【緩和ケア】
※少し長いですが‥特に医療関係者の方々、想う事やアドバイスがありましたらぜひコメントをお願い致します。
妻側の親族で、74歳の独身の叔母が間もなくの段階になってきていた。
半年前に自宅マンションで緩和ケアを選択した。
痴呆も進んでいたが、看護師だった叔母はその方向性を望んでいた。
幸いにも痛みが伴わない末期の癌で抗がん剤も使用せずに、腹水を抜きながらここまできた。先程妻の携帯が鳴り、いよいよの段階らしいが、電話をしてきた叔母の姉が病院へ連れて行く!と言い出した。
ほら始まった。想像していた通りだ。緩和ケアを選択した意味がない。
僕は電話をしている妻に一言告げた。当然向こうにも聞こえている事を承知で。
自然に逝こうとしているヒトを無理矢理引き留めて、病院では当然の処置として行われる、送管などの苦しい目に合わせるのか?無理矢理生かすのか?緩和ケアを選択した本人の尊重はどこへいった?これは本人をはじめ関わる親族全員で覚悟を決めたはずだ。本人が苦しまない為にここまで過ごしてきて、なぜ最後の道を歩ませてあげないのか?と。
そう話していたら、会社の電話が鳴った。緩和ケアの方からだった。緊急連絡先が日中は必ず誰かがいるウチになっていた。
『さきほど、自宅で安らかに眠るように亡くなりました。』
『医師の死亡宣告では本日6月27日15時48分です』と。
それを告げると妻は床にひれ伏し大泣きしていた。
電話の向こう側の叔母も混乱していた。
病院へ…と言っている間に逝ってしまったのだから。
でもね、いいんだって。それで。死に目に逢えなくても、こうなっても良いように、皆これまでに後悔なく接してきたでしょ。死に目に逢わせるための悲惨な延命治療なんていらないはずだ。
僕はここ半年くらい前から緩和ケアの事を勉強している。ヒトの最後の生と死とは何かに向き合いだした。生きる事の覚悟があるならば、死ぬ事の覚悟も必要なのだ。
まさに久坂部羊氏著書の『ヒトはどう死ぬのか』だ。
やはり僕はこの先、緩和ケアの世界に踏み込んで行こうと思う。人として誰もが避けては通れない深く大切な世界。決してタブーだとは思わない。これを仕事にして行こうと思う。何が出来るのかはまだ手探りだけれど。
もっとこの分野に関して学びと知識とそして…経験を積んでこれからを迎えていく人達の助けになればと思う。逝くヒトも生きるヒトの助けになれば。大人でも子どもでも…これは同じ事だ。医師や薬剤師や看護師など医療関係者は身内にたくさんいるけれど、資格もないし、医療には全く関わった事のない自分が関わろうとする緩和ケアの世界。
一体そんな立場で何が出来るのだろうか。それでも、こんな僕でもきっと何か役に立てる事があると思う。
とても清潔に綺麗に生きてきた叔母。
お葬式もこれまでと変わらず、みんなで暖かく見送ってあげようと思う。
これからもヒトリではないよ、まずはゆっくりと休んで下さいと。
日々の暮らしも人生も美しく生き抜いた叔母さん。
いつまでも安らかに。