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闘病記(27) 感覚が麻痺してしまったあなたへ


 突然だが、今回のタイトルにあるような名前のついた冊子やパンフレットは無い。リハビリ病院に転院してまもなく、自分なりに一生懸命探してみた。ナースステーションのスタッフや介護福祉士の人たちに「感覚障害の人のための、生活の手引書みたいなものはありますかね?」「右半身か左半身どちらかの感覚が麻痺してしまった、ちょうど僕みたいな患者が生活する上で気をつけた方が良いことなどをすまとめたものは何かないですか?」と、聞いてみたりしたが結局、見つける事ができていないままだ。
なぜそんな冊子を探したかと言う理由はいたってシンプルで、「切実に困った」からだ。半身の神経が麻痺すると、生活の動作のあらゆる面において大小さまざまな変化が起こる。しかし、救命救急病棟にいる間はそのことにほぼ気づかない。朝起きてから、眠るまでをほとんどベッドの上で過ごし、食事、排泄、入浴すべてをベッドかストレッチャーの上で完全介護してもらうからだ。そして、リハビリ病院に転院して面食らった。
 まず最初は、体の右側(感覚が麻痺している側)の足の指、手の指、足首、手首などに青アザがたくさんできていると言うことに気づいた。ベッドの柵の金属の部分に足がはまってしまいうっすらと血がにじんでいることもあった。ものが当たると言う感覚を感じることが難しいため、手や足を強くベッド柵にぶつけて、何度も繰り返し、アザができたのだ。
 初めて自分で洗面をした時は、「面食らった」というより「食らった」。まず、左右の手に水を貯めるため、両手を合わせて器の形を作ろうとした。(今までずっとそうしてきたように。)驚いたことに、両手が合わない。合わせているつもりなのに、高さにズレがあり、右手はぎこちなく震えてしまう。どうにかこうにか両手を合わせ水をくんだ。そして勢いよく水を顔に持っていったその時、右目に激痛が走った。一体何がどうなったのかわからないまましばらく呆然としてしまった。自分の右手の小指が右目を突き刺していると言うことに気づいたのは数分経ってからだったと思う。「オウンゴール」ならぬ、「オウン目潰し」を決めてしまったわけだが、歓声もなければ落胆の声もなく自分の「痛っ」と言う声だけが病室に響いた。
 作業療法の時間に作業療法士N さんに尋ねてみたところ、感覚が麻痺した手は、曲面に合わせて手のひらをフィットさせることがとても難しくなるそうで、代わりに指が硬く固まったようになったり、立ってしまったりすることがあるとの事だった。どのような、どの程度の症状になるかは人によってそれぞれ違うと言うことだった。 
 後日、バルーン(尿を貯めておくための袋)を外し、初めて介護士さんに連れられてトイレで用を足した時は、恐怖に近かった。洋式の便器に座るのだが、自分の右半身には感覚がない。まっすぐに便器に座ることができていても、右半身は便器を感じることができないのだ。左半身だけで便器に乗っているような不安で不思議な気持ちになる。そこで、浮いてしまったように感じる右半身で何とか便器を感じようと左へ左へとズルズルと寄っていく。介護士さんが慌てて手を添えて止めてくれたが、それがなければ危うく便器から滑り落ちてしまうところだった。
 こうして、自分の「感覚が麻痺してしまった人のためのパンフレットや冊子探し」が始まったわけだが、冊子など作れるわけがないのだ。脳溢血と一言で言ってしまえばそれまでだが、それぞれが失ったもの、苦しんでいる事柄は一人ひとり異なる。手引書を作って十把一からげに対応ができるほど単純ではないのだ。
 自分も、「あー、手が動くんだ。感覚だけがないんだね。」と簡単に言われてしまうことがある。そんな時は、「じゃぁ代わってやるからこの地獄を味わってみるか?」と心の中でつぶやくことにしている。ダークサイドに支配された悪役ヒーローみたいに。

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