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「フリーランスから、海外で現地就職に挑戦!次に続く架け橋をつくりたい」ベルリン在住・ソフトウェアエンジニア所 親宏さん

フリーランス・パラレルキャリアの多様な暮らし・働き方をご紹介する「働き方の挑戦者たち」。
今回ご登場いただくのは、ドイツ・ベルリンに親子4人で暮らす、所 親宏さんです。フリーランスエンジニアとしてベルリンに渡り、現地のスタートアップ企業に正社員として就職。所さんは、「フリーランス、社員、日本、海外、どれも選択肢のひとつ」と語ります。ベルリン暮らしで変化した仕事観や、海外で働くということのリアルをたっぷりお聞きしました。

インドで受けた衝撃と手応えが原体験に

所 親宏(ところ・ちかひろ)さん

大学卒業後、複数のIT企業でフリーランスのソフトウェアエンジニアとしてシステム開発に従事。2017年にドイツのワーキングホリデーを取得し、妻とともにベルリンへ移住。18年より現地ITスタートアップ企業に入社、プロダクト開発に携わる。第二子の誕生により、23年春から1年間の育児休暇を取得。Podcast「海外移住channel」では、海外での生活・仕事・子育てに関するトピックなどを幅広く発信中! ウェブサイトhttps://chikahirotokoro.com/

学生のころから、「いつかは海外で暮らしたい」という希望を持っていたという所さん。大学3年生のときには、1年間休学して世界一周の旅に出ています。

「僕の旅のスタイルは長期滞在型。世界一周のつもりだったんですけれど、西回りで1年かけてインドまでしか行けませんでした(笑)。初めてのインドは、強烈なカルチャーギャップを感じましたね。このあとも僕は何度か、吸い寄せられるようにインドに行くことになります」

所さんが人生3回目のインドに向かうのは、フリーランスのエンジニアとして仕事をしていた2014年のこと。このインド行きが、世界でエンジニアとして働くということの「現実」を知る機会となりました。

インドのシリコンバレーと言われる、ベンガルールという都市に滞在しました。IT人材を育てる学校があちこちにあって、優秀なエンジニアが大量に輩出されている場所。世界的企業の開発拠点がたくさんあって、当時のベンガルールでは『石を投げれば犬かエンジニアに当たる』って言われてたくらい。シリコンバレー帰りのインド人エンジニアもめちゃくちゃ多くて、刺激的でした」

ベンガルールは、アメリカとも強いコネクションがあるIT産業都市です。
「新しい時代を作っていくんだという熱気がビンビン感じられました。そして、ここが世界中のITビジネスとつながっているというグローバル感。これは日本では、たとえ大企業で働いていたとしても感じにくいものかもしれない、と思います」

日本にはない空気を感じる一方で、そこがまるで別世界ではなかったことも一方で大きな気づきとなりました。

「彼らと直接話して『意外と通用するな』という感覚を得られたのは大きな収穫でした。言葉の壁はありましたが、エンジニアとしての技術力でいえば、まったく歯が立たないという感じではなかったんです。それまで漠然とした興味だった『海外で働く』ということの解像度が、ぐっと高まった感じがありましたね。この働き方も選べる、という具体的な選択肢となって浮上してきた。それは僕にとってすごくうれしい発見でした」

自分を固定することのリスク

大学在学中に、エンジニアとしてのキャリアをスタートさせた所さん。
学業よりも打ち込んだのがITベンチャーでのインターンシップだったといいます。

「学生のときから、ITベンチャーがむちゃくちゃ好きだったんです。最初は営業を担当していましたが、だんだんエンジニアって楽しそうだな、自分でも作れるのかなって思い始めて。実務のなかで、見よう見まねでエンジニアリングを学んできました」

卒業後は、数社のITスタートアップ企業をへて、25才のときにフリーランスのソフトウェアエンジニアとして独立しました。

「フリーランスになったのは、体調を崩したことがきっかけ。しばらくフルタイムで働くのは厳しいと判断して、柔軟な働き方ができるフリーランスを選択しました。働かないと生活はできないし、やむをえずフリーランスになった、というのが正直なところですね。
ただ、新卒で入社したときから、一社に長くいるつもりはなかったんです。ひとつのところに長くいれば、その会社のやり方に熟練するし、人も知っていくことで効率的に仕事ができるようになる。反面、その会社特有のローカルルールやスキルが中心になり、会社の外で通用するスキルを身につけにくいこともあると思っていて。
自分のスキルが通用するのか不安だったので、フリーランスになりたての頃は、短期のプロジェクトベースでさまざまな企業と仕事をしました。当時は周囲にフリーのエンジニアもいなかったし、仕事獲得や働き方は試行錯誤。とにかく自分のスキルが通用するのか、試したかったんです」

安定した継続取引先を作ることより、新規開拓で経験値を積むことを優先したワケは、「そのほうが安全だと思ったから」。一方で、ある程度スキルが通用するという実感を得たあとは、短いプロジェクトだと経験できることが浅くなってしまうという感覚を得たため、長いプロジェクトで働いたりもしました。

「新規開拓はエネルギーがいりますよね。でも、収益源が一社に依存している状態って、僕は首根っこをつかまれているように感じちゃって。ここでしか生きていけない、となるのはこわい。いつかは海外でと思い続けていたのも、根底には日本という場所に縛られることはリスクだという思いがあります。何かに縛られず、自由でいたい、という気持ちが強いのかも」

「ほぼノープラン」でベルリンへ

ベルリンの壁の前にて、夫婦で記念撮影。(写真提供/所 親宏さん)

フリーランスとして複数社での経験を積みつつ、インド・ベンガルールでの経験から、「海外で働く」という未来像が徐々にくっきりと見えてきた所さん。ただ、実際に移住の準備を始めるにはまだしばらく時間がかかります。

「頭のなかにはいつか、とはある。でも、いつ行くのか、どこに行くのか、そのどちらもクエスチョンのままでした。動き出すきっかけになったのは、結婚です。妻は国際的な大学に通っていたこともあり、僕と同様に海外移住への関心が高く、彼女との会話から『ワーキング・ホリデーを利用しよう』と具体的なアイデアが浮上してきたんです」

ワーキング・ホリデーとは、日本と協定を結んだ国で就学・就労ができるビザ。若者の異文化交流を推進するために生まれた制度で、主に18〜30才までが対象です。

「ワーホリのビザって、働いてもいいし、働かなくてもいい。期限付きではあるけれど、自由度の高い最強ビザなんですよね。ワーホリビザが使えて、英語で働けて、エンジニアの仕事がありそうなところと考え、オーストラリア、カナダ、イギリス、ドイツを検討しました。ワーホリ期間が終わったあとのビザの取得しやすさなども考慮し、最終的に行き先をドイツに決定。ちょうどそのころ、同じ会社で働いていたエンジニア仲間がベルリン移住を決めて、いろいろと話を聞けたことも大きかったですね」

こうして2017年、夫婦でベルリンに渡った所さん。働くとしたらフリーランスなのか、現地企業に就職するのか、選択肢を広げたまま渡航しました。

「行く前に決めていたのは当座の住まいくらいで、ほとんどノープラン。働けたら最高だけど、ワーホリ期間中に仕事が見つからなかったとしても、そのあとは夫婦で世界一周旅行をして帰ってこようと思っていました。また、たとえ就職できずに帰国することになっても、そのチャレンジを評価してくれる人はいるかな、思っていたので、どちらに転んでも、キャリアの観点ではそれほどリスクはない、と考えていました。ただ、まあけっこう無謀でしたよね、仕事先を決めてから渡航する人のほうが多いです(笑)」

ドイツの求人はジョブ型!

プログラミング言語Ruby の三大国際カンファレンスの一つ、
ヨーロッパで開催される「Euruko2023」 にスピーカーとして登壇
(写真提供/ Euruko 運営

ワーキング・ホリデー終了後のビザ事情を調べてみると、フリーランスとして就労するより、現地企業に就職したほうがさまざまな面で条件がいいことが判明。現地での生活を整えながら、せっせと就活に勤しむ日々がスタートしました。

「日本とドイツでは、就活のポイントもまったく違います。ドイツの求人は、日本と違ってジョブ型。チームやプロジェクトの特定のポジションを募集していることが多く、彼らが求めているスキルにマッチすることが最も大事で、日本のいわゆるメンバーシップ型とは面接の内容も違ってきます。そのへんの違いがわかってくるまでは、手探りすぎてきつかったですね。
さらに、本当にきつかったのは、言葉の壁。英語で仕事をしたくてきたものの、当時の英語力はそこまで高くなかった。僕の場合は、コミュニケーションは取れるけれど、特にビジネスレベルの英語の聞き取りが難しくて。就活しながら、英語力も鍛える感じでした。面接で何を聞かれているかわからなかったら、それはなかなか受かりませんよね(笑)」

内定を勝ち取るまでにかかった期間は、およそ3カ月。エンジニアのミートアップに参加したり、企業からオファーが届く求人サービスを活用したりと、試行錯誤をしながらの就職活動でした。

「採用が決まった最大の理由は、僕がコードを書けたから。英語がイマイチだから、普通の雑談的な質問には答えられないんだけど、テクニカルな質問には答えられたんです。多少英語はできなくても、実務には問題ないだろうという判断だったでしょうし、実際に給与水準もタイトルも他の人と遜色ないものでした。でも、就活を振り返ると、やっぱりラクではなかったですね、精神的にもきつかった。妻が一緒だったから頑張れたかなと思います」

制度をフル活用して

ベルリンのオフィスにて。(写真提供/所 親宏さん)

ノープラン移住での苦労の末に入社した企業も、いまや勤務歴6年を超え、所さんの仕事人生でも最長の勤続年数に。

「これまでの僕なら2〜3年でそろそろ転職、と考えていたはず。仕事だけを考えれば、もっと転職したりして挑戦したいという気持ちはありますが、こちらで子どもが生まれ、いまは家族にプライオリティをおきたい時期。いまの会社は人もいいし、ある程度働いているので勝手も知っていて仕事もしやすい。また、社員だとさまざまな福利厚生制度の恩恵を受けられるのも魅力です」

2020年に長女、2023年に長男が誕生。第2子の誕生後は、所さんが1年間の育休を取得しました。

ドイツでは、子供が生まれると夫婦で合計14カ月分の育休手当が支給されます。前年の収入に応じた額が、国から支給されるんです。1人目のときは妻が1年間、僕が3カ月、育休をとりました。2人目は、妻が求職中の出産だったので、手当が多くなる僕が1年間の育休を取るのが合理的だろう、という考えです。

さらに、2人目の育休前にも半年以上、治療のための病気休暇を取得しています。ドイツにも、日本の傷病手当金に相当するものがあります。病欠中の給与もある程度保障されていて、最大1年半くらい有給で休むことができます。手厚い福利厚生制度の恩恵を受けて、治療に専念できたのはありがたかったです」

病欠からの復帰後に、ほどなくして育児休暇に入るという選択にも、難色を示す上司はいなかったそう。健康上の理由があれば、休んでしっかり治すべき。子どもが誕生したら、育児休暇をとるのも守られるべき権利。こうした考え方が、広く浸透していることがうかがえます。

「入社してしばらくしてからは、働く時間を調節して週4勤務に変えました。それでもパフォーマンスが上がっていれば、労働時間は関係ないという文化。その週4勤務で働きはじめてからも、パフォーマンスが評価されて実際にリーダーシップポジションに抜擢されもしました。
ただ、このときは、結果的にしばらくして、役職を降りる決断をしました。ちょうど昇進したのがコロナ禍に入る直前で、コロナ禍により会社の状況や働き方が激変し、さらにプライベートでは長女が生まれるタイミングでもありました。いろいろと考えて悩んだ結果、『いまはキャリアでの挑戦よりも家族を優先したいので元の役職に戻る』と自ら決めて伝えました。そうしたら、Head や Director といったマネジメントチームやたくさんの同僚から『なんて責任感のある対応なんだ、勇気ある決断だ』と大きく称賛されたのです。週4勤務で昇進することにも、役職を辞することをポジティブに受けとめてくれることにも、本当に驚きました」

海外での経験を「架け橋」に

日本に一時帰国中に、日独協会主催のイベントに登壇。
「ベルリンで暮らす、働く〜ソフトウェアエンジニアの現地就職事情〜」
と題したセミナーは満員御礼(写真提供/(公財)日独協会

社員が手厚く守られているドイツの労働環境に身を置いたこと、また2回の育休を経験したことで、所さんの仕事観にも変化が起きているよう。

「育休期間は長女のときのほうが短かったけれど、精神的には長女のときのほうが大変でした。初めての子供で、自分としては育児にフォーカスして育メンになろうと思ってたのに、やってみたら仕事を休んで子どもだけと向き合うって結構ストレスだった。人にもよると思いますが、僕は仕事をすることが好きで、それができないことは辛かった。
今回も、家族にプライオリティをおきたいという気持ちは変わらず、2回目の育休は、新しい仕事のやり方を考えることを裏テーマに。子どものために時間を使いたいけれど、子育てだけを優先するとなるとしんどくなる。第2子誕生後の今は自分の時間の使い方、働き方や仕事のやり方を変えるタイミングだと思っています。シンプルにいえば、短い労働時間で効率よく稼ぐにはどうするかを考えて実行していく、ということですね」

エンジニアの仕事の仕方は、大きく分けて納品型か時給型の2つ。納品型は、やり方にコツがいるので、「うまくやらないと大変なことになりがち」だと言います。一方の時給型は、変数が時間と単価しかないので、収入を上げるにも限界があります。

「正直、フルタイムでがっつり働きたくない(笑)。育休中にもっと違う収益源の種を撒いていこうと考えて、その仕込みもしたいと思いました。だから、2人目の育休期間はすごく充実しています。収益源といってもただお金が儲かればいいわけではなく、好きなこと、情熱が持てることである、ということも大事な条件だと思っているので、それを自分の中で見つける時間にもあてました。
いま考えているのは、海外との架け橋になるようなサポート。移住については実際にいろいろな支援ができるだろうし、これから海外移住を考えている人、すでに海外で働き、子育てをしている人のための情報発信もできると思う。言ってみれば、これって僕自身が人生をかけてやっていることですしね」

この春には海外移住情報を中心に情報発信をするPodcast「海外移住channel」も開設。海外移住の経験者をゲストに招いたインタビューを中心に展開するポッドキャストで、移住のリアルを伝えています。
海外移住を考える人にとって、現地で暮らしている人の生の声を聞く機会は貴重。一時帰国中に開催した所さんのトークセミナーにも、「リアルな体験談を聞きたい」と多くの人が集まりました。「やってみたい」という気持ちに体験談や具体的な選択肢を提示していけたらという思いが、情報発信の大きな原動力となっています。

「フリーランスも社員も、あるいは複業というハイブリッドスタイルも、それらは選択肢でしかないし、不可逆なものでもない。ライフステージに合わせて、行ったり来たりできるものだと思っています。

同様に、海外移住だって、日本と行ったり戻ったりしていいと思っています、海外生活ってキラキラしていることばかりじゃないですから。

最も大事なのは、自分で選択するということだと思うんです。自分の選択で挑戦したなら、たとえうまくいかなくても、納得感が持てる。僕は、もし移住していなかったら、いまでもいつか海外に行ってみたいなーと、気持ちがくすぶっていたと思います。なので、海外に行きたいと思いながら、なかなか一歩を踏み出せない人がいたら、そのハードルを下げるお手伝いができたらいいな、と思っています。

みんながみんな行けばいいとは思っていないし、そんなに楽なことでもない。でも、そこに違う世界は確実にある。やってみて合わないとわかったら帰ればいいし、それも自分の選択です。だって日本もとても素敵な国ですから。
人生の中で挑戦できる時間は限られているかもしれない、だから、やりたいことがあるならやってみる! きっと人生の納得感が違うと思うんです」

撮影/鈴木江実子

取材・文/浦上藍子
出版社勤務を経て、2014年にフリーランスの編集・ライターとして独立。雑誌、ウェブでの記事制作、書籍のライティングなどを中心に活動しています。趣味はフラメンコと韓国ドラマ鑑賞。


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