。
私、この人にさっきFxxkと言ったかもしれない。
それを今、謝るべきなのか、どうか。
しかし仮にFxxkが彼に届いていたとして、そんな相手にセミナーを開くだろうか?開かないよな…ということは聞かれていなかったかも。
なら、セーフか。

「つまり何が言いたいかって言うと、海外にいたとしても空白のキャリアがある人って言うのは、日本では信用ないですからね。”きちんとしたところでやっていました”っていう実績が、大事になってくるんです。」

話は良い感じでまとまっていた。

そうして、1時間にも及ぶ康の良く分からないセミナーが終了し、私の英語力を測ることになった。
3つの質問に対する英語の回答をメールで送って、とのことだったので、15分程度で回答を作成し、メールを返した。

20分後、たばこの匂いを身にまとわせた康が帰還した。
この間にたば休挟むなんて…行動までディレクターっぽいな。
と思っていると

「日本の事務経験について聞きたいんですけど、給与を担当する経緯って何だったの?」

なんと、私の面接が始まったのだ。
どうやら、康の中のカリキュラムでは
セミナー1時間→英語能力チェック→面接だったらしい。(合計2時間)

「異業職からの転職だったので最初の1年は雑務でしたが、2年目に人事として負担の大きい給与作成の一部を任されました。そのうち、勤務態度を認められ、賞与、定期昇給、年末調整と給与周りのすべてを任せていただけるようになりましたが、コロナの期間で自分を見つめ直す機会があり、今しかできないことに挑戦したいという思いが沸き、海外へ行くことを決意しました。」

それっぽいことを言うと、

「なるほどね。弥生会計は使えるの?実は日本のフランチャイズで手の回っていないところがあって、そこの人事をお願いできたらと思うんだけど。
採用関係はどこまでやってた?費用って500万くらいだよね?IT関係は得意?」

などと、矢継ぎ早に日本の人事関係について質問された。
どこまでも想像のつかない男だな、と思った。

結局康の話では、語学学校の事務か、そうでなくても人事面で日本企業側で使えるかもしれないという理由で私に興味を持ってくれたらしく、今回の面接となったようだった。
私は、「協力できることならなんでも」と言ったが、正直迷っていた。

やはり、セミナーが重すぎる。
これからオーストラリアの企業で働きたい!と意気込んで面接に来た人に対してする話なのか?と思いながら話を聞いていたので、そのあとで好印象な面接をされても(康の心理は謎だが)、どうしても康のために働きたいとは思えなくなってしまっていた。

康にI want you するか…四六時中彼のことを考えては寝られなかった。

翌日、一人では抱えきれなかったので、色んな人にこの話をした。
みんな「2時間?やば笑」と言ってくれた。
私もやばいと思っているからこれを書いている。
今仕事している日本の経営者の人でさえ、「それはちょっと異常な長さですね笑」と言っていた。
そして有難いことにその企業さんから、「そこがあんまりなら、もうちょっと仕事増やすよ」とも言ってもらえた。

とはいえ、やはりオーストラリアの時給は魅力的なので、一旦トライアルしてからでもいいのかな…などと思っていたその翌日、メールが届いた。

「先日の面接結果:不採用」


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