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一生で3人分の人生を プロ人事・石上祐也さんの遊びと仕事の境界をなくす幸せな働き方

フリーランス・パラレルキャリアの多様な暮らし・働き方をご紹介する「働き方の挑戦者たち」。
今回ご紹介するのは、大手総合電機メーカーの人事に携わりながら、人事・組織コンサルタントやワークショップデザイナーとして活躍する石上祐也さんです。
人事の仕事を極めるべく、あえてパラレルワークの道を選んだ石上さん。キャリアアップに励む姿は、まるで遊びに夢中な子どものよう。どのようにして今の働き方に至ったのか、石上さんのキャリア観を築き上げた背景や出会い、心がけていることなどを根掘り葉掘りたずねました。

折れかけた心を救った副業の誘い

石上祐也さん。大学卒業後、大手化学メーカーに入社。27歳のときにIT企業のHRBPとして転職。さらに28歳から副業で組織人事コンサルタントとして活動。2020年より現職の大手総合電機メーカーに勤務。労務とエンゲージメント施策の統括を行う。

――石上さんは、これまでどのようなキャリアを歩まれてきたのですか。

新卒で就職した化学メーカーで、最初に配属されたのが大阪にある工場の人事でした。製造拠点の労務や安全衛生管理、採用、教育などを担当したのが始まりです。最初は営業を希望していたんです。まだ働くことのイメージができていなかったのと、純粋にビジネスやお客さまとのやりとりに興味があったから。でも実際に人事として働いてみると、採用活動で大学に出向いて学生や先生方、職員の方とお話ししたり、人材サービスの会社や研修会社と取引したり、それから他の会社の人事の方と交流したりと、人事も実は営業同様、意外と外に開けた部門なんだということを知りましたね。

入社4年目に営業に異動する機会があったのですが、「もう少し人事を続けたい」と申し出てからというもの、人事畑を歩むことに。本社で制度企画や人材開発や経験した後、IT企業を経て、今は総合電機メーカーに在籍し、本社を含む東京周辺の事業所の労務、組合窓口、安全衛生、エンゲージメント施策を担当するチームリーダーをしています。

また、会社の仕事とは別に、個人事業主としての副業もしています。仕事は企業の人事制度企画や組織開発コンサルティング、サービス企画などです。少し前には、レゴ®シリアスプレイ®のファシリテーター資格を取得し、企業、労働組合、大学、地域社会など幅広い場所でチームビルディングや新規アイデア創出、キャリア開発などに取り組んでいます。最近は本業でもレゴ®シリアスプレイ®のワークショップを実施しました。また今は、社会保険労務士や国際コーチング連盟の資格取得に向け勉強しているところです。

働き方は会社の制度を利用する形で、会社での就業時間を除く平日、休日、夜間などを副業やスキルアップの勉強に充てています

――副業はどのようなきっかけで始められたのですか。

2社目のIT企業にいた頃に、最初の会社でお世話になっていた先輩から声をかけられたのがきっかけです。先輩は僕よりも先に転職をしていて、その後、自分で経営コンサルの会社を立ち上げました。先輩の会社のクライアント から人事制度のアップデートを図りたいというオーダーがあり、“昔ながらの日系メーカーと、IT企業の文化、人事制度の両方を知っている”という僕の経験がピタッと当てはまると。最初のうちはアドバイザーの立ち位置でしたが、徐々に踏み込むようになりました。

またちょうど同じ時期に、ヘルスケアのスタートアップを立ち上げた友達からも、相談を受けたんですよね。健康経営や社員の福利厚生なども人事が関わる領域なので、どうしたらBtoBのビジネスにできるか、また会社の人事制度をどう設計するかとか。こうして知人や友人の支援をするうち、紹介をいただいて新しい仕事につながったり、ワークショップの運営に発展したりして、ここまで続いています。

実をいうと、先輩から「手伝って」と言われたときって、本業はちょうどどん底にあったんですよね。化学メーカーの人事からIT企業のHRビジネスパートナー(HRBP)にジョブチェンジして、いろんなギャップに直面していたタイミングでした。HRBPとは、従来の人事領域である労務管理や福利厚生だけでなく、経営的観点から人事戦略を考え、実行していくことが求められる役割。組織カルチャーの違いもさることながら、経営や事業側からの人事面へのアプローチとか、組織戦略、採用戦略の立案とか、当時の僕には圧倒的にHRBPとしての経験もスキルも不足していたんです。さらに、IT企業のHRBPとしてはエンジニアの仕事の進め方やスキルセットの理解も必須ですが、自分にはエンジニア経験がない。人事として経験を広げたい思いで転職に踏み切ったものの、初めてのことが一気に降りかかって来て、結構打ちのめされていたんです。

HRBP自体が社内でも立ち上げて間もないポジションで、周りの同僚も模索しながら仕事を進めていましたし、上司も「荒波に揉まれて覚えろ」というスタンス。失敗に対しても比較的寛容でしたし、上司や先輩に本当によく鍛えてもらいました。それでも、貢献できていないという自覚と焦りは募るばかり。大学のときに軍隊みたいなアメフト部にいたので(笑)、キツい環境には耐性があったのですが、そんな僕でもかなり精神的に追い込まれていきました。

でもちょうどその頃に副業をすることになって、今振り返ると、とても恵まれていたなって思います。本業ではうまくいかなくても、会社とはまた別の形で自分の役割をまっとうできる場があったから、心がポッキリと折れずに済んだ。自己効力感や自己肯定感を満たせたことで、うまくバランスがとれたから、本業でもなんとか前を向けたんですよね。もしも副業もうまくいっていなかったら、さすがに僕のメンタルもやられていたかもしれません。

大学4年間は、アメリカンフットボール一色。過酷なトレーニングと必死の肉体改造で、入部時52kgだった体重は75kgに。心身ともに鍛えられた。写真提供/石上祐也さん

人生観を確立させた2人のロールモデル

――それは大変でしたね。でもどうして、パラレルワークという働き方を選ぶのでしょう? 独立する選択もあると思うのですが。

僕、欲張りなんですよ。少し前には「300歳まで生きる!」って、周りに宣言していました。仮に100歳まで生きられるとしたら、100年のうちに3人分、いや5人分の経験を重ねたいって考えていて。
いろんな人生を生きたい僕としては、パラレルワークの選択は必然だったと思います。

ーー300歳まで生きる、という野望の原点は?

子どもの頃からSF小説を読んでは、登場人物に自分を重ねて追体験するのが好きだったのもありますが、いちばんは人生のロールモデルと呼べる方に出会えたことですね。

ひとりは、最初の製造メーカーの人事部の先輩です。営業出身の人事マネージャーで、特例で副業もしていて、会社のなかでも唯一無二の存在でした。心から仕事を楽しみ、自由に働いている印象で、入社を決めたのも先輩がいたからと言っても過言ではないくらい。本当にステキな方で、僕にとってのロールモデルとなりました。

もうひとりは、新入社員時代に通っていたカメラ教室の先生です。先生は、なんと90歳越えのおじいちゃん! その年で講師をしているだけでも驚きなのに、展示会を開いたり教室の生徒たちと一緒に上海に撮影旅行に出かけたりと現役そのもの。ものすごくアクティブなんですよ。

先生がカメラを始めたのは60歳を過ぎてからで、若い頃は経営コンサルタントだったそう。社会の第一線で活躍されていただけあって、先生の言葉は金言のオンパレードなんです。
「人はなりたいと思う自分になる。楽しい人生を自分から作り出す」
「相手が誰であろうと、常に対等な関係でありなさい」
「気づける人になりなさい」
「Give&Takeじゃない、Give&Giveだ」

先生は若い頃にそのことに気づけたから、その後の60年の人生がものすごく充実して、楽しく過ごせたと話してくださって。こうした言葉に大きく影響を受けましたね。

――魅力的な人生の先輩に、巡り合えたのですね!

お二人を通じて学んだことは、ひとつの領域を磨き上げることの価値。人事にせよ経営にせよ、そしてカメラにしても、個を出せるくらいまで立っているから自身が楽しめて、周囲にもリスペクトされているんだなと。
それから、なんといっても90歳になってもバリバリ現役の先生の存在ですよね。先生が60歳から2人目の人生を築いたのなら、20代の自分は3人分いけるぞ!って当時思って(笑)。

――その思いが、経験値を広げるための転職へとつながったのですね。

ええ。ただ、その転職で自分はまだまだ半人前だと突きつけられることになりました。HRBPは、事業サイドから人事を扱う仕事。言ってみれば総合格闘技みたいなものなんですよね。人事のこと、経営のこと、事業に紐づく仕事や職種のことと、全方位を問われる。だけど僕は、経営やエンジニアの職業理解はおろか、人事についても極めきれていないって気づかされたんです。

人事とひと口に言っても、採用や教育、労務に制度設計、さらにはタレントマネジメントに組織開発など、本当に幅広い領域があります。HRBPをやっている言っても、中身が伴っていなければ意味がない。せめて人事については、もっと専門性を深めていかなければという思いがあり、2度目の転職を決断しました。

外の経験を歓迎してくれる場で120%貢献する

――2度目の転職で重視したものはなんですか?

まずは、副業が可能である、ということです。2社目から始めたパラレルな働き方は、自分にとってはもう外せないものになっていました。
そのうえで、自分のこれまでの経験を認めてくれて、価値貢献できるところというのも大事な観点でした。「自社にない外の知見を、面白がって歓迎してくれる会社」と言い換えることもできますね。でなければ、環境に慣れることに自分のリソースを割かれて、安心して仕事に集中できないと思ったからです。

――では、パラレルワークを続けるうえで大切にしていることは?

副業では「自分のできないこと」はやらない。あくまで感覚値ですが、自分の知見が50%以上活かせると思えるもののみ、受けるようにしています。でないと、相手の役には立てないし、迷惑をかけることにもなる。また、本業にも支障が出てしまうと思うので。副業では背伸びはしても、ジャンプはしない。ジャンプするようなチャレンジは本業で、というのを心に決めています。

そしてもうひとつ大切にしているのは、副業で得たものは本業にしっかり還元させること。会社にも「副業での経験は120%還元させます」と宣言していますし、Give&Giveの精神で実際に行動で示しているので、周囲との関係も深められているのかなと感じます。

――副業に対する職場の理解は欠かせないですよね。

正直なところ、組織の中では異端だと思います。元は長い歴史のある、典型的な日本型企業ですから。けれどもそこからひと皮向けたいと、全社をあげての変革に挑んでいる。だから僕のような、全社ではマイノリティな1%側の人が、何か仕掛けることを期待してくれていると思うんですよね。今の社内にないものを、持ち込んでくれるって。

たとえば今年の7月に始まった、服装の自由化はそのひとつ。これまでも特に規定は設けていませんでしたが、“職場にはスーツで来るもの”という暗黙のルールがありました。それをTPOに合わせて自律的に服装を決められるようにしようと、いろんな部署を回ってヒアリングし、十数人の執行役員と社長、そして会長に一人ひとりに説明して実現に至りました。

また僕のチームでは、オンライン上で議事録を共同編集できるようにするなど、これまでの慣例をリセットしながら業務効率化を図っています。情報共有の効率化につながり、今では他のチームや部署も取り入れるようになりました。

ーー期待されている通り、新しい風を吹かせていますね。

でも今までと違うことを始めるときって、やっぱり変わることへの抵抗もあるんですよね。服装を自由にしたら働かない人が出て来るんじゃないか、パジャマのような普段着で出社する人がいるんじゃないかって言われたことも。でもそれって、「本当に?」って感じじゃないですか。世の中、Tシャツにジーンズでバリバリ成果を上げている人もいるし、もし本当にパジャマで会社に来るような人がいれば、それはそのとき指摘すればいいことで。業務効率化にしても、取り入れてみて合わなかったらやめればいい。

幸い人事部門には、自分たちから壁を取っ払おうという機運があって、直属の上司も人事部門のトップも「いいね! どんどんやろうよ!」と背中を押してくれています。それに新しいことは、プロパーよりも外様が声を上げるほうが、角も立ちにくいですし。会社がより望ましい組織になるのであれば、うまく僕を使ってくれればいいし、管理職もそう考えていると思います。だから僕も、好きにさせてもらえているのかなって。Give & Giveのつもりでやっているけれど、実は僕も恩恵を受けているんです。

遊びと仕事の境界をとかしていく

――どうして、そんなに頑張れるのでしょう?

お見せしたいものがあります。今日の取材にあたって、自分の気持ちをレゴ®で整理してみたんです。レゴ®シリアスプレイ®には、まず手を動かしてレゴを組み立て、後から意味づけするという特徴があります。そうしてできたのが、この2つのオブジェクトです。

左は石上さん自身を、右はクライアントを表す。

船のようなものは、僕自身を表しています。ところどころに目のブロックを入れたのは、広くて多様な視点を持ちたいという思いから。それからカラフルなブロックが、ところどころはみ出しながら積み上がっているでしょう? これらは自分の専門性や経験なんです。それぞれに重なりながら積み上がっていて、一見つながりのないようなことも、どこかで関係がある。採用に制度設計、労務、それからレゴやコーチングといったピースが重なって、僕のキャリアを築いていることを表現しています。そして表からは見えづらいのですが、真ん中には赤くて透明なパーツがあって、仕事への情熱を表しています。

人形は、クライアントです。頭につけた黄色のパーツと花は、驚きと喜び。相手が個人であっても組織であっても、家族でも友人でも、目の前の人に気づきや希望をもたらせる存在でありたいんです。それには僕の引き出しを充実させることが不可欠。だから僕のオブジェクトには風向きを見ながらいろんなところに飛び回れるようにと、フラッグとプロペラがついていています。

――誰かの役に立てることが、石上さんを動かすのですね。

確かにそのとおりなのですが、それだけではやっぱりダメ。
最近、テーマにしているのは「遊びと仕事の境界をとかしていく」こと。何時間とやっても飽きない、やり続けたいと思えることが僕にとっての遊びで、仕事も遊びになりうると考えています。ただ、仕事である以上は、当然、報酬に見合う対価を提供する責任があります。自分に任せてくれる相手の役に立てることで、遊びと仕事はボーダーレスな関係になっていくのだと思っています。

そして、もうひとつ大切なのは、自己基盤。まずは自分のことを大事にしないと、誰かを幸せにはできないと思うんですよね。だから、ちゃんといたわる。
僕、今やっていることが楽しくて楽しくて、もっとコーチングやレゴ®もやりたいし、会社でももっと新しいことを始めたい。文字通り、気持ちは寝る間を惜しんでいるんです。だけどいいパフォーマンスには睡眠は必須だし、僕がめざすのは100年×3人分の人生だから健康でいないと。最近は好奇心と、睡眠欲のせめぎ合いの日々です(笑)。

ーー自制しないと、つい睡眠を犠牲にしてしまうとは……! 毎日を100%楽しんでいらっしゃることが伝わります。

もちろん、いつもうまくいっているわけではないし、働いていれば、胃に穴が開きそうなくらい嫌な仕事にだって直面します。でもそれを乗り越えることで、自分の自由も守れるんですよね。

自分の木を育て、花を咲かせるには、土の下でしっかりとした根を張らせる必要があるから、将来的に“好きな仕事”が占める割合を増やせるように、嫌なことからも逃げない。表には見えないところで栄養を与え続けるというか、筋トレみたいな感じかな。こうしたガッツは、アメフト部でだいぶ鍛えられた気がします(笑)。

――最後に、石上さんの未来像をお聞かせください。

まずは、多様な側面と奥行きのある人になりたいですね。3人分の人生って、33%× 3じゃない。100%×3なんだけど、まだ100%になるものを見出せていなくて、どうすればいいかもわかっていない。でも会社員としての自分も、副業の自分も、もっと自立させたいですね。たとえば副業のほうは、法人化できるくらいに。

そして僕の体験による実践値を、他の人にも伝えていきたい。今、仲のいい友達と「いつか学校をつくりたいね」って話しているんです。まだまだ構想段階で、実現するのは10年、15年先の話だと思うんですけど。小学生から大学生くらいの人たちが集まって、学びと実践の両軸から一人ひとりの可能性を最大限発揮できるような場を築きたくて。さらにここで過ごした人たちが、卒業後に社会で得た知見や経験を持ち寄って、後進を育てるような循環をつくれたらいいなって考えています。

――3人力の石上さんならではの野望ですね。

そうかもしれません。ときどき「3人分の人生をひとつに集中投下したらどうなるんだろう?」って考えることがあって、人生の終盤で試す日が来るかもしれません。

このレゴのオブジェクトが表すのも、まだ1人分の人生。これがさらに2人分、3人分と積み重なっていくと、もっと高くなっていくと思うんですよね。ただ積み重ねるには、時間がぜんぜん足りない。もう30歳を過ぎてしまって、ちょっと焦っているんです。もうね、100歳では人生終われない。120歳、140歳、いや本気で300歳まで生きるつもりです(笑)。

楽しみながら、何倍もの人生を生きることをめざして。

取材・文/たなべやすこ
フリーランスライター/ 『フリパラ』編集メンバー。
話し手・届け手・読み手の「健やかな生きざま」に、ほんの少しでもつながる期待を込め、オウンドメディアや個人出版、Web制作などに携わる。趣味はプチリッチフード探索。

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