先生! これってセクハラじゃないですか?〜フリーランスの契約事件簿
第4回
ビジネス街の中、一本の路地を入ったところにひっそりと佇むバー「Legal」。この店は、契約の悩みを抱えるフリーランスが夜な夜な集まることで知られている。どうやらそこには、フリーランスの悩みごとに答えるさすらいの弁護士がいるというーー。
「ノンアルコールのカクテル、ありますか」
カウンターの真ん中の席に腰をかけると、女性は小さな声で尋ねた。この店を初めて訪れたエリコだ。フリーランスとして広報、PRの仕事をするようになって、もうすぐ3年になる。
シャンパングラスに注がれたいちごのモクテルを一口ふくむと、エリコは誰かを探すように店内を見回す。カウンターの端でソルティドッグを片手に読書をする男が、エリコが探していた人物のようだ。
「……さすらいの弁護士、カネダさんではありませんか?」
そう声をかけられた男・カネダは「聞きましょう」と本を閉じた。
密室空間で行われたセクハラ
エリコは、フリーランスの広報・PRとして活動している。得意分野は化粧品や美容家電。エリコ自身も大のコスメフリークで、美容への関心は高い。
「きれいになりたい人ときれいを届けたい企業・商品をつなぐPRは、私の天職」と、仕事が生き甲斐の毎日を送っていたという。
「でも、あのトラブル以降は、以前のように仕事に100%になれなくて……。ちゃんと解決しないと、前に進めないと思うんです」
エリコのいう「あのトラブル」とは、彼女がある化粧品会社の男性社員から受けたセクシャル・ハラスメント。
事の発端は、男性社員が設定したミーティングだ。PR担当商品のプレスリリース原稿を送ったところ、男性から「訴求ポイントが微妙にずれているので、説明したい」と会社に呼ばれたのだ。
「6人がけのテーブルの会議室なのに、彼は私の隣に座ってきたんです。資料を見せるときも、手に触れたり、背中に手を当てたりとボディタッチがやたら多くて。困ってしまって椅子を離そうとしたら、急に声を荒げて……」
「セクハラだとでもいうつもりですか?」
「的外れな原稿を直すために、わざわざ時間を作っているのに」
などと罵倒されたという。
それからしばらく後に行われた新商品発表会後の会食でも、テービルの下でテーブルの下で手を握ったり、他の社員に見えないように背中を執拗にさするなど、彼のセクハラ行為はエスカレート。
恐怖を感じたエリコが二次会を断って帰宅すると、翌日、目を疑うようなメールが届いた。
『あなたのやる気を買っているからこそ、
仕事で成長していただけるようにと、機会を与えてきました。
それにも関わらず、私がまるでセクハラをしているかのような態度をとられて、甚だ心外です。
今後は、能力に見合った本来の報酬額でお支払いしますので、
お支払額は当初約束していた金額より1割低くなることをご承知おきください。
請求書も、その金額にてお送りください』
カネダにスマホのメール画面を見せたエリコの目には、うっすらと涙がにじんでいる。
「これって、絶対にセクハラですよね!?」
セクハラは立証が難しい
エリコの話に耳を傾けていたカネダはしばらく目を閉じたのち、ゆっくりと口を開いた。
「エリコさん、つらい経験を話してくださりありがとうございます。性的な行為を強要されたり、性的に嫌な思いをさせられたりしたら、それは間違いなくセクシャルハラスメントです」
「ただ……」とカネダは続ける。
「不快な行為、嫌がるような行為を法で取り締まれるものかどうかは、一概に断言できないのです。たとえば無理やり下着を脱がそうとする、直接胸や性器を触る、といった行為は刑法に触れるので、もちろんセクハラにも当たります。一方で、手を握るといった行為の場合はどうでしょう。一般的な握手とどう違うのか、手を握ったという事実だけでなく、当時の状況を含め、さまざまな言動を勘案してセクハラに当たるかどうかを判断することになります」
一口にセクハラといっても、刑事罰に問われるようなものから、刑事罰に問われないが民法上の不法行為と認定されるもの、不法行為とまではいえないものものと、その悪質性にはグラデーションがある。
今回のエリコの相談内容では、身体的接触はあるものの、「刑事罰に問える可能性は低いだろう」とカネダ。
「手を握ったり、背中を執拗に触るのは、民法上の不法行為に当たる可能性はあります。ただ、裁判で『背中は触っていない』などと争われた場合、録画映像などがない限り、立証の見通しが立ちにくいのが現実です。そして、仮に訴えが認められた場合でも、継続的なセクハラの場合、精神疾患にかかってしまった場合を除き、勝ち取れる損害賠償額は数万から数十万程度となること多いので、労力や裁判費用の負担に見合わないという考え方もあり得ます。」
さらに、フリーランスならではの難しさもあるという。
「企業には、職場内でセクハラが起こらないように防止措置をとることが義務付けられています。会社員であれば、会社のセクハラ相談窓口や労働基準監督署などに相談して、労働法に基づいて処分をするようにと促せます。ただ、フリーランスは雇用されている労働者ではないので、まだこうした法整備がされていないのが現状です。現在、フリーランス・トラブル110番ではハラスメントについても無料で相談することができますが、デリケートな内容だけに1人で抱え込んでしまっている人も多いと考えられます」
2024年秋に施行予定のフリーランス新法では、企業に対して、フリーランスも社員と同様にハラスメントの相談ができる体制を整えることが義務化される。ただ、法整備後も、何かトラブルがあったらフリーランスから声を上げることが必要だ。
セクハラと報酬の一方的な減額、それぞれの対応は?
「じゃあ、私はこのまま泣き寝入りするしかない、ってことですか」
エリコは、怒りに燃える目でカネダの返答をじっと待つ。
「エリコさんの悔しさは十分にわかります。まず、今回のトラブルは大きくふたつの要件に分けられます。整理して考えていきましょう」
そう言ってカネダは手帳を取り出すと、サラサラとメモを書きつけた。
打ち合わせ時と会食時のセクシャルハラスメント
メールで通告された、報酬の一方的な減額
裁判で必要な証拠とは?
「まずは、1番のセクシャルハラスメントについてです。
打ち合わせや会食時のセクハラ行為について、損害賠償請求をすることはできます。ただ、打ち合わせ時の様子を誰も見ていない、会食時に手を握られたり、背中を執拗にさすられたということも、同席する他の社員は気づいていない。こうした状況では、現実的には証拠の立証がかなり困難だと考えられます。録画や録音が残っていればいいのですが、今回はそれもないですよね?」
エリコはぎゅっと唇をかんだ。
「はい。ただ、あまりに衝撃的だったので、打ち合わせが終了した後、すぐに友人に相談のLINEを送っています。会食のあとも、再度セクハラ行為があったことを友人にLINEしました。でも、法で裁いてもらえないなら、いっそSNSなどで社名を公表して告発すればよかった……!」
「エリコさん、それは悪手です。SNSの告発でその企業に損害が出れば、その方法、裏付けの程度、企業の対応状況、告発内容等によっては、逆に名誉毀損で損害賠償を請求される可能性もあります。勇気のある告発で企業側が是正したというケースがないわけではないですが、リスクが大きい行為です。
一方で、エリコさんがご友人にLINEを送っていたのは、証拠のひとつになりえます。録音や録画があればベストですが、それがない場合は日記やメモ、誰かに相談した記録などでも残しておくべき。とくにLINEやメールなど、タイムスタンプが残る形での記録は、実際の裁判でも証拠として認定された事例もあります」
自衛策でセクハラブロックを
カネダは静かに続ける。
「訴訟を起こすことはできますが、残念ながら弁護士費用等の裁判費用が賠償金額を上回ってしまうでしょう。エリコさんが今後もこの企業と取引を継続したいと考えているなら、私は裁判を起こすより、問題社員の上司に談判することをおすすめします」
エリコはハッとして、「彼の上司に報告……! 上司の方とは面識がなく、思い至りませんでしたが、確かにそうですね」と頷いた。
「担当変更などの対応があれば、エリコさんも安心して取引ができますよね。また、問題の社員にも、社内的に何らかの措置がとられるかもしれません。
また、今後はセクハラを予防する自衛策を講じることも重要です。密室で2人にならない、録音機を置く、対面ではなくオンラインにするなど、セクハラをできない状況を作りましょう。議事録のために会議の内容を録音します、と目の前でボイスレコーダーを回すだけでも抑止力になります」
一方的な代金減額は下請法違反
「続いては、2つめの報酬減額についてです」
カネダの報酬減額のポイントを、次のように整理した。
・「一方的な代金減額」は下請法に抵触する。
・事案によっては、独占禁止法の「優先的地位の濫用」にあたる可能性もある。
・また、報酬を盾に取った嫌がらせと考えられるため、1つ目のセクハラと合わせて、精神的な損害についての慰謝料を請求できる可能性もある。
「エリコさんの取引先は資本金1000万超ですから、明らかに下請法違反といえるでしょう。報酬額の1割減で請求書を、というメールに対して、改めて金額を確認してみましょう。返信の際にも、『1割減』だと書かれていれば、下請法で禁止されている代金の一方的な減額の証拠となり、事前に約束していた本来の報酬金額を請求できます。
また、セクハラ行為とともに報酬を盾に取った嫌がらせ(経済的な側面からのセクハラ)といえ、1つ目のセクハラと合わせて慰謝料請求ができる可能性もあります」
冷静に自分の希望を整理し、対応を
「セクハラ社員がのうのうと仕事をしていると思うと、はらわたが煮えくり返る思いです。お金の問題ではなく、裁判を起こして罪を自覚させたいという気持ちもあります。でも、そのために私が疲弊するのも悔しいし、こんなことで取引先を失うのも本望ではありません。私、今回は訴訟ではない対応を選択したいと思います。先生のお話を聞いて、まず会社側としっかり話をしようと気持ちが前向きになってきました」
エリコはシャンパングラスをグイッと傾けると、この日初めて笑顔を見せた。
「明日にでも彼の上司に話をします。報酬のことも、上司は把握していない可能性もありますよね。まずは対話、それでダメだったら…また相談しにきてもいいですか?」
「もちろんですよ」
カネダもグラスを持ち上げて応える。
「上司への報告から、録音機回しますから、私。二度とセクハラなんかされたくないし、もしされたら次は絶対に訴えます」
エリコの目に光が戻っている。きっと明日から、また彼女らしく天職に向き合っていくにちがいない。
こうして今日も、「Legal」の夜は更けていくーー。