専門性の高さを武器に、エンジニアとしてタックルし続ける、事務局イチの癒しキャラ【開発チーム/鈴木敬三】
フリーランス協会で働く人を紹介する「突撃!フリーランス協会の中の人」。
今回は、フリーランス協会のWebやシステムの開発を一手に担うエンジニア2人組の1人、鈴木敬三をご紹介します。
「非営利団体ながら中身はスピード感あふれる”どベンチャー”」と、理事の守屋が語るほど、会員規模も、活動領域も、ベネフィットプランも拡大し続けているフリーランス協会。
そんな日々成長中の協会をシステム面から支えているのが、今回ご紹介する鈴木と緒形の息の合った開発チームです。たびたび繰り出される無茶ぶりにも神対応してくれる、「確かなスキル」と「海より広い心」に、事務局メンバーたちは幾度、感涙したことか!
いつも笑顔全開で、事務局イチの癒しキャラとして愛され、自身はお酒と筋トレをこよなく愛する生活を送っている鈴木に、外部ライターが突撃インタビュー!
アメフト歴26年のブロックチェーンエンジニア
──さっそくですが、参考として事前にいただいていたイベント登壇資料「フリーランスエンジニアの生きる道」、拝見しました!
タイトルがフリーランスエンジニアなのに、表紙が思いっきりアメリカンフットボール(アメフト)の写真なのが印象的でした(笑)。アメフトはもう長いことやられているんですか?
鈴木:高校時代からなので、かれこれ26年くらいですかね。
──26年! 今もチームなどに所属されているんでしょうか?
鈴木:今は仲間内のチームに入っていて、日曜日だけ練習する形でゆるくやっています。僕、中学までは運動部じゃなかったんですよ。でもアメフトは、日本だと高校生からしかできない部活なので、「高校から始めて日本一になれる!」という誘い文句につられて、アメフト部に入りました。
──それから26年も続けているのは、どんなところに惹かれたんでしょう?
鈴木:仲間の存在は大きいと思います。アメフトはチームスポーツなので、「皆で作り上げる」感覚がおもしろいんですよね。今は、仕事以外のつながりというか、コミュニティに所属するためにやっている面もあります。
──そうした体育会系の顔を持つ一方、敬三さんは、仮想通貨の話題でよく聞く先端技術、「ブロックチェーン」を扱うエンジニアとしても活躍されているとか。改めて、今のお仕事を教えていただけますか?
鈴木:フリーランスのエンジニアとして、今は4社ほどと契約しています。フリーランス協会もそのひとつ。ブロックチェーン(※1)、NFT関連(※2)が2社あります。あとは、フリーランス協会で知り合った方が立ち上げた教育関連のサービス開発を手伝っています。
トライを繰り返し、自分の武器を増やす
──ブロックチェーン関連の領域を、手がけ始めたきっかけは?
鈴木:2018年ごろ、フリーランスとして契約していた会社から、ブロックチェーン関連の新規事業をやるので参画してくれませんか?と誘われました。当時はブロックチェーンという言葉がやっと出てきたころ。ほとんど何も知らない状態でしたが、好奇心もあり、飛び込んでみました。
──システムエンジニアにおける、ブロックチェーンエンジニアの割合はどのぐらいなんですか?
鈴木:はっきりとはわかりませんが、ブロックチェーン関連を手がける会社自体、まだまだ少ないので、その開発に携わるエンジニアは全体の1割に満たない感覚はあります。
──フリーランスにおいて、そうしたちょっと特殊な得意ジャンルを持つことは、メリットだと感じられますか?
鈴木:単純に、武器が増えるのはありますよね。ただその武器の価値が、今後も高くなるかどうかはわからない。技術には流行り廃りがあって、芽が出ずに終わってしまうこともあります。ただ価値が高まればその武器は活かせるし、たとえ流行らなくても、その技術があると知っているだけでプラスになると思うんです。未来でも戦える“可能性”を高くしておく感覚かもしれないですね。
──たとえば読者の方が、自分もちょっと特殊な得意ジャンルを持ちたいと思ったら、どんなことから始めたらいいですか?
鈴木:なんでしょう(笑)。自分も最初は誘われて始めたので……。トライするチャンスがもらえたときに、飛び込む勇気みたいなところでしょうか。
──勇気。敬三さんは飛び込むとき、不安などはなかったですか?
鈴木:結局は、それまでの成功体験の積み重ねが背中を押してくれるのかなと思います。振り返ると、僕はアメフトであっても、システム開発であっても、「やったことないことをやって、なんとかする」経験を何度もしています。それらの経験から自信がついてきて「興味があればやってみよう」と未知のことにもトライしやすくなっているのかもしれません。
スペシャリストで生きるなら、社外で技を磨きたい
──今はフリーランスで働く敬三さんですが、大学卒業後はどんなキャリアを歩んできたのでしょうか。
鈴木:実は僕、ファーストキャリアは公務員だったんです。アメフト部の先輩に公務員の方がいたのがきっかけで、自分も2年ほど働きました。でもそのなかで、自分は別のことが向いているんじゃないかと感じて。
学生時代は電子工学科でプログラミングを触っていたこともあり、エンジニアになろう、と会社に就職し、業務系のシステムエンジニアとして働き始めました。
4年ほど働きましたが、大企業の基幹システムを構築する仕事だったので、使っている人の顔があまり見えなかったんです。
そこで、もっとユーザーの声が聞こえる仕事がしたいと、自社メディアや自社サービスをやっているWeb系の会社に転職しました。自分たちのアイデアをすぐ反映できたり、反応がダイレクトに返ってきたりするのは、おもしろさを感じましたね。
──そこからフリーランスになるまでには、どんな経緯があったのですか?
鈴木:2社目で働いて数年経つと、リーダーや採用など、マネジメントの役割を担うことが増えてきたんです。いろいろ経験できるのは楽しかったんですが、やってみると、自分にはマネジメントは向いてないなと思い始めたのが大きいですね。
エンジニアのキャリアの行く末を考えると、マネージャーかスペシャリストかの2択。自分はマネージャーじゃないと考えると、「スペシャリストか」と。プログラムを書くことで食っていけるようにならないとな、という感覚が強まっていきました。
──会社員時代から、フリーランスで働くイメージは描けていましたか?
鈴木:会社でも複数のフリーランスの方々と働く機会があって。それ以前はフリーランスというと“超ハイスキルな専門家”と思っていましたが、意外とスキルも単価も幅広く、いろんな層がいるとわかり、自分も通用するイメージは持てるようになっていました。
自社のサービスだけをやっていると、新しい技術に触れる機会が少なくて、どうしても技術が凝り固まってしまうんです。「自分自身の武器が増えていない」という危機感があったので、スペシャリストを目指すためにも、どこかのタイミングで外へ出て、武器を磨いておかないとなと思ってました。
そんななか社内政治で負けて、ある案件のリーダーを外されて。組織への信頼感がなくなったことと、外で武器を磨きたい思いが重なり、独立しました。
単価交渉には、信頼関係が重要
──フリーランスになって、一番感じたことは?
鈴木:久々に他社の空気や文化に触れたことが、すごく楽しかったですね。正社員は転職しないと他社の文化に触れることが難しいと思うんですが、フリーランスは案件ごとの契約が多いので、いろいろな会社の文化に触れやすく、視野も広げやすいと思います。
──逆に、大変だと思ったことは?
鈴木:事務手続きは増えました。でも僕の場合、自分で自分に値付けをして単価交渉をするのが合っていたようで、そこにもおもしろさを感じました。目標金額を設定して、まだ満たされていないならどうすれば上げてもらえるか、いろいろ考えましたね。
──フリーランスとして値付けや交渉に悩む読者は多いかと思いますが、何かアドバイスはありますか?
鈴木:値付けは難しいですよね。ただ結局は自分への信頼に対して出してくれるお金だと思うので、まずは円満な信頼関係を構築することだと思います。
そのために、与えられた仕事をこなすだけでなく、「プラスα」を提供することを意識しています。返事が早い、修正が早いなども、ひとつの武器になると思いますよ。
「スナック曲がり角」の常連客から、事務局へ
──フリーランス協会との出会いは?
鈴木:最初に知ったのは、Webで設立のニュース記事を読んだとき。すでにフリーランスだったので、「あ、こういう組織ができたんだ、ありがたいな」と、とりあえずメルマガの登録をしました。
──そこから事務局メンバーになるまでには、どんなドラマが……?
鈴木:協会のホームページに、「フリーランスDB」という、フリーランスのプロフィール掲載&検索サービスがあるんですが。サービスリリース当初、その動作がすごく重かったんです。
その当時はコロナ前で、協会が月に1度、「スナック曲がり角」という、会員同士の交流の場を開いていて。
僕も何度か通っていたんですが、あるとき「フリーランスDB、重くないですか?」とスナックのママをしていたマリさん(代表理事の平田)に話したら、「そうなんですよ〜!なんとかしてもらえませんか?」と返ってきて。
「こんなコードなんですけど」と綾子さん(事務局長の中山)がその場でいきなりノートパソコンを開け始め、同じくスナック曲がり角の常連だったオガティ(緒形)さんという別のエンジニアとあわせて、2人ともあれよあれよという間に事務局の開発チームに加わることになりました。
──いきなり事務局に引き込まれて、戸惑いなどはありませんでしたか?(笑)
鈴木:正直ちょっと面食らいましたが、何度も顔を合わせている関係ではあったので、「(信頼できる人を見抜く)眼力のある人たちなんだろうな」と思いました(笑)。オガティさんも、事務局に入ってから自分と同じ大学、同じ学部卒の同級生だと知って。不思議な縁を感じましたね。
──事務局メンバーから、「敬三さんはその場の状況にアジャストするのが上手」という声も聞いています。そういったポジショニングの考え方は、アメフト経験とつながる部分もあるのでしょうか?
鈴木:アメフトって、役割がすごく明確なんです。たとえば野球は、全員がボールを投げ、打って走る能力が必要だけれど、アメフトは、ぶつかる人はぶつかる能力があればよくて、速く走る必要はないんです。それぞれ、長所だけを生かして勝負できるというか。
僕がマネジメントのような自分の苦手分野を無理に伸ばそうとせず、「自分はスペシャリストとして、自分の武器を獲得していこう」と考えるのも、事務局内の状況を見て自分にできることをやろう、と考えるのも、背景にはアメフトで培ってきた役割の意識があるのかもしれないですね。
「協会ありがとう!」のダイレクトな反響に、やりがいを実感
──開発チームでは、どんなお仕事を?
鈴木:協会のWebサイトや会員登録システムの保守運用や、追加機能の開発などです。役割を明確に分けているわけではないんですが、たとえば決済まわりは僕、webサイトまわりはオガティさん、のようにゆるく分担している感じですね。
──開発チームが大活躍した例として、2021年6月にフリーランス協会が呼びかけた「新型コロナワクチン職域接種」関連の動きがあったとか。
鈴木:ありましたね。ワクチン接種が開始され自治体での予約が殺到した当初、フリーランスは職域接種ができなかったので、協会が「各地域で1000名以上集めてワクチン確保を申請する」と呼びかけたんです。開発チームはその接種希望者の登録管理を行うシステムを実装しました。
──開発はかなりのスピード感だったのでは?
鈴木:公開日の3日前くらいに連絡があって。「これ、何日でできます?」と。内容的に急を要するものだと認識していたので、他の案件を調整し、オガティさんと協力しながらなんとか3日で準備した記憶があります。気分は文化祭直前でしたね。
──反響も大きかったでしょうか?
鈴木:これがきっかけでフリーランス協会に加入してくれる人もたくさんいましたし、「協会ありがとう!」と感謝のツイートをしてくれる方もいて。反応がダイレクトに返ってくるのは、やっぱりWebならではの楽しさだなと。“ああ、仕事したな……”とやりがいも感じました。
コロナ禍のフリーランス支援策で、内閣府のベビーシッター助成の運営事務局を協会が担うことになった時も、申請受付や割引券交付管理のシステムを超特急で開発しました。
協会はタイムリーにフリーランスのニーズに応えることを重視しているので、(いい意味での)急な思いつきで、期限がタイトな開発依頼が来たりすることがちょくちょくあるのですが、「やるしかないか」って思えるのも、協会がやろうとしてることへのやりがいや、信頼関係あってこそですね。まぁ大変ではありますが(笑)
フリーランスの信用情報を、各自で管理できる世界へ
──ご自身の専門分野も活かし、協会内で今後やってみたいことは?
鈴木:「フリーランスDB」をよりよくしていきたい気持ちはあります。フリーランスではエージェントを通して案件を受ける人も多いですが、そこで蓄積していく個人のスキルや信頼などの情報は、エージェントを変えたらゼロに戻ってしまう。本来は、自身の評価や取引先からの信頼などの信用情報を、自分自身が保持していく形が理想だと思うんですよ。
だからそれを、うまく蓄積できるしくみがあるといいなと思っていて。最終的にはエージェントでも協会でもなく、誰でもどこからでもアクセスできるように……と考えると、ブロックチェーンかなと妄想している段階です。
実現までは課題も多く、難易度は高い。
それでも少しずつ、一人ひとりのフリーランスが積み重ねてきた周りからの評価が、ちゃんと自身で管理できるような世界に近づけていけたらいいなと思います。
気どらず、飾らず話を聞かせてくださった敬三さん。
「いや、自然とそうなっちゃってるんですよね〜」と流れに身を任せる雰囲気を醸しつつ、話の端々では「武器を磨きたい」「チャンスに飛び込む勇気」など能動的、行動的な一面も垣間見え、その兼備が魅力的でした。
時にはハードモードで働くこともあるという敬三さんが語る「健康第一」もまた、説得力をもって心に残りました。長く楽しく働き続けるために、心に刻んでおきます……!
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